なんの罪もないアスナロの樹のためにできる事を考えよう。
Contents
とりあえず、冷静にならなければいけないと思いました。
いろいろ言いたいこともありますが、心が汚れるのが嫌なので、このエントリを書いておきます。
今までの流れは
ヤバい神戸市の取り組み
世界一のクリスマスツリーがヤバい
世界一のクリスマスツリーprojectについていろいろ聞いてきた
などをお読みください。
本日、神戸で、鎮魂の想いをのせたとプラントハンターの西畠氏のいう「世界一のクリスマスツリー」の点灯式が行われます。
世界一のクリスマスツリーイベントの目的は果たされない
昨日の神戸新聞にこんな記事が出ておりました。
2017/12/1 06:01神戸新聞NEXT
神戸港巨大ツリー 催事後伐採「生田神社鳥居に」神戸・メリケンパークで2日から観覧が始まる「世界一のクリスマスツリー」。
催事後の木の使途が「未定」とされたことなどで批判の声が上がる中、計画のプロデューサーで、希少植物を求めて世界を巡る「プラントハンター」の西畠清順さん(37)=川西市=が30日、神戸新聞社の取材に応じた。
ツリーは伐採し、一部は生田神社(神戸市中央区)の境内にある社の鳥居として奉納すると説明。
「計画当初から材木にする前提だった」と話した。(上杉順子)西畠さんは、企画を主催する「めざせ! 世界一のクリスマスツリープロジェクト」実行委員会のホームページでも同日、同様のメッセージを発表。
木の行く先が不明な時期に販売が告知されて物議を醸した、木の玉を付けたバングル(腕輪)は同日、実行委に名を連ねる販売元の大手通販会社フェリシモ(同市)が販売休止とした。
同社は「枝など一部を使用する」としていた。ツリープロジェクトは、富山県氷見市から船で運んだ約30メートルのアスナロの木を2~26日、飾り付けて観覧イベントを開く。
希望者が飾りを買って願い事などを記し、飾った数でギネス記録に挑む。生木のツリーとしては世界最大級で樹齢は推定150年という。
神戸港開港150年目の記念や、阪神・淡路大震災の犠牲者の鎮魂を目的とする。
実行委は西畠さんの会社「そら植物園」(川西市)を中心に神戸市などでつくる。11月17日にクレーンで木がメリケンパークに設置されると、その行く末などを巡りネット上などで活発に議論が交わされていた。
使途を「未定」とした理由について、西畠さんは
「根があると施工時に固定しやすい。木が長持ちするので子どもたちに緑が元気な本物の木を見せたかった」
などと説明。
「未定」が議論を呼ぶことは想定していたといい、「今後を想像したり、議論したりして植物の命について考えてほしかった」としている。「応援してくれる人や団体に心配や迷惑を掛けたことは謝罪するが、世間に謝っているわけではない。ツリーを見るのが嫌な人は見なければいい」とも話した。
世界一のクリスマスツリーの一部(二割)が、生田神社の生田の杜の鳥居になるということですね。
このプロジェクトの目的は、
神戸港開港150年目の記念や、阪神・淡路大震災の犠牲者の鎮魂
です。
しかし、
あすなろの樹で高さ30mあるなら、樹齢250年以上であるので、神戸港開港150年目の記念とは全く関係ありません
そして、阪神・淡路大震災の犠牲者の鎮魂を目的にしているにも関わらず、プラントハンターの西畠氏は、
ツリーを見るのが嫌な人は見なければいい
と言ったというのです。
この言葉、神戸の人にとっては、鎮魂を馬鹿にされているようにしか思えません。
俺の作ったツリーが見れないのならば、鎮魂をする資格がない。
と言っているわけです。
もう、ちょっと、言葉が出てこないですね。
みんながどれくらい怒っているのかは、
プラントハンター・西畠清順さん「ツリーを見るのが嫌な人は見なければいい」【世界一のクリスマスツリー】
