PIXTA 長い人生、気になるお金。できることなら、将来のマネープランを見通せないものか――。マネー研究所は、金融機関向けのソフトウエア開発などを手掛けるMILIZE(旧社名AFG)の協力の下、実在する企業の給与や退職金、年代別の生活費、家賃、年金などの各種データを用いて試算。誰もが気になる「人生にまつわるお金」を、リアルなデータに基づいて明らかにする。8回目のテーマは早期退職。世帯年収900万円で、1500万円の金融資産を保有する45歳の会社員は、55歳で早期リタイアできるのか。
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大手建設機械メーカーで課長を務める直也(45歳)。パートタイマーで倹約家の妻の沙織(45歳)とともに、着実に資産を積み上げてきました。マンションのローンの返済は既に終え、娘(15歳)の教育費も蓄えた資産で十分に賄えそうです。そんな状況の中、直也は「あと10年くらい働いたら会社を辞めてもいいんじゃないか」と考えるようになりました。
イラスト:PIXTA(以下同)沙織 最近、仕事が忙しいみたいね。お疲れさま。コーヒーでもいれようか?
直也 ああ、ありがとう。これから年末にかけて、しばらく仕事が立て込みそうで……。悪いけど、しばらく帰りが遅くなりそうだよ。
沙織 そうなんだ。あまり無理しないでね。
直也 うん……。それなんだけど、実は、会社の「空気」が悪くなっててさ。それなりに成果を出しても、上からは「君の年次だと、もっと働いてもらわないと困るんだよね」とか言われて、給料は下げられるし、人は補充してくれないしで、やる気が出ないんだよ。正直、「いつ仕事辞めようかなあ」なんてことを、しょっちゅう考えてる。
沙織 そっか、しんどいね……。でも大丈夫! 仕事を辞めても親子3人、節約すればきっと生きていけるわ(笑)。
直也 いやいや、今すぐ辞めるつもりはないって……。でも、あと10年くらい働けば何とかなるかもしれないな。住宅ローンは終わったし、子供は1人だけだから、そんなに教育費もかからない。投資と節約で資産もそこそこ増えてきたし、頑張れば早期リタイアできそうな気がしてきたぞ。
沙織 じゃ、ちょっと聞いてみようか? 私のお友達の佳奈ちゃん、そういうのにとっても詳しいの……って、あら? 誰か来たみたいね。はーい、お待ちくださーい!
佳奈 (ガチャ)お久しぶり、沙織さん。呼ばれたような気がしたので来てみたわ。
沙織 あら佳奈ちゃん、ちょうどよかった! 聞きたいことがあったの。ささ、上がってちょうだい。
直也 (……エスパー?)
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佳奈 ……事情はだいたい分かったわ。直也さんが55歳でリタイアした場合の人生をシミュレートすればいいのね?
