登場人物の立ち位置について


 心理学の世界では、2人の人間が並んでいる場合に、どちらが「右=相手に自分の心臓をさらす位置」にいるか? という点に注目して、その2人の「力関係」を推察するヒントにする事があるのだそうです。
 結論を先に言いますと、右にいる人の方が「強者」…つまり2人の「力関係」において、左にいる人よりも「(力が)上」という事になるのだそうです。
 したがって、多くの場合では「左」にいる人の方が、「右=強者の位置」にいる人の関心や愛情を「より強く」求めている…そう推察する事が可能である、そういった話があるのですね。


 この話をもとに、たとえば『エピソードII クローンの攻撃』におけるアナキンとパドメの「立ち位置」を見てみると、興味深い傾向が見られるのですね。
 早く言うなら、「右=強者」の位置にいるのが、よほどの緊急事態でもない限りパドメの方なのですね…より積極的に迫っているはずのアナキンなのですが、実際の「立ち位置」はほとんどの場合において、「左」なのですね。
(後ろにいる事もありますが、「護衛」であるという立場を考えれば当然でしょう…特に公の場などにおいては)

 この事を、先にあげた心理学的な「力関係」の法則と照らしあわせてみると、「右=強者」の位置に立つパドメに対して、「より強く」関心や愛情を求めているのは、「左」にいるアナキンの方であるといった解釈をする事が可能ではないだろうか…そう、私には思われるのですね。
 また、『エピソードII』の中においても、実際にそう描かれていると見なしてもよいのではないだろうか…そうも思っているのですね、個人的にではありますが。


 また、アナキンとオビ=ワンの場合においても、同様の傾向が見られるのではないか…そうも感じているのですね。
 もっとも、パドメにくらべると(マスターとパダワンだというのに)一緒にいるシーンが少ない2人ではあるのですが…たとえば、最初に2人が登場してくるエレベーター内での会話シーンにおいて、「右=強者」の位置に立っているのは、やはりオビ=ワンの方なのですね。 
 続くシーンで、アミダラたちと向かいあってソファに座り、警護の打ちあわせを行っている時もやはり「右」の位置を占めているのはオビ=ワンであり、アナキンが座っているのは「左」なのですね。
(で、犯人の逮捕を強く主張したものの、説教を食らっておしまいになってしまったりもしたわけで…)


 この事もまた、「右=強者」の位置にいるオビ=ワンに対して、「より強く」関心(や愛情)を求めているのは、「左」にいるアナキンの方であるという事を、暗にとはいえ表現しているのではないか…そう思われるのですね。
(もちろん、10年ぶりに再会したパドメにいい所を見せたいというアナキンの思いが、いわば先走りしてしまったという意味あいが強くこめられているシーンでもあるのでしょうが)


 また、アミダラの警護に当たっている途中、オビ=ワンにうながされて「この所ずっと、母シミの夢にうなされている」と、アナキンが打ちあけるシーンでも…最初は向かいあって話していたわけですが、並んで歩きだすとやはり、オビ=ワンが「右」でアナキンが「左」…この「立ち位置」がまたも、成立しているのですね。

 ところが、おもしろい事にアナキンとオビ=ワンに関しては、この「立ち位置」をおそらくはわざと逆転させたのではないかと思われるシーンが、実はあるのですね。

 本来は警護の対象であるはずのアミダラを、本人の希望があったとはいえ「おとり」にして暗殺犯を「おびきよせる」というアナキンの考えを聞いたオビ=ワンが、「危険すぎる。お前の感覚は、まだ怪しいから」とたしなめたのに対し、
アナキンが「あなたは?」と逆襲し…一瞬絶句してから
オビ=ワンが「まずまずだ」と答えるシーンにおいて…「あなたは?」と逆襲した直後、アナキンの「立ち位置」が微妙に変わり、オビ=ワンの「右=強者」の位置に回っているのですね。
(ちなみに、この直後には「向かいあう」位置…いわゆる「対決」の位置に移行し、なおも激しく意見をぶつけあっているわけですね)

 この事はおそらく、
  • アナキンが自分の持つ「力」に対し、絶対的な自信を持っている事
  • その自信とおそらくは表裏一体の関係にあると思われる、「力の価値観(力がすべて、強い者が正義)」を持っている事
 この2つを、暗にとはいえ表現しているのではないか…そう、私には感じられるのですね。


 とはいえ、この「立ち位置」で見る強弱の関係…心理学的な「力関係」の法則が成立していないのではないかと思われる人間関係の例も、実はプリークエルにはあるのですね。
 『エピソードI 見えざる脅威』におけるクワイ=ガン・ジンとオビ=ワンの場合が、その例に当たるのではないか…そう、私には思われるのですね。

 普通に考えれば、マスターであるクワイ=ガン・ジンが「右=強者」の位置を占め、パダワンであるオビ=ワンが「左」に位置するだろう…そう思われるわけですね。
 ところが実際には、この2人の「立ち位置」はその時々によって右だったり左だったりと定まらず、しかもマスターであるはずのクワイ=ガンの方が、オビ=ワンの「左」にいることが多いのですね。

 したがって、「やはり、<立ち位置>など存在しない…すべては単なる偶然だ」と解釈してしまう事も、当然ながらできるだろうとは思うのですね。

 とはいえ、そうと決めつけてしまう代わりに少し発想を転換してみる事ができるなら、おそらくはプリークエルをより「おもしろく」「興味深く」観る事もできるようになり、登場する人物たち…また、彼らの人間関係の「本質」を見いだす事も、もしかしたら可能になるのではないか? そう、思われるのですね…これまた、個人的な意見ではありますが。


