アミダラか、パドメか…アナキン転落(の原因)について・続き アナキンのダークサイド転落は、1つではなくいろいろな原因が絡みあった結果として起きたものと思われる…そう、基本的には考えているのですね。 ただ、愛する人=パドメに「裏切られた」(と思い込んだこと)が、アナキン転落の最大にして直接、そして決定的な理由ではないか…個人的にはそう感じられるので、まずはこのことから書いてみようと思ったわけなのですね。 『エピソードI 見えざる脅威』において、ナブー女王アミダラは身を守るために本名の「パドメ」を名乗り、侍女に変装していました。 しかし『エピソードII クローンの攻撃』においても、彼女は未だに「パドメ」と呼ばれ続けています…もちろん、「アミダラ」とも呼ばれていますが…そもそもなぜ、彼女は2つの名前を使い続けているのでしょうか? 身を守るためではないだろうということは、少なくとも確かではないかと思われるので…「パドメ」が実は「アミダラ」であるということは、すでに知れわたっている事実ではないかと思われますから…身を隠すために「パドメ」の名を使う意味はないだろうと思われますし、実際にもそういった使われ方はしていない…そうも思われるわけですね。 したがって、「アミダラ」と「パドメ」…この2つの名前が象徴しているのは、彼女が身を置いている「立場」そのものなのではないでしょうか。 おそらくは 、「公人」としての「アミダラ」と「私人」としての「パドメ」…彼女の持つ2つの側面が、2つの名前という形で具体的に表現されているのではないか、そう私には思われるのですね。 したがって、「パドメ」という名で彼女を呼ぶ人は、ごく限られた親しい間柄の人だけではないか、そうも思われるのですね…おそらくは「私人」としての彼女に接する機会を持ち、彼女の方も個人的に心を許している、そういった人たちだけが彼女を「パドメ」と呼ぶのではないか…そうも感じているのですね、個人的にではありますが。 さて、アナキンですが…言うまでもないことながら『エピソードI』『エピソードII』を通じて、彼は決して彼女を「アミダラ」とは呼んでいませんでした。 このことはおそらく、アナキンが彼女に対し自分にとってどういった存在でいてほしいと望んでいるかということを、暗にとはいえ表現しているのではないか…私にはそう思われるのですね。 つまり、彼女には「アミダラ」ではなく…かつてのナブーの女王、現在の元老院議員という「公人」ではなく、常に私人としての「パドメ」でいてほしい…自分のことだけを考え、そして愛してくれる、1人の女性でいてほしい…そういったアナキンのいわば無意識の願望が、この呼び方に表れているのではないか、そう感じられるのですね…これも個人的にではありますが。 しかし現実には、彼女は「公人アミダラ」「私人パドメ」という、2つの顔を持つ存在であると思われるわけで…なのでおそらく、彼女自身が「公人アミダラ」「私人パドメ」のどちらの立場に比重を置くか、あるいは置こうとするか、その選択次第によっては彼女とアナキンの間に大きな亀裂が生じてしまう可能性があるのではないか…そう思われるのですね。 一言で言うなら、お互いの持っている価値観の「相違」が表面化してしまうのではないかということになるのですが…問題は、その時「アナキンが」どういった反応をするかということにあるのではないか、そうも感じているのですね。 アミダラか、パドメか…結論から言えば、彼女はアミダラ=公人として生きることを選ぶのではないか…そう、私には思われるのですね。 かつては民主的に選ばれたナブーの女王であり、現在は元老院議員となったアミダラにとって、故郷ナブーだけでなく共和国のすべての人民に尽くし、民主主義を守るということは、彼女の人生そのものといっても言いすぎではないだろう…そう思われるのですね。 まして、ナブーと共和国の危機、つまり民主主義が失われるかどうかという事態が起こった場合…言うまでもなく、これから『エピソードIII』において起こるのでしょうが…アミダラはその危機に立ち向かうために、自分のすべてをささげて戦うでしょう…かつて、女王としてナブーの自由と独立を守るために、侵略者たちと戦った時のように。 おそらくは、どれほどアナキンを愛していても、彼女には他の選択をすることはできないのではないだろうか…たとえば一切を見てみぬふりをし、すべてを忘れて単なる1人の女性として生きることなどは、決してできないのではないだろうか…なぜなら彼女にとって、それは自分自身と自分の生き方そのものを否定することになってしまうのではないか、そう思われるからなのですね。 しかし、そういった彼女の生き方を本当の意味で理解することは、アナキンにはおそらくできないのではないだろうか、そうも思われるのですね…残念なことではあるのですが。 理屈としては、アナキンもわかっているだろうとは思っているのですが…「心から」納得することはおそらくないだろう、そう感じているのですね…これも個人的にではありますが。 その原因はやはり、アナキンとパドメ(アミダラ)…2人がそれぞれに持っていると思われる価値観に、大きな隔たりが存在することに尽きるのではないか…そう思われるのですね。 アミダラにとってはおそらく、「共和国とそのすべての人民に対して献身し、民主主義を守ること」は、ごく当たり前の価値観ではないか…そう、私には思われるのですね。 