戦争漫画「ペリリュー 楽園のゲルニカ」の登場人物は3頭身のかわいらしい兵隊たち。一方、描かれているのは壮絶な戦場の実態です。
気弱な主人公、田丸一等兵。戦場の悲惨さにへたりこんでしまいます。
戦争を知らない作者
作者の武田一義さんは、昭和50年生まれの42歳。
もともと戦争に深い関心があったわけではありませんでした。
この漫画を描くきっかけは2年前。天皇皇后両陛下が慰霊のためペリリュー島を訪れたニュースを見たことでした。
それまで島の名前すら知らなかった武田さん。ペリリュー戦の映像や資料を探しました。
そして、日本軍はアメリカ軍の侵攻を遅らせるため、島の洞窟に潜み、徹底的な持久戦を展開したこと。対するアメリカ軍は日本軍をせん滅するため島全体を焼き尽くす激しい爆撃を行ったこと。両者の戦闘は、島の形が変わってしまうほど激しいものだったことを知りました。
「戦争って、ひとつの極限状態だと思うんですよ。そこにはやっぱり人間のむき出しになるものというのが必ずあると思うので。自分がペリリュー島のことを調べて、その知ったことを描いていくというのは、多くの人にとって同じような、自分が知る過程というものを知らせることができるだろうなと思った」
さらに、武田さんは、生き残った兵士たちの貴重な証言をテープで聞くことができました。
どんどん敵が上陸する 負傷者がどんどん増える 戦車砲か何かでバーンって 1発や2発じゃなくて雨のように降ってくるんだ バラバラバラバラってきたんだから 死体がゴロゴロしてんだよ
武田さんはペリリュー戦の凄惨(せいさん)さを知るとともに、その詳細が現代にほとんど伝わっていないことを痛感したといいます。
「ペリリュー戦について知れば知るほど、自分はここを描きたい。描くべきなのだと思うようになりました。しかし、若い人たちにとって、当時の話は伝わりにくい。現代の人たちにとって伝わりやすい形に自分の中で置き換えてから描かなくてはいけないと思いました」
戦場の実態を伝えるには
ペリリュー戦の実態を伝えるため、武田さんが大切にしているのが、“読者が実際に戦場にいる感覚になる”ことです。
その鍵を握るのが主人公の田丸一等兵。気弱な性格で戦場では怯えてばかり。現代の読者が戦場に送り込まれたらどうなるか? と想像して描かれています。田丸一等兵の目を通して見えてくるのは、ありのままの戦争です。
象徴的なシーンが、敵の目をかいくぐり、夜の闇に乗じて洞窟に水を汲みに行く場面。
無事に水を汲み終え、洞窟を出ますが、敵の銃弾を浴び多くの仲間が悲惨な死を遂げます。国を守るため勇ましく戦って死んだのではなくて、水を飲むためだけに死んだ仲間たち。
「昔の戦争にいた人も、今の自分たちも、本質的にはあまり変わらない人間だと思っている。自分が登場させた人物が本当にその場にいたらどういう行動をするだろうか、ずっと考え続ける、想像し続けるっていうことが必要なことだと思う」
生還者を訪ねる
戦闘は2か月半続き、およそ1万人の日本軍はほぼ全滅しました。最後まで戦って、終戦後生きて日本に帰れたのは、わずか34人でした。
武田さんには、かねてから話を聞いてみたいと思っていた人がいました。
ペリリュー島から生還した一人、97歳になる土田喜代一さんです。
土田さんは、戦争が終わったことも知らず、およそ2年にわたって洞窟で潜伏生活を続けました。仲間の大半は徹底抗戦を主張していました。そうした中、土田さんと親しくしていた上官は、ひそかにアメリカ軍への投降を計画していました。
しかし、それが漏れ、2人は国への裏切り行為だとする仲間から突然襲われたのです。
「私の考えではどうも戦争は終わっているような気がしますねって。おまえもそう思うかって。ぼーっと南十字星を見ていたら、突然バンって、おそらく30センチくらいのところから、上官のこめかみ辺りを撃ったんじゃないかと思うんです。投降しようとするやつを殺せとなって、私も殺せということだったらしいんです、土田を殺せと」
その後、土田さんは、仲間全員が生きて帰る方法は他にないと、アメリカ軍にひとりで投降。仲間たちへの決死の説得を経て、34人全員が日本に帰国しました。
土田さんの話を聞いた作者の武田さんは、日本兵どうしが殺し合うという状況に追い込まれたことも、余さず描いていきたいと伝えました。
深まる物語
11月下旬、武田さんのアトリエを訪ねました。
武田さんは生き残った兵士たちが潜伏しながら戦闘を続ける場面を描いていました。
物語では、主人公の田丸がはじめて人を殺します。
『全部飲み込んで』という部分は、武田さんが土田さんに会った直後に書きかえたものでした。
「戦争が終わった後も、生き残った人たちの戦いは続いていて。そこに何か、個人の人生のようなものを強く感じてしまって。そこを描きたいと思った。『飲み込んでいく』っていうのは、意志の強さであり、自分で決めてすることなので」
田丸はこのあと、どんな運命をたどるのでしょうか?
「戦場を描くだけでは、戦場のすべては描ききれない。戦場を体験した人間が、国に帰ってきた時に感じたことまで描いてようやく戦場を描ききったという形になる。そこがその兵隊たちにどう見えるのか、どう感じるのかということを描いて物語は終わりにしたい」
戦争を伝えるということ
今回の取材を通して、私は戦争の伝え方に対するさまざまな意見や考え方に触れました。
「かわいらしい絵だからこそ逆に戦争の悲惨さが伝わってきた」 若い世代を中心に好意的な意見を多く聞きました。一方で、戦争を漫画で描くことや、かわいらしい作風に対して抵抗感を抱く人もいました。
さまざまな作品への反響がある中、武田さんは「自分の伝え方は本当にこれでいいのかと毎回考えて描いている。1話1話描くことに勇気がいる」と、不安とたたかいながら作品を描いていることを明かしてくれました。
取材中、ペリリューから生きて帰った土田さんは「わたしたち生還者が戦争のことを語ってはいるけれども、最後まで残っていくのはきっとこの漫画なんだろうなぁ」と話しました。
武田さんは、土田さんから背中を押してもらえたように感じたといいいます。
今回、取材をした私は24歳。戦争を知らない世代です。この作品を通して、漠然と知っているつもりでいた戦争の、本当の恐ろしさに触れた思いがしました。
作品を読んだ人たちも、田丸一等兵に自分を重ねて、戦場を疑似体験しているのだろうと思います。
戦後72年、若い世代にとって戦争が遠いものになる中、そのことに大きな意味があるように思いました。
- 熊本局アナウンサー
- 高柳秀平