「父」の問題について


 プリークエルにおける「予言の子」としてのアナキンの「父」は、ジェダイ(騎士団)そのものではないでしょうか…トリロジーのアナキン、つまりダース=ヴェイダーにとっての「父」が、パルパティーン皇帝だったのではないかと思われるように。

 個人的には、アナキンはおそらく『エピソードIII』において「フォースのライトサイドに偏りすぎた父」ジェダイ(騎士団)を打倒することによって、ダークサイドへ転落することになるのではないかと感じているのですね…とはいえむろん、その事だけが理由ではないだろうとも思ってはいますが。
 その後、『スター・ウォーズ・サガ』最後のエピソードである『エピソードVI ジェダイの復讐(帰還)』において、今度は「フォースのダークサイドに偏りすぎた父」パルパティーン皇帝を打倒することによって、最終的に「フォースにバランスをもたらす」という予言を成就させ…同時に「予言の子」としての役目を終えたため、その直後に死を迎えることになるのだろう…そうも感じているのですね。


 さて、では「なぜ」プリークエルのアナキンにとって、ジェダイ(騎士団)が「フォースのライトサイドに偏りすぎた父」と考えられるのか?
 結論から言えば、アナキンは「フォースにバランスをもたらす者」と予言された存在であり、いわば「フォースの申し子」とも呼ぶべき存在だったから
…そう思われるのですね。

 プリークエル時代の『スター・ウォーズ』世界において、フォースを「体現する」存在と見なされているのは、シスが表向きとはいえ滅びている以上、ジェダイ(騎士団)ということになるだろう…そう、私には思われるのですね。
 なので、「予言の子」であるアナキンは、「フォースのライトサイドを体現する者」ジェダイ(騎士団)を「父」に持つ、「フォースの申し子」と見なせるのではないだろうか…そうも思われるのですね。

 したがって、「子」であるアナキンが「フォースのライトサイドを体現する父」ジェダイ(騎士団)を打倒してしまうとすれば、これはまさに「子」による「父殺し」に当たるのではないか…おそらくはジェダイ(騎士団)を打倒してしまったために、結果的にアナキンはこの世で最大の罪の1つである「父殺し」を犯してしまったことになり、その「報い」を受けるという意味もあってダークサイドに転落してしまうのではないだろうか…そう、私には感じられるのですね。


 ではなぜ、「子」であるアナキンは「父」と見なせると思われるジェダイ(騎士団)を打倒してしまうのでしょうか?
 「予言の成就」という、いわゆる「神の視点」からのみ考えるならば、おそらくは「フォースにバランスをもたらす」ため…そして『スター・ウォーズ』世界そのものの破滅を回避するために、避けては通れない道だったからではないか…そう、私には思われるのですね。


 プリークエル時代においては、フォースのライトサイドに偏りすぎていたジェダイ(騎士団)の存在があったために、フォースのバランスは実はすでに失われてしまっていた状態だったのではないか…そう、私には思われるのですね。
 おそらくはダークサイドの危険と誘惑を退けようとするあまり、プリークエルのジェダイ(騎士団)はライトサイドの存在である事にこだわり過ぎてしまい、結果としてフォースのバランスそのものを崩してしまっていたのではないか…つまり、フォースという自然のエネルギーをライトサイドという一方向にのみ引きずりよせていたために、『スター・ウォーズ』世界そのものを不安定な状態にしてしまっていたのではないか…そうも思われるのですね。
 したがって、世界にバランスを取り戻すために出現した「フォースの申し子」は、バランスそのものを崩している原因になってしまっていると思われるジェダイ(騎士団)という存在を、取り除かなくてはならなかったのではないか…その結果、いわば必然として「フォースの申し子」による「ライトサイドに偏りすぎた父」の打倒、つまり「父殺し」が行われることになったのではないか…そうも感じているのですね。
(多くのジェダイたちが、『エピソードI 見えざる脅威』の時から「予言の子」アナキンに対して「危険」を感じていたのは、まことに正しかったと思われるわけですね)