を見ればわかると思います。
この時点で、このプロジェクトの目的の二つは、達成不可能なものとなっているわけですね。
意識高い系
2016.2.5に発行された私のメルマガ no.136 に、「意識高い系」というエントリがありましたので、紹介します。
*写真やツイッターを加えただけで加筆修正してません。
意識高い系の学生が増えてます。
意識高い系っていうのは、インターネット上で自分の経歴や人脈を過剰演出したり、
世界一周したことを誇ってみたりして、
一見スゴい人のように思えるのですが、実際の経歴や活動や、話してみると大したことない人々のことを差します。
これは、私が大学生のころよりも、確実に増えてます。ネットが普及し、ネットで得た知識が万能であると勘違いした若い人が増えているからでしょうか。
そして、そういう意識高い系の学生を食い物にしようとしている、大人の意識高い系の人たちも増えてきました。こうすればあなたも金持ちになれる!と講演してみたり、「虎が教える!羊な君が虎になれる方法」などというセミナーをしてみたり、放射性物質による被害が増えるから対策を!と訴えてみたりしています。
そして、実力のない意識高い系の学生は、そういうセミナーに出て、聞きかじりの知識を得て、自分が強くなったと勘違いして、社会に出てから「やらかして」しまうのです。虎が強いのは、もともと強いからであって、羊が虎になれるわけがないんです。
それを理解できずにいる意識高い系の人が、ホイホイとその話に乗って、虎に食べられる。
ということを繰り返すことで、世の中はうまく回っているのですが、その被害者が多いんです。羊から虎になりたいのならば、まず、羊であることをやめ、生まれ変わらないといけないのに、それをせずに、一足飛びで虎になろうとする世間知らずさんが増えております。
意識高い系の人たちは、知識もないのに、自分のやっていることが正しいと確信して、周りに迷惑をかけていきます。(以下略)
まるで、誰かの出現を預言しているかのようなエントリでしたね。
彼には、彼自身の言葉を送りたいですね。
そしていま、この「声」を聞いたあと、ドアを開けて広がる現実をちゃんとみていただきたい。
神戸を、鎮魂を、なめないでいただきたい。
私の鎮魂のあり方は、阪神・淡路大震災の時にいただいた恩を返していくこと
さて、この「世界一のクリスマスツリープロジェクト」が「阪神・淡路大震災の犠牲者の鎮魂」であるということなので、私のメルマガエントリ「2013.10.18 発行 no.24 いま私にできる事を考えよう」を一部ご紹介したいと思います。
興味のない人は、読み飛ばしていただいて、「あすなろの樹のためにできること」をお読みください。
いま私にできる事を考えよう
阪神淡路大震災当時、大学生だった私は下宿先のマンションで被災しました。
朝、ゴゴゴゴって音で目が覚めたすぐ後に、ドーンときて、グラグラ。
おさまってから外に出てみると、コンクリート造り以外の建物はほぼ崩壊。
「ここに主人が埋まってるから誰か助けてー!誰か~!」
という声が横の家から。
もちろん、知らない人。
無視して逃げました。
友達を探しに行くと言って逃げました。
若干20歳の私には怖すぎましたね。
人の命を左右する事態は私には重すぎた。
瓦礫から手だけが出ている。
引っ張り出され、助かった人も、けがをしたまま、血を流したまま、残りの家族を必死で助けようと瓦礫をのけようとしてました。
人力ではほとんど助けられるはずがありません。
自分の子供がそこにいるのに、声が聞こえているのに、助けられない無力さを体感した人は多数いる事でしょう。
停電していた電気が一時通電し、それがあだになり、火災発生がした模様です。
ものすごい火事が起きました。
瓦礫の中で、生きながら焼かれた人も多数。
救援物資が入ってきたのは夜です。