直也 はい。今すぐリタイアするのは無理でしょうが、10年あれば金融資産もそこそこ増えているでしょうし、退職金も見込めます。ひょっとしたら定年を待たずにリタイアしても生活できるんじゃないかって思いまして。
佳奈 なるほど。現在の世帯年収は約900万円(夫が800万円、妻が100万円)で、金融資産は、銀行預金が約1000万円、株と投資信託で約500万円の合計1500万円ですか。住宅ローンは既に完済。今後の大きな支出は娘さんの教育費ですが、こちらも公立中心の予定で問題はなさそう。支出も抑えめで、手取りの3割(年間約220万円)を投資と貯蓄に回していると……。なるほど、なかなか優秀な家計ですね。
図1 直也さん(45歳)・沙織さん(45歳)の世帯年収と年間支出。節約家計で、手取り年収の約3割を投資と貯蓄に回している(投資に年間100万円、残りを貯蓄)
沙織 あはは、私の趣味は節約だから~♪
直也 リーマン・ショック以降、給与を下げられてしまって、このままじゃまずいかもと投資を始めたんですよ。投資信託の積み立てを中心に、株式を一部組み合わせて運用しています。今後は教育費がかかるので、貯蓄のペースを少し落として対応します。投資は現状と同じ金額(年間100万円)で続けていくつもりです。
佳奈 分かりました。ところで、早期リタイアした後は、どんな生活をお考えですか? そこそこお金も使うアクティブな生活か、それとも、お金はあまり使わずに淡々と日々を過ごしていく生活か、ということですが。
直也 えーっと、そこは考えてなかったなあ……。そうですね、リタイアしてしばらくは、旅行に行ったり地域のボランティア活動に参加したり、そこそこ積極的に動きたいですね。
沙織 そうね、私もそんな感じかな。とはいえ、70歳くらいになったら体も衰えてくるだろうから、そんなに出かけられなくなるんじゃない? だから後半は淡々と日々を過ごしていく感じになると思うわ。
佳奈 なるほど。では、退職直後の55歳から64歳までの10年はそこそこお金を使って、それ以降は平均並み、という前提でシミュレートしてみましょう……っと、はい、終わり。
直也 うおっ、仕事早すぎ!
佳奈 さて結果だけど……うーん、微妙かな。
沙織 え? どういうこと?
佳奈 「リタイア後、10年間はアクティブに過ごす」という前提だと、70歳に入った段階で蓄えがなくなって家計が破綻するみたい。
直也 ぐはっ、やっぱり無理か~。
佳奈 ただ、条件を多少見直せば、90歳を過ぎても余裕で暮らせそうよ。詳しく見ていきましょう。
■5800万円あっても15年でゼロに
佳奈 まず、55歳時点で金融資産がどれだけたまっているかを計算すると、約5768万円になるわ。内訳はリスク資産が1763万円、銀行預金は2150万円。さらに退職金として1855万円が入る想定よ。ちなみに投資の平均利回りは年3%としたの。元本総額1500万円に対して利益は263万4000円ね。都合上、NISA(少額投資非課税制度)は使わず特定口座で運用し、退職の1年前の年末にすべて現金化するとしたわ。その際にかかる20%の税金を差し引いて利益を計算しているの。
直也 おー、けっこうたまってるなあ。金額を聞くと、投資を続けていく意欲がわいてくるよ。
佳奈 一方で支出だけれど、55歳から64歳までの10年は「アクティブなリタイア生活」とのことなので、50歳時点の支出の9割くらいとして、年間500万円前後に設定。それ以降は支出のペースが徐々に落ちていくとして、65~70歳は年360万~410万円、それ以降は330万~350万円程度と設定したわ。
沙織 えーっと、月額に直すと、55~64歳が40万~43万円ほど、65~70歳が31万~34万円、それ以降は27万~30万円くらいってとこね。64歳まではともかく、老後の支出ってこんなもんなのかな?
佳奈 総務省の「家計調査」(2016年)によれば、夫婦2人のリタイア後の支出(無職の場合)は平均で月額27万円程度ね。一方で、生命保険文化センターの「生活保障に関する調査」(2016年)によれば、「ゆとりある老後生活費」は月額34万9000円となっているわ。ただ、後者の数字は全国の18~69歳の男女4056人に対して、ゆとりある老後に必要と思われる金額をヒアリングした数字なの。つまり、みんなが「このくらいは必要だろう」と思っている金額が月額35万円くらいってことね。
直也 なるほど。とはいえ、リタイア後の支出が平均で月27万円なら、「ゆとりある生活」は30万円を超えそうですね。インフレも考えれば、35万円前後ってのは妥当なところかもしれない。
佳奈 という前提で直也さん・沙織さんのリタイア生活をシミュレートすると、こんな感じになるわ。
図2 直也さんが55歳で早期リタイアした場合の生涯収支。沙織さんも同時にリタイアするとした。リスク資産は54歳まで100万円を積み立て投資し、3%で運用したと仮定。なお、70歳で自宅マンションをリフォーム(500万円)するとした
図3 55歳で早期リタイアした場合の金融資産の推移。退職時点で5800万円の金融資産を保有するものの、70歳で資産が赤字に転じる
直也 うーん、70歳で見事に資産がマイナスに転じるんですね。5800万円近くあっても15年で使い切っちゃうのか。人生って何てはかないんだ……。
■早期リタイアに支払う金額は3843万円
沙織 ちょっと直也、現実逃避してないでちゃんと話を聞こうよ。ねえ佳奈ちゃん、定年まで勤め上げた場合はどうなるのかな? やっぱり厳しいのかな?
