日米は戦わされた? アメリカの保守派が唱え始めた「スターリン工作史観」――評論家・江崎道朗
【江崎道朗のネットブリーフィング 第26回】
トランプ大統領の誕生をいち早く予見していた気鋭の評論家が、日本を取り巻く世界情勢の「変動」を即座に見抜き世に問う!
なぜ日本だけが非難されるのか
1941年12月7日(現地時間)、日本軍が真珠湾攻撃をした当時、アメリカのルーズヴェルト民主党政権は「卑怯な騙し討ち」と非難した。日米両国が懸命な戦争を避けるための外交交渉をしていたのに、日本がいきなり真珠湾を攻撃してきた、というのだ。
しかし、日米交渉の経緯について知られるようになるにつれ、日米交渉を潰したのは、ルーズヴェルト民主党政権側であったことが知られるようになっていく。
1948年にアメリカの著名な歴史学者チャールズ・ビーアド博士が『ルーズベルトの責任』(邦訳は藤原書店、2011年)を書き、「時のルーズヴェルト大統領は暗号傍受により日本軍による真珠湾攻撃を知っていたのに、対日参戦に踏み切るため、わざと日本軍攻撃のことをハワイの米軍司令官に知らせなかった」と批判する。
このビアード博士の本について、翻訳家の足羽雄郎氏から聞いた一つのエピソードを紹介したい。
1995年夏のことだ。足羽氏が東京・池袋のサンシャインビルの西北側にある公園を歩いていると、何かを探している一人の外国人がいた。話しかけると、東京裁判で死刑にされたA級戦犯の元処刑場を探しているところだ、という。
ウェン・コーエンと名乗る彼は、アメリカ国籍の詩人であった。高校時代、日本が一方的な侵略国だと教えられ、自分でもそのように信じていたが、大学に入って、図書館でたまたまビアード博士の本を見つけて読んだところ、目の覚めるような思いをしたという。
「ルーズべルト大統領が勝手に戦争を仕組み、日本に押し付けたことを知り、仰天の思いであった。アメリカが無実な日本の指導者を処刑してしまったことに対し、一アメリカ人として心より日本人に詫びたい。日本に行ったら、是非とも処刑場跡を訪れ、処刑された人々の霊に詫びたいと思っていたが、今日それが実現出来て、大任を果たした思いである」
こう語った彼は、処刑場跡に建っている記念碑の碑文について説明を求めた。碑の前面には、「永久平和を願って」と刻まれており、その後ろには、極東国際軍事裁判で有罪の判決を受けた人々の処刑の一部がここで執行されたことや、「戦争による悲劇を再びくりかえさないため」記念碑を建立したことが書かれている。
足羽氏が英訳しながら、碑文について説明したところ、彼は「独立国日本がいつまでもアメリカに遠慮し、このように卑屈な碑文を後世に残すことは全く恥ずかしいことではないだろうか。私が日本人ならこう書きたい」と言って、その場で次のような詩を書いた。
《Oh, America! Thou perverted the law and trampled down justice. George Washington and Abraham Lincoln, now in the nether world weep of thy injustice.
あゝアメリカよ、汝は法を曲げ、正義を踏みにじった。ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、今や黄泉にて汝の非道に涙す。[足羽雄郎訳]》
先の戦争は決して日本の侵略戦争などではなかった。にもかかわらず、アメリカのトルーマン民主党政権は東京裁判を行い、日本の指導者を侵略者として処刑した。このことは、公正と正義を重んじたアメリカ建国の祖、ワシントンやリンカーンの精神を裏切る行為だ。日本はむしろアメリカに反省を求める形で碑文を書くべきではないかと、コーエン氏は語ったのだ。
この詩人の問いかけに、私たちはどのように答えるだろうか。
これまで戦争責任といえば、必ず日本の戦争責任を追及することであった。過去の問題で批判されるのは常に日本であって、過去の日本の行動を非難することがあたかも正義であるかのような観念に大半の日本人が支配されてしまっている。しかし、どうして戦争責任を追及されるのは常に日本側なのだろうか。
敗戦後の日本人が、「戦争に負けたのだから」と連合国側による裁きを甘受したのは仕方のないことだったかも知れない。だが、歴史の真実は勝者の言い分にのみ存するのではないはずだ。
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『日本は誰と戦ったのか』 ヴェノナ文書で裏づけられる真珠湾攻撃というシナリオ。衝撃!米保守派の最新歴史研究。戦後の常識が全てひっくりかえる!ロシア革命から100年今明かされるスターリンの戦争犯罪。日米を戦争に追い込んだソ連の謀略。 |
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