一番困ったのはトイレ。
冬、暖房もなく、丸一日を過ごし、みんな下痢になります。
不衛生な環境です。
しかし、流す水が無い。
トイレは山盛りです。
すぐにトイレは使えなくなります。
避難所は遺体安置所と壁一枚挟んだだけ。
異臭と鳴き声のなか、救援物資をもらいに並びます。
食べない、食べられない人は衰えていきます。
自衛隊は、船にあるお風呂を提供してくれました。
これが一番ありがたかったように思います。
お風呂は命の洗濯ができます。
みんなホッとできます。
ホッとしすぎた人は湯船で脱糞してしまいます。
すぐにお湯も使えなくなります。
それでも、寒さにはかないません。
みんなで大事にお湯を使います。
後で聞いたのですが、阪神淡路大震災の時、全国から、たくさんの義援金と支援物資が送られていたとのこと。
被災者である私はそんなこと全く知りませんでした。
生きるのに精一杯でしたから。
私にはこの阪神淡路大震災におけるトラウマがあるようです。
あの時何もできなかったっていうトラウマです。
そして、もし次に災害があれば、当時できなかった災害支援をしたい。たくさんの人々にいただいた恩返しをしたい。という想いを頭の片隅に置くようになりました。
東日本大震災の直後、私たちは神戸から東北への恩返しという事でKOBE元気玉プロジェクトを立ち上げ、ポートアイランドにあるゴルフ場に皆様からの「震災を経験したからこそわかる本当に必要な支援物資」を集め、20tトレーラーの運転手さんに義捐金ではなく「ガソリン代」を手渡し、行政が動くまでの間をつなぐため、民間でいち早く相馬、南相馬に支援物資を送りました。
詳しくは支援物資という善意が無駄になるケース
このような経験を通して、私の中では、恩返しが鎮魂と結びつくようになったのです。
さて、そんな私は先日(2013年10月13日)、二つの大震災の語り合いの場にいってきました。
場所は、福島県南相馬市原町区本町のゆめはっと多目的ホール。
これは、阪神淡路大震災の教訓を風化させずに、東日本大震災で被災した人にも知ってもらいたい。
そして、東日本大震災で被災した人々と、語り合いたい。
ということで、アートチャレンジプロジェクトという組織を立ち上げ、神戸市の助成金を得て行った事業です。
趣旨は、
「阪神淡路大震災からの復興に尽力した方をゲストに、当時の震災直後の体験談や、神戸の復興を通して得た「まちづくりの教訓」を聞くことで、今後の南相馬の「まちづくり」において、個人個人で出来ることを共に考えていける会になればと思い、震災体験者同士だからこそ話せる「本音で語り合える」場を設ける。
です。
ゲストスピーカーは、
井本さん /(一社)相双ビジネス支援協会代表理事(石切観音院金剛寺 住職)
新井さん / 灘駅前商店会 会長(バザールin 六甲 会長)
熊谷さん /(公社)隊友会神戸東支部長(震災当時 陸上自衛隊部隊長)
中筋さん /(公社)隊友会神戸東支部事務局長(震災当時 神戸市立王子動物園飼育職員)
いいな /(一社)ホワイトレイヴン理事(理学博士 元放射線業務従事者)
主催者:一般社団法人 ホワイトレイヴン(南相馬市)・アートチャレンジプロジェクト実行委員会(神戸市)
となっております。
各スピーカーの語られたことを簡単に紹介します。
まず、住職である井本さんがおはなしされました。
震災がおこり、水が必要という事でとってもおいしい水をわざわざ取り寄せ、被災地にトラックで運び込んだ。
しかし、被災地に足りていない水は、トイレの水だった。
ここで、支援者と、被災者との間で「必要なものが違う」ということを学んだそうです。
火事で焼けた長田の街を見て回り、焦げた死体を何体も見て、
「なぜ、こんな悲惨な人生の終わり方をしないといけないといけないのか?」
「生きながら焼かれ、どんなにつらかったことか、どんなに熱かったことか。」