佳奈 いえ、60歳まで働けば余裕しゃくしゃくよ。こちらが定年まで働いた場合のシミュレーション。はい、どうぞ。
図4 定年(60歳)まで働いた場合の金融資産の推移。定年退職時点で金融資産は7281万円、90歳時点で2625万円が残る
直也 おおっ、退職時の資産が7281万円! 一気に1513万円も増えてる。しかも、90歳時点で2625万円も残ってるぞ! 人生って何て素晴らしいんだ!
佳奈 定年まで働けば当然、その間の収入が得られるし、直也さんの会社だと退職金は2211万円に増えるわ。これだけで3090万円の増収効果があるわね。さらに公的年金も働いた分増えるので、65歳以降に受け取れる金額は手取りで月1万2424~1万2960円アップするの。しかも、会社にいる間は、会社が社会保険料を一部負担してくれるので、メリットが大きいのよ。
沙織 そっかー、そういえば私は直也の扶養に入ってるから、今は年金の支払いがゼロなのよね……って、あれ? ということは、直也がリタイアすると、国民年金を自腹で払うことになるのかしら。
佳奈 そうね、沙織さんは「第3号被保険者」から「第1号被保険者」になるので、年間19万5000円ほどを新たに支払う必要が出てくるわね。もちろん、退職した直也さんも同額の支払いが発生するわ。
直也 なるほど。早期退職すると、会社から受け取る収入が減り、将来の年金も減る一方で、社会保険の支払いが新たなコストとして発生するわけか。
佳奈 55歳でリタイアして90歳まで生きたと仮定すると、60歳定年と比較した「収支差」は、ざっと3843万円ほど。まず、5年分の給料と退職金で3090万円の減収、年金の減額分が505万円で、合計3595万円を「捨てる」ことになるわ。
一方で、新たな支出として5年分の社会保険料がかかってくる。具体的には、国民年金が195万円、国民健康保険が51万円で、トータル246万円が追加費用として必要になるわね。このほかに「生きるコスト」……生活費や住居費、各種イベント費用のことだけど、これはほとんど変わらなかったわ。生活費は下がるんだけど、旅行などの支出が増えるという想定だったので、2万円くらい増えちゃった。ほとんど誤差ね。
図5 早期リタイアと定年まで勤め上げた場合の収支差。55歳で退職すると、3842万9685円を「捨てる」ことになる
沙織 5年で3843万円かあ……改めて聞くと、すごい金額ね。早く辞めた分、お給料と退職金がもらえなくなるのは想像していたけれど、年金や社会保険料の負担が増えるなんて考えたこともなかったわ。そう考えると、会社ってありがたいシステムでもあるのね。ねえ直也、私のために頑張って稼いできて!(にっこり)。
直也 うう、早期リタイアは夢のまた夢か……。
■57歳なら早期リタイアも現実的に
佳奈 直也さん、そう落ち込まないで。55歳リタイアはちょっと厳しいみたいだけど、57歳なら現実味はあるわよ。これが57歳でリタイアした場合のシミュレーション。ちょっと見てもらえるかしら。
図6 57歳で早期リタイアした場合の金融資産の推移。定年退職時点で金融資産は6464万円、90歳時点で333万円が残る
直也 おおっ、本当だ! 退職時の資産は6464万円、90歳の段階でも333万円残るってことは、平均寿命までは十分に暮らせることになるな。節約すれば、もっと資産を残せるだろうし……ようし、57歳リタイアに向けて頑張るか!
