対比から見た『スター・ウォーズ・サガ』の構造 個人的なイメージとしては、『スター・ウォーズ・サガ』という作品そのものは、以下のような「対比」を意識した構造になっているのではないか…そう感じているのですね。 とはいえ、以下にあげたもの以外にも実に多くの「対比」が散りばめられた作品であるとも感じてはいますが…たとえば、『エピソードI 見えざる脅威』の「借り」という言葉が秘めているのではないかと思われる「対比」のように、ですが。 |
プリークエル(テーマ:喪失、別離 … 「僕はジェダイだ、こんなはずじゃなかったのに」) |
多様性の喪失 → 闇へ |
※「真のジェダイ」の喪失 クワイ=ガン・ジンの死
『エピソードI』(見えざる脅威)
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※母の喪失…シミの死 『エピソードII』(クローンの攻撃)
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※希望の喪失 アナキンのダークサイド転落 ジェダイ騎士団滅亡 『エピソードIII』(未定)
(ジェダイを滅ぼす存在を暗示する副題)
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(『エピソードI』ラストシーン) |
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↑ ※Son
of Suns(=太陽・恒星)…太陽の子・星(々)の子=「人間」万歳・「生命」万歳を意味する叫び声 ↓ |
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(『エピソードVI』ラストシーン) |
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『エピソードVI』 (ジェダイの復讐/帰還) ※(新たなる)「真のジェダイ」の出現 ルーク、新たなるジェダイとなる アナキンの帰還 |
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『エピソードV』(帝国の逆襲) ※父の出現…ヴェイダーの告白 |
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『エピソードIV』(新たなる希望) ※(新たなる)希望の出現 ルークの旅立ち |
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光へ ← 多様性の再生 |
トリロジー(テーマ:出現、再生 … 「僕はジェダイだ、父がそうであったように」) |
なのでおそらく、ルーカス監督は『スター・ウォーズ・サガ』という作品全体…「次なる世代(=子供 たち、なのでしょうね)への贈り物」と、監督ご本人が言われている…を通じて示されるだろう、多様な価値観の中から、
この2つを、特に伝えたいと願っておられるのではないだろうか…そうも感じているのですね。 ちなみに、「真のジェダイ」とは…真の意味での「人間性」に目覚め、「自己の中で善悪のバランスを取る」生き方、つまり「ライトサイドに偏りすぎず、ダークサイドを見ても溺れない」という、人間として本来あるべき「自然な」生き方をなしとげた「人間そのもの」を意味しているのではないだろうか…そう、私には思われるのですね。 なので、ライトサイドの存在である事にこだわり過ぎるあまりに、フォースのダークサイドを全面的に退けてしまい、結果として「自然な」人間らしさに背く生き方を選んでしまっていたのではないかと思われるプリークエルのジェダイたちは、真の意味でのジェダイではなかった…そう感じているのですね。 また、全面的にダークサイドの存在であるシス卿ダース=シディアスことパルパティーン(皇帝)も、プリークエルのジェダイたちとは反対の意味で、「自然な」人間らしさに背く生き方を選んでしまった存在と言えるのではないか…そうも感じているのですね。 なのでおそらく、プリークエルのジェダイたちとシディアスとは、互いに「正反対」「両極端」の存在でありながら、実はどちらも自然のエネルギーであるフォースのバランスを一方のみに引きずりよせて崩してしまう、「不自然な」存在だったのではないか…おそらくはそのために、最終的にはどちらもが滅びる事になり、その結果としてフォースのバランスが取り戻される事にもなったのではないか…そうも感じているのですね、これも個人的にではあるのですが。 ではまた ^^☆ (2003/01/20初稿、2003/12/14改稿、2004/10/24決定稿)
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