ナブーの人民をはじめ、これまで彼女とともに生きてきた人々もまた、「共和国の人民として、民主主義を信奉して生きる」ということは、わざわざ口に出して確認するまでもない…いわば「空気のように当たり前」の価値観だったのではないだろうか、そうも感じているのですね。 しかし、アナキンはどうでしょうか? 彼にとって民主主義とは、「空気のように当たり前」の価値観だったのだろうか? そうではなかったのではないか…そう感じられてならないのですね、これまた個人的にではありますが。 アナキンにとってはおそらく、民主主義など単なる理屈の1つとしか感じられなかったのではないだろうか…それも、役立たずの理屈倒れの代物とみなしている可能性が大きいのではないだろうか…ましてそのために命がけで戦うなど、まるで理解できないことだったのではないか、そう思われるのですね。 おそらくはそのために、パルパティーンがそれとなく匂わせていたのではないかと思われる独裁制の傾向についても、たいして抵抗もなく受け入れ、いつのまにか同調してしまっていたのではないか…そうも思われるのですね。 これはしかし、アナキンの性格そのものに問題があると言うより、むしろ生まれ育ちの方に大きな原因があるのではないだろうか…そう感じているのですね。 言うまでもなくアナキンは、共和国に属さない辺境の惑星タトゥイーンの出身であり…「ギャング」として共和国の人々に認識されていると思われるハット族の支配下にあって、奴隷というもっとも弱い立場で10歳まで育ってきたわけですね。 その間ずっと、おそらくは「力がすべて」「強い者が正義」というタトゥイーン独自の「力の価値観」のもとにあったのではないかと思われるわけで…共和国にしろ民主主義にしろ、まったく縁もゆかりもなく、当然ながら何の助けにもなりえない代物だった…そうも思われるわけですね。 タトゥイーンを出てからも、共和国内の普通の学校などへ通うことも一切ないまま、今度はジェダイ騎士団という独自の掟を守る集団に入ってしまったわけで…とはいえむろん、ジェダイという存在が「銀河系(共和国)の正義と平和の守護者」である以上、民主主義をないがしろにすることなどはありえないだろうとは思っていますが、騎士団という組織としてはおそらく、共和国の政治的な側面からは一定の距離を置いていたのではないか…そう感じているのですね。 しかし、このようなジェダイ騎士団の姿勢はおそらく、アナキンに限って言うならある意味では裏目に出てしまったのではないか…そうも感じているのですね。 おそらくアナキンは、独自の掟を守るジェダイ騎士団に入ってしまったことによって、「民主主義とは何か」ということを本当の意味で理解する機会を得られないままになってしまったのではないか…その結果、タトゥイーンじこみの「力がすべて」「強い者が正義」という物騒きわまりない「力の価値観」を抱いたまま、成人してしまった可能性が高いのではないか…そう、私には思われるのですね。 また、アナキンの言動を「傲慢だ」などと批判することはあっても、「何が原因で」そういった行動を取るのか…どういった価値観を持っているのか、ということをきちんと確認したジェダイは、おそらくはマスターであるオビ=ワンをはじめ、誰もいなかったのではないか…そうも思われるのですね。 とはいえやっかいなことに 、「強さ」を求めるアナキンの願望は、一見しただけではジェダイの修行と矛盾しないように見えてしまうと思われるわけで…しかし実際には、アナキンの求めていた「強さ」は、「ジェダイが『本来』めざすべきもの」とは根本的に異なっていたのではないだろうか…そう感じているのですね。 お互いの持つ「価値観」の間に、越えがたい「壁」とも呼ぶべき大きな「相違」が存在しているという事実に、おそらくはアナキン本人を含めてジェダイの誰もが、思いいたることはなかったのではないか…近い将来に起こると思われるアナキンとオビ=ワンをはじめとするジェダイ(騎士団)との決裂を招いてしまった大きな原因の1つは、この「価値観の相違」…そしてその事実が、おそらくは誰にも気づかれることなく見過ごされてしまったことにあったのではないだろうか…そうも思われるのですね、これも個人的にではありますが。 また、おそらくはジェダイ騎士団に入った時の成り行きから始まったのではないかと思われるアナキンの孤立も、「強く」なることへのこだわりをますます深めてしまったのではないか…そうも思っているのですね。 おそらく意識してではなかっただろうとはいえ、他のジェダイたちは常にアナキンを「例外」とみなしていたのではないかと思われますし…また、これも無意識のうちに「本当に『選ばれし者』なのか?」といった目でアナキンを見ていただろうことも、想像のつくことではないか…そう思われるのですね。 そういった立場に置かれたと思われるアナキンとしては、おそらく誰よりも強い力を持っていることを示さなくては、ジェダイと認めてもらえないかもしれないという不安が、常につきまとうことになったのではないか…しかし強くなろうとして、また実際にそうなればなるほど、オビ=ワンをはじめとする他のジェダイたちとの距離が、かえって広がるという悪循環にはまってしまったのではないか…とはいえアナキンとしてはおそらく、他にどうしたらよかったのかわからなかったし、今さらどうしていいかもわからないのではないか…そうも感じているのですね。 