 さて、「なぜ」クワイ=ガンとオビ=ワンの間には、先にあげた心理学的な「力関係」の法則が成立しないのか? この事にはおそらく、深い意味が隠されているのではないだろうか…そう、私には感じられるのですね。

 なぜなら、この師弟の間にはおそらく、「力関係」の強弱などをはるかに超えた深い信頼と愛情…そしてお互いに対する深い理解がすでに存在しているために、「立ち位置」などはもはやこの2人にとっては、何の意味も持たないのだろう…まずはそう解釈する事ができるのではないかと思われるのですね。
 その理由としてあげられるのは、この2人の間にはいわゆる「緊張関係」とも呼ぶべき「力関係」が存在していないと思われる、その事なのですね。
 これをたとえば、『エピソードII』におけるアナキンとパドメの関係…また、アナキンとオビ=ワンの関係と比較してみた場合、この事はいっそう際立ってくるのではないだろうか…そうも思われるのですね。


 まず、『エピソードII』におけるアナキンとパドメの関係ですが、これは言うまでもなく「恋愛関係」…しかも成立「中」なので、いわゆる恋愛の駆け引きというものがしきりに行われている「緊張関係」といえるだろう…そう、思われるわけですね。
 もちろんこの場合は、おそらくはときめきと不安とが入り混じっているだろう「緊張関係」によって、恋愛そのものもいっそう盛りあがるという形も成立するだろう…そうも思われるわけですね。

 次に、『エピソードII』におけるアナキンとオビ=ワンの関係ですが…10年来の師弟であり、お互いに信頼と愛情を抱いているとは思われるものの、おそらくはお互いの持つ価値観の「相違」によると思われる理解不足によって、2人ともフラストレーションを起こしてしまっているという、こちらは一種不毛な「緊張関係」にあると思われるわけですね。


 おそらくはタトゥイーンじこみと思われる、「力の価値観(力がすべて、強い者が正義)」を持っているアナキン…それに対し、生粋のジェダイとして「ジェダイの価値観(名誉ある騎士として、力は「防御と英知」に役立てるためにのみ使う)」を持つと思われるオビ=ワンとが、お互いに理解しあえないのはむしろ当然ではないか…そう、私には思われるのですね。
 とはいえ、 「なぜ」自分たちはすれ違ってしまうのか? 「何が」その原因なのか? という事に2人ともが思いいたっていないために、実は2人の間には「価値観の相違」という越えがたい「壁」が存在し、それがお互いに対する理解を妨げてしまっているという事実にもまた、2人ともまったく思いいたっていない…そうも感じられるのですね。

 すれ違いの原因に思い至らないまま、アナキンとオビ=ワンは事あるごとに力を競いあい、反発しあいながら、不毛な「緊張関係」を続けているわけで…だからといって、お互いに対する信頼や愛情が「ない」とは言えないだろうとは思うのですが、それで「価値観の相違」が解消するわけでもないでしょうし…この不安定な師弟関係は、一歩間違えると「抜き差しならない」対立関係に発展してしまう怖れさえはらんでいるだろう…そう見なしてもよいのではないか、そうも思われるのですね。

 この事はまた、いずれアナキンがオビ=ワンをはじめとするジェダイ(騎士団)そのものを「自分を理解しようともせず、受け入れようともしない」存在として憎悪するようになり、最終的にはその打倒を決意してしまう事にもつながってくるのだろう、そうも感じているのですね。


 このような、アナキンとパドメ…またアナキンとオビ=ワン、それぞれの関係に見られると思われる「緊張関係」…当然ながら、意味あいはまったく異なるわけですが…これが存在していないと思われる事から、『エピソードI』におけるクワイ=ガンとオビ=ワンの一見すると不思議な「立ち位置」の問題は、実は問題そのものが「意味を持たない」という事によって、いわば逆説的に2人の間に存在する「絆の深さ」を、暗にとはいえ表現する事に成功しているのではないだろうか…そう、私には思われるのですね。

 また、この師弟間の「絆の深さ」の暗示と同時に、もう1つの暗示が秘められている可能性もあるのではないだろうか…そうも感じているのですね。


 プリークエル時代のジェダイ(騎士団)にあって、ただ1人「生けるフォース」を重んじていたクワイ =ガン・ジンは、おそらくはそのためもあって
当時のジェダイたちに共通して見られる「節穴」「意識の欠落」…フォースのライトサイドにこだわり過ぎ、ダークサイドを徹底的に退けてしまっていたために、結果としてダークサイドそのものを「見えざるもの」「存在しないもの」のように感じてしまう意識のあり方のこと、なのですが…にも、おそらくはただ1人無縁であったのではないだろうか、そう私には感じられるのですね。
(したがって、ダース=モールの襲撃を受けた際にもすぐ、「シスの手の者だ」と「判断(洞察)」する事もできたのではないか、そうも思われるわけで…こだわりがないために、必要とあればすぐ発想を転換できるからなのでしょうが、これもできるのは結局クワイ=ガンだけで…「ありえない」を連発する評議会メンバーなどと比較すると、ますます異質というか、1人浮いているというか…)

 おそらくは、プリークエル時代におけるただ1人の「真のジェダイ」だったのではないかと思われるクワイ=ガン・ジンは、いかなる状況においても常に周囲に流される事なく冷静に自分を保ち、自分なりの判断を下す事ができる人だったのではないか、そう私には思われるのですね。
 したがって、
「立ち位置」に関わらずいかなる相手に対しても常に「強者」である事もできる、まれな人物でもあったのではないか、そう解釈する事もできるのではないだろうかと思われるのですね… これまたあくまでも、個人的な意見ではありますが。


 ではまた ^^☆
(2002/08/28初稿、2003/10/31改稿)



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