「1968年」展に酔う
秋学期は週に一度、夕方だけ所沢で授業をする日がある。その日は時間があると朝から遠出する。先日は横浜トリエンナーレに行った。横浜から所沢はそれなりに遠かったが、今回行った千葉の佐倉はさらに時間がかかった。
佐倉に行ったのは、国立歴史民俗博物館(歴博)で12月10日の「1968年」展を見るため。副題が「無数の問いの噴出する時代」のこの展覧会は、しばらく前に「朝日」夕刊の一面で紹介されていた。歴博に行くのは15年ぶりくらいか。
私は全共闘の時代に異様なくらい興味がある。もしその時代に学生だったら、間違いなく火炎瓶を投げたり、大学でバリケードに籠っていたと思う。偶然だが、私が現在教える大学では、1968年に大きな闘争があった。そんなこともあって、学生が企画する映画祭の7年前の第1回のテーマは「1968」だった。
そんなこんなで電車を乗り継いでバスに乗って歴博に着いた。自宅から1時間半かけて10時半に着いたが、博物館の入口あたりには誰もいない。やはりここまで来る人はいないかと思ったら、間違いだった。会場に入ると、60代後半から70代の男女がうじゃうじゃいた。
老夫婦もいれば男性の3、4人組もいる。いわゆる美術展にいる中年女性のグループはゼロ。平日昼間のせいか、「その世代」より若いのは10人に1人くらいで、40代や50代編集者風や評論家風の男性がパラパラ。
会場に入って私はまず勘違いに気がついた。全共闘の展覧会とばかり思っていたら、最初に「べ兵連」(=「ベトナムに平和を!」 市民連合)の展示があった。それから三里塚闘争、水俣病に横浜新貨物線反対運動。実は最後の運動は聞いたこともなかった。
まずはべ兵連の部分が長い。要はベトナム戦争に参加する米国に日本が協力しているのはよくない、という論理だが、これは今ではわかりにくい。空港を作るために追い出された成田・三里塚や奇病を作り出した水俣の問題のように、直接被害者が怒っているわけではないから。
日本各地の米軍基地から出るベトナムを爆撃するのは、日本人も加担していることになるのでいけないというわけだが、これに賛同する声が全国から上がったようだ。この展覧会の特徴はガリ版刷りのビラを多数展示していること。ポスターや写真や旗や横断幕のように「絵になる」ものより、ビラの方が多い。
これを一つ一つ見ると実におもしろい。「私たちとベトナムをつなぐ米タン」と書かれた時刻表のビラがあるが、これはほかのビラを読むと、米軍用ジェット燃料輸送タンク列車が1日に新宿や立川を何度も通るので阻止しようという意味だとわかる。
この「想像力」の大きさに半分笑いながら驚いた。そして米軍からの脱走兵をかくまう運動をし、彼らの姿を映画に撮っている。アメリカ人が日本の家ですき焼きを食べている映像がある。とにかく興味は尽きないので、これはあと1回は書く予定。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 無印でセルフレジ(2017.11.26)
- 写真に漂う平成の空気感(2017.11.24)
- 「1968年」展に酔う:続きもう1回(2017.11.22)
- 「1968年」展に酔う:続き(2017.11.20)
- 証明写真に考える(2017.11.18)
コメント