と、当時の思いを涙ながらに語られてました。
「お坊さん、お経をあげていただけませんか?」
との声で、遺体安置場へ向かうと、死んでゆく人が不安にならぬよう、案内として枕元で死をみとりながらあげるお経である枕経すら行えていない状態でした。
お坊さんも被災しているのです。
外部からお坊さんが来てくれたことは被災者の心の励みになったことでしょう。
井本さんは、ご飯も食べずに一人ひとりにお経をあげ、大阪まで帰りました。
あるおばさんは、被災して食べるものが無いのに、そっとふところにおにぎりを入れてくれたそうです。
こういう経験をしたからこそ、地震、津波、放射能と、その他の被災地よりも多い苦難を抱える南相馬にいち早く駆けつけ、鎮魂のためのモニュメントを建立し、
「私はお経を唱える事しかできない。自分ができることを、できるだけ行いたい。」
との思いで、いまでも活動なさっておられます。
次に、新井さんがお話になられました。
新井さんは、阪神淡路大震災直後から5月30日のまで、被災者100人に炊き出しを行ってきました。
自腹の額は600万円。
その他、被災者が復興住宅に当選するまでのお金の保証人にもなっています。
数十人の保証人となり、お金が返ってきたのは数名。
その他の人は逃げたため、これまた莫大な借金が残ります。
総額2500万の負債。
これを、やっと、今年返し終わり、やっと南相馬に来るお金が用意できたという事です。
炊き出しは、JR灘駅の北側の駐輪場の前で行っていました。
いまでも、JRは、その炊き出しでへこんだ道路の部分を補修せずに残してくれています。
炊き出しでは、炊飯器で炊いたお米は炊飯器ごと盗まれたりすることも多かったようです。
また、生活必需品を数千円で売り歩く人もおり、新井さんはこの震災で、
「人の温かさと醜さの両方を知った。」
と言っておられました。
新井さんは、今現在も、約2年間、JR灘駅を朝の2時から毎日ボランティアで掃除しておられます。
そして、神戸市や兵庫県からもたくさんの賞をもらっておられます。
今回の事業では、兵庫県知事、神戸市長のお二人から、南相馬市長の桜井さまへのお祝いのメッセージを頂いております。
これも、新井さんのお世話となっております。
次にお話されたのは阪神淡路大震災当時、陸上自衛隊部隊長だった熊谷さんです。
彼は通信の部隊長で、震災から少ししてから被災地に入りました。
長田では、焼けた家の前でうつ状態でたたずむ若者をみたことや、湊川では、パチンコが大繁盛していたことなどをはなしていました。
阪神淡路大震災では、全壊、半壊の家にはそれぞれお見舞金が出ました。
やることのない被災者は、そのお金でパチンコをしていたようですね。
途方に暮れて自殺する人がいる一方で、ギャンブルをする人もいます。
一概に「被災者」としては括れないようです。
阪神淡路大震災の起こった日、公式には自衛隊への派遣要請が午前10時に出たことになっていますが、実際は翌日に出たらしいです。
当時の兵庫県知事の貝原さんと、自衛隊、また、神戸市は非常に仲が悪かったのです。
知事の派遣要請が無ければ自衛隊は動けないため、部隊は独自で動けるぎりぎりのところまでしか進めなかったらしいです。
当時の部隊の動きを、図で説明しながらお話してくださいました。
ブレインの少なかった知事は、自衛隊派遣要請をすること自体を知らなかったのではないかと、私は思います。
県と市が仲が悪いと、大規模災害の時に対応が遅れてしまいます。
次に、中筋さんのおはなしです。
中筋さんは自衛隊に入隊し、その後公務員試験を受け王子動物園で働いていました。
震災当時は定時制高校に通っていました。
当時の定時制高校に通う6人が、ドキュメンタリーで追跡取材されていたので、そのビデオを編集して見せてくれました。