沙織 んー、でも早期リタイアすれば、やっぱりもらえるお金は減るし、払うお金は増えるんでしょ? なら定年まで働いて、その分のお金で老後を満喫した方がいい気もするんだけど。佳奈ちゃん、どう思う?
佳奈 そこは考え方次第ね。今の平均寿命は男性が約81歳、女性は87歳。定年を迎えたら男性は残り21年、女性は27年という長い時間を過ごすことになるわ。だから、長い老後に備えてできる限り資産を用意しておくっていう考え方は正しいと思うの。でも、「健康寿命」を考えると、早めにリタイアしてセカンドライフを楽しむっていうのも間違いじゃないと思うわ。
直也 健康寿命? あまり聞かない言葉ですが、何ですかそれは。
佳奈 年を取ればだんだん体が動かなくなったり、健康面で問題が生じたりするわよね。「健康上の問題なく日常生活を過ごせる状態」が終わりを告げる年齢を健康寿命と呼ぶの。厚生労働省の調査によれば、平均的な日本人の健康寿命は男性が71.19歳、女性が74.21歳(2013年時点)よ。
沙織 つまり、60歳に定年を迎えたとすると、元気に動き回れる時間は男性が11年、女性が14年……。
直也 いやだー! 長年働いてきて、やっと自由になったと思ったら10年ちょっとで体が動かなくなるなんて!
佳奈 気持ちは分かりますけど、命には限りがあるんだから仕方ないでしょ。
沙織 佳奈ちゃん、バッサリいくわね……。まあ、運動したり生活習慣に気をつけたりして、頑張って健康を維持しましょうよ、直也。
佳奈 気休めかもしれないけど、健康寿命は年々、長くなる傾向にあるわ。01年時点の健康寿命は、男性が69.40歳、女性が72.65歳だったんだけど、それが12年でそれぞれ1.79歳、1.56歳延びたのよ。今後の医学の進歩も考えれば、直也さんや沙織さんが老後を迎える頃はもっと延びているかもしれないわ。
健康寿命は少しずつ延びている。平成25年(2013年)時点では男性71.19歳、女性74.21歳(出所:厚生労働省資料)直也 ……そうですね。健康に気をつけて、体が動く時間を頑張って延ばしていこうと思います。あとは資産をできる限り早く積み上げて、早期リタイアを実現させてみせます!
佳奈 逆説的だけど、「健康寿命を延ばすには、働き続けるのがいちばん」っていう話もあるわ(関連記事:健康寿命を延ばすには 何歳でもチャレンジを)。早期リタイアにこだわりすぎず、働くことが楽しければ働き続ければいいし、それよりもやりたいことがあるなら、リタイアを早めて新しい人生にチャレンジすればいいんじゃないかしら。
直也 ……そうですね。そもそも、早期リタイアしたいと考えたのは、今の職場の「空気」が悪いからで、仕事自体が嫌いなわけじゃなかった。頭を冷やしてじっくり考えてみます。
沙織 それにしても、佳奈ちゃんって若いのに達観してるわねえ……。ちなみに佳奈ちゃんの今後の人生プランって、どんな感じなの?
佳奈 すてきなイケメンのお金持ちと結婚して、末永く幸せに暮らしたいと考えているわ。
直也 あっ……意外に俗物的だった。
MILIZE(試算・監修)
金融機関向けのソフトウエア開発やコンサルティング業務を手掛けるほか、個人向けの人生シミュレーションプラットフォーム「MILIZE」(https://milize.com/)を提供。給与や生活費のデータを入力すれば、現時点の生活費などの診断に加えて、将来の収支予測なども提示する。2017年11月に社名をAFGからMILIZE(ミライズ)に改称。
(マネー研究所 川崎慎介)
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