しかし、この「力がすべて」「強い者が正義」というアナキンの「力の価値観」は、当然ながらアミダラの価値観である「民主主義」と、いずれは正面からぶつかってしまうことになるだろう…そう、私には思われるのですね。 『エピソードIII』において生じると思われる、共和国と民主主義の危機に当たって…彼女はおそらく悩みはするでしょうが、最終的には「私人パドメ」ではなく「公人アミダラ」であることを選び、独裁制の確立を阻止するために最大限の努力をし、最終的には独裁者…そして独裁制を支持する者たちと戦おうとするだろう、そう思われるのですね。 しかし、アナキンにとって「パドメ」は残された最後の希望であり、シミに代わる心の拠り所であり、今や命綱そのものと言ってもよい存在ではないか、そうも思われるわけで…その「パドメ」が、彼女自身の選択によって自分から奪われる=喪失してしまうということになれば、おそらくアナキンは信じられないという思いでいっぱいになり、激しく動揺してしまうのではないか…そうも思われるのですね。 まして彼女が選ぼうとしていると思われるのは、今や腐りきっている共和国と、何がありがたいのかわからない、実際に人々を守る役に立つとはとても思えない民主主義で…そんな代物が、彼女にとっては自分より大切なのだ…そんな代物に愛する「パドメ」、唯一の心の拠り所を奪われてしまうのだ…どうしても彼女の選択を理解できないと思われるアナキンが、動揺するままにそう思いつめてしまう可能性も、ないとは言えないのではないだろうか…そうも感じているのですね (「お前は悪い方へ物事を考えるくせがある」と、『エピソードII』の序盤でパドメと10年ぶりの再会を果たした後に、喜ぶどころか愚痴をこぼしてオビ=ワンにさとされるシーンもありましたし) それに加えて、アナキンとジェダイ騎士団との決裂が、『エピソードIII』のどの時点で起こるのかを予測するのは難しいのですが…つまり、アミダラとの決別より前か後か、ということですね…ジェダイたちはおそらく、すでに騎士団が解体されていたとしても最終的には共和国と民主主義を守るために集まった人々と合流するだろう、そう思われるのですね。 これはしかし、アナキンにしてみればあろうことか、自分と決裂したジェダイ騎士団と行動をともにすることをパドメが選んだ、ということになってしまうだろうと思われるわけで…アミダラにしてみればおそらく、共和国と民主主義を守るために私情は一時棚上げにせざるを得ないという苦しい決断の結果、そうなるのだろうとも思われるのですが…価値観の異なるアナキンには、どうしても彼女の決意が理解できず、パドメは自分を「裏切った」と思い込んでしまうのではないか、そうも思っているのですね…悲しいことではあるのですが。 そしておそらく、彼女の選択に絶望したアナキンは、それを上回る怒りと憎悪のあまりに「心が凍りついて」しまい…そのすべてをぶつけてアミダラと、彼女に自分を「裏切らせた」存在、すなわち共和国と民主主義…具体的には、それを支持しようとする人々ですね…そしてジェダイたちをたたきつぶす以外に道はない、そう思い込んでしまうのではないか…そう感じているのですね。 実際にアミダラを手にかけてしまうのかどうかは、予測が難しい所ではあるのですが…おそらくは彼女がいるとわかっていながら、共和国と民主主義を守るために集まった人々の居場所を攻撃し、徹底的に破壊するといったようなことを実行してしまうのではないか…そうも感じているのですね。 (おそらく、オビ=ワンもそこにいるとわかっているのでしょう…それもまた、アナキンにとっては怒りと憎悪が倍増する理由なのかもしれませんね…パドメと同様に、オビ=ワンもまた最期までジェダイとして生きるという道を選んでしまい、やはり自分を選んではくれなかった…そういうことになるだろうと思われますので) さて、もしも本当にこれだけのことをやってのけてしまったとしたら…アナキンに残されたものは、もはやただ1つ…すなわち絶対的な力を手に入れ、すべてを支配する存在になることだけではないか、そう私には思われるのですね。 また、シディアスの方としてもこういった状態のアナキンであったら、新たな弟子とするのに不足はない、そう思うのではないかとも感じているのですね…ただし、それまでの弟子ドゥークーと対決して倒すことができたら、ということになるだろうとも思ってはいますが。 そして、アナキンの怒りと憎悪が本物であれば、以前は勝てなかった強敵ドゥークーを倒すことも可能になるはずだろうと思われるのですね…「予言の子」そして「フォースの申し子」であるアナキンは、潜在的にはヨーダをもしのぐほどの力を持っているはずなのですから。 おそらくは死闘の果てにドゥークーを倒し、いっそう力を増すことになると思われるアナキンは、ダークサイドへの完全な転向を果たし…シディアスに導かれるまま、シス卿ダース= ヴェイダーと化す道を歩いていくことになるのだろう、そうも感じているのですね…これも個人的にではありますが。 ではまた ^^☆ (『アミダラか、パドメか』・『価値観の相違』2002/08/01初稿、2003/11/15改稿)
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