震災の影響で、内定が取り消しになった人や、震災復興のための工事を行いそのまま会社を設立したひとなど、震災に翻弄された高校生の人生が描かれていました。
中筋さんは震災後、動物とふれあってもらうことで人々の心を癒すことに専念しておられます。
いまでも王子動物園で働いておられ、コアラの飼育担当をしています。
王子動物園では、アシカの水槽などが井戸水を使用しているため、トイレは常にきれいに保っていたそうです。
王子動物園は当時、遺体安置所と、避難所になっていました。
隣の王子競技場には、自衛隊のヘリコプターがいて、ものすごい騒音でした。
騒音と言えば自衛隊のヘリもそうですが、報道のヘリの音により、「助けてー!」の声が聞こえず、助けられずに死亡した人もたくさんおられます。
そして、最後に、私がしゃべらせていただきました。
人は簡単に騙されるよ!っていうお話を、実際にみんなを騙しながら行いました。
やっぱりほとんどの人が騙されちゃいますね。。。
その後、このメルマガで書いているようなことを説明しながら、納得してもらいながらお話しました。
そして、なんでも質問に答えるよ!タイムに入りました。
たくさんの質問が出ました。
当時、怖くて夫と別居して避難した奥さんは、私の話を聞き、放射線ってそんなに怖くないという事を知り、目からうろこが落ちたと言ってました。
そして、今までの行動を後ろめたく感じてしまっていたようです。
途中から泣き出してしまいました。
子供に放射線の影響があるかもしれない!と考えながら、避難せずにストレスを抱えて暮らすよりも、避難してストレスを軽減し、何も起こっていない事を確認してから帰ってきた彼女は正解に近い行動をしたと思います。
しかし、子供はすぐに友達ができるのに対し、大人の彼女はなかなか友達ができない。
帰ってきたら帰ってきたで居場所が無い。
こういう悩みを抱えているお母さんはものすごく多いと思います。
私がすごいなぁと思ったのは、南相馬の地元の団体が、
「みんなが帰ってこれるような仕組みづくり」
をすでに行っていたことです。
たとえば「ミュージカル」。
子供たちをキャストにし、杉並区の子供たちと「まんまる革命」というミュージカルを行っていました。
子供が集まるって事は、お母さんも集まるのです。
子供たちが友達になればなるほど、ママ友も増えていくのです。
避難から帰ってきた彼女も、そこでたくさんのママ友を作ることができたのです。
こういう取り組みが地元から出てくる地域は避難から戻ってきやすいと思います。
本当に、地域の事を考えて、本当に避難した人を考えているからこその帰還支援なんだと思います。
地元以外の人がいくら会議室で議論しても出ない答えを見つけ出し、実践している団体にこそ、復興支援金を使ってほしいですね。
しかしやはり、避難されていたお母さんは、心の奥底で、「本当に放射線は大丈夫なの?子供は大丈夫なの?」という不安をずーっと抱えているものです。
「わたしができる事は、こうなったらこうなると実例を挙げながら、科学的根拠を示しながらお話すること」
です。
今現在、実例を挙げながら、科学的根拠を示しながらお話することができる人は非常に少ないです。
ある程度の科学者としての実績と、町づくりに関わったことのある経験と、その町の人と気軽に話せる環境とを持った人は、なかなかいないと思います。
わたしはわたしにできることをやっていこうと思います。
質問で、
「こんなに少ない参加者でいいんですか?主催者としてもったいないと思わないんですか?」
っていう質問をくださった方がいました。
大変ありがたいですね。
でもね、こんななんの地位も名誉もない一介の元研究者の話を聞くよりも、東大の教授の話のほうがためになると思っている人が多いのは当たり前なんです。
だからこそ、私は、地位も名誉も関係のない、ツイッターなどの実力のみの世界が好きなのです。