 そして、「フォースのライトサイドを体現する父」ジェダイ(騎士団)を打倒することによって「父殺し」を実行してしまった後でも…おそらくはその報いを受けてダークサイドに転落し、ヴェイダーと化してしまった後でも、アナキンが「フォースの申し子」である事には変わりはないだろう…そうも感じているのですね。
 なぜなら、「フォースのダークサイドを体現する者」パルパティーン皇帝が、アナキン=ヴェイダーの新しい「父」として出現することになると思われるからですね。
 しかし、「フォースのライトサイドに偏りすぎた父」ジェダイ(騎士団)とは正反対の存在ではあるものの、「フォースのダークサイドに偏りすぎた父」パルパティーン皇帝もまた、フォースをダークサイドにのみ引きずりよせてバランスを崩し、『スター・ウォーズ』世界そのものを不安定な状態にしてしまう存在と思われるわけで…なので「フォースの申し子」は再び、この「ダークサイドに偏りすぎた父」を滅ぼさなくてはならなかったのではないか…そのために「父殺し」が再び、必然として行われる事になり、最終的に「フォースにバランスが取り戻される」=「ライトにもダークにも偏りすぎる事なく、その中間の状態になる」状態となり、世界そのものも安定するという結果がもたらされたのではないか…そう、私には感じられるのですね。
(とはいえまたも、「父」と見なせるのではないかと思われる存在を「打倒する」、つまり再び「父殺し」を実行してしまったために、いわばその報いを受けるという意味もあって、ヴェイダー=アナキンはその直後に死ぬことになるのだろう…そうも感じています)


 とはいえ、以上の事はあくまでも「予言の成就」…フォース、そして世界そのものの「バランス回復」という視点…いわゆる「神の視点」からのみ、「予言の子」=「神(運命)の道具」という存在の意味と、その存在が世界にもたらす結果を考えてみたに過ぎない、そうは思っているのですね。
 実際には、アナキンは「予言の子」「フォースの申し子」であると同時に、おそらくは仮にその姿を取った存在に過ぎないと思われるとはいえ、1人の「人間」でもあったわけで…なのでもし、マスターのオビ=ワンをはじめとするジェダイたちが心からアナキンという「人間」を受け入れ、理解しようとしていたとしたら…また同じ「人間」としての情愛をもって、接することができていたとしたら…もしかしたらアナキンも、ジェダイ(騎士団)を打倒すべき「敵」として憎悪してしまうことにもならず、結果的に「父殺し」というこの世で最も重い罪の1つを犯さなくてもすんだかもしれない…そしてまた、実際に『スター・ウォーズ・サガ』で描かれていくと思われる、「誰にとっても悲劇に直結する」形での「予言の成就」ではない、違う形での「成就」がありえたかもしれない…そんなことを思ったりもするのですね、「もし」という言葉に意味がないということは、よく分かってはいるのですが。

 しかし実際には、ジェダイ騎士団…そしてその構成員であるジェダイたちが、マスターであるオビ=ワンも含めて、アナキンという存在を「本当の意味で」受け入れることはついになかったのではないか…そうも思われるのですね、残念なことではありますが。


 入団時のいざこざや「予言の子」にまつわるいきさつなどのために、おそらくアナキンは最初から、ジェダイ騎士団の中で孤立せざるを得ない立場に置かれてしまったのではないか…そしてその後もアナキンと他のジェダイたちとの距離が埋まることはなく、お互いに対する本当の意味での理解も生まれないままだったのではないか…そして最終的には、アナキンは一応はジェダイとして扱われるようにはなったものの、おそらくは無意識のうちに他のジェダイたちから「例外」と見なされるようになってしまっていたのではないか…そう、私には感じられるのですね。
 とはいえ、オビ=ワンをはじめとするジェダイたちの名誉のために言うなら、それは決して悪意からではなかったのではないか…おそらくは単にアナキンが「理解できなかった」ために、そしてお互いの間に「価値観の相違」という越えがたい壁が存在しているという事実に、アナキンとジェダイたちの双方が気づかなかったために起きてしまった、悲しむべき誤解だったのではないのだろうか…そうも思われるのですね。

 アナキンとジェダイ(騎士団)との間に存在すると思われる、「価値観の相違」…また、それが原因で起きているのではないかと思われる、お互いに対する理解不足、およびそこから生まれる確執…これがもっともはっきりした形で表れるのは、当然ながらアナキンと直接のマスターであるオビ=ワンとの関係ということになるのではないか…個人的には、そう感じているのですね。
 したがって、『エピソードIII』においてはおそらく、「予言の子」「フォースの申し子」であるアナキンが「フォースのライトサイドを体現する父」ジェダイ(騎士団)を打倒する=「父殺し」を実行する時に、マスターのオビ=ワンをいわばジェダイ(騎士団)の代表=具体的な「父」と見なして打倒しようとする姿が描かれる事になるのではないか…それがいわゆる2人の「決闘」なのではないか、そうも感じているのですね…これも個人的にではありますが。
(とはいえ、実際にはオビ=ワンの打倒=殺害には失敗したと思われるわけですが、やはり「打倒しようと決意してしまった」段階で、すでに精神的には相手を「殺している」ことになるだろうと思われるので、オビ=ワンとの「決闘」=「父殺しの実行」ということになるのではないか…そうも感じているの
ですね)


ではまた ^^☆

(2002/08/24初稿、2003/11/26改稿)



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