ちなみに、20分の持ち時間なのに、質問が40分以上続きました。
やはり、放射線のことはみんな知りたいようです。
みんな不安なんですね。
あすなろの樹のためにできること
アスナロの樹は被害者
私の鎮魂の意味とは、恩返しにあります。
プラントハンターの西畠氏は、鎮魂の想いとして、メッセージを発信しています。
鎮魂、そして神戸で開催することへの想い。
最後に。
鎮魂の想いとは、震災を経験したすべての人が口にする権利があると思います。
そして、その気持ちを否定する権利はだれにもないと思います。
今回の場合でいうと、このプロジェクトで関わっているたくさんの神戸の関係者、そして僕自身が阪神・淡路大震災を経験したひとりであり、鎮魂の意味のこもった光の祭典・ルミナリエと並行しておこなう神戸開港150年のこのタイミングで、決意を共にしています。
その想いは、このプロジェクトに奔走する関係者のみなさんなどの顔をみれば、わかってもらえると思います。
彼も阪神淡路大震災の被災者なのですね。
わたしには、これを読んでも西畠氏のいう鎮魂がどういうものかわかりません。
私の中の鎮魂の定義と、プラントハンターの西畠氏の考える鎮魂の定義が違うのは当たり前です。
もちろん、すべての人の中で、鎮魂の意味は違うと思います。
西畠氏が「自分の個展などで」鎮魂の何をどうしようが勝手です。
しかし、公共の場で、鎮魂を名目に好き勝手されては黙ってはおけないです。
西畠氏のはなしとあすなろの樹は別です。
あすなろの樹は何も悪くないんです。
しかし、今現在、「あのアスナロの樹が生田神社の鳥居になる!」ということで、不快感を示している人もたくさんおられます。
わかります。
西畠氏が、ヘルメットもつけずに足蹴にしてたり、神事後のしめ縄に梯子をかけてたり、キリスト教なのか仏教なのか神道なのかわからないし、鎮魂セレモニーなのにブリの解体をするしなどなどなどなど、普通の日本人なら怒るのは当たり前です。
そんなことをされた樹を鳥居になんて、嫌だと考える人がいてあたりまえです。
でもね、それ全部、プラントハンターがやったことで、アスナロの樹は関係ないんです。
アスナロの樹がただただ可哀そうなんですよね。
もう枯れることはわかっているので、より良い形で木材として活用したいと思うんです。
氷見の嫁鰤(よめぶり)
アスナロの樹は富山県の氷見から、神戸にお嫁入りしてきました。
富山県の氷見には、こんな風習があるそうです。
氷見の地域ストーリー
「嫁ぶり」って何?「嫁ぶり」とは、結婚した年のお歳暮に、お嫁さんの実家から嫁ぎ先へ、上等な寒ブリを丸々一本贈る風習です。いただいたほうは、その半身を、また実家へお返しする「半身返し」をします。
嫁入りしてきた時に、ブリを丸々一本贈り、贈られたほうは半身をお返しするという風習です。
氷見から来たアスナロの樹の一部は「神戸の生田神社の生田の杜の鳥居」になる予定です。
それならば、嫁鰤と同じように、もう一つ鳥居を作って氷見にお返しし、神戸と氷見の友好の証としたらいいのではないのか?と考えました。
今までのいろいろな不快感は、すべてを受け入れてくれる生田神社や氷見の神社で清められ、かつ、アスナロの樹もきちんと木の役割を果たすことができると思うんです。
西畠氏が鳥居を奉納した。となれば、神戸市民は猛反対するでしょう。
神戸市民は彼を受け入れることはできないと思います。
なので、
生田神社への鳥居の奉納は氷見市一同より。
氷見への鳥居の奉納は神戸市一同より。
としたら、神戸市民も、氷見市民も、プラントハンターさんもうまくまとまるんじゃないでしょうか。
皆さんの意見もいただければ幸いです。
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