衰退を招く東京一極集中構造 ~首都圏への逆流効果
日本は言わずと知れた一極集中国家である。国民の間には東京は発展の中心地という意識が根強いが、これはもはや幻想である。むしろ日本経済は東京一極集中メカニズムのために危機に陥っている現状があることを指摘したい。
日本経済の推進力であった東京経済
東京経済はかつて「産業母都市・東京」と呼ばれたように、国公立の基礎研究機関や企業の企画・研究開発部門と、新部品の開発や試作を担う中小規模の基盤産業群の結合によって、産業の「原型創出機能」を発揮し、地方へ技術移転を行う拠点であった。首都圏には大企業の本部、メインバンク、流通、広告、マーケティング等に加えて、周辺に研究開発、部品製造、材料加工、組立工場までが一大集積し、関係政府機関と民間部門が諸計画を協議・調整する「政官業」の結合体制がこれを増強した。
日本中央部における産業の原型創出機能と地方産地の経営組織力・技術応用力の結合によって経済成長が実現され、波及効果が全国に及んだ。日本経済は、国内資源を動員して東京が成長し、その果実を地方に再分配するシステムを作ってきた。国内産業センターとしての東京の機能と成長力が、このシステムの中核であった。
東京経済の構造変化
それが現在はどうなっているか。東京都の都民所得はデータ入手可能な直近の10年間(2005~2014年)で、名目-4.5%である(全国平均-2.2%)。実質値で見ても+0.01%とほぼ成長していない(全国平均+3.8%)。1人当たり都民所得では-13.1%も低下しており、全国平均の-2.5%と比べても衰退が著しい。東京で成長しているのは唯一人口だけであり、同期間に人口は+6.5%増えている。
経済活動別都内総生産を見ると、かつて東京経済の柱の1つであった卸売業が10年間で-4兆3244億円と激減し、同じく柱であった金融・保険、そして対事業所サービス業もほとんど成長していない。代わって不動産業と情報通信業が約2兆円ずつ成長して東京経済を支えてきた(表1参照)。
リーディング産業不在の東京
では、この2部門の成長力に今後も期待できるか。経済産業省の特定サービス産業実態調査によると、東京の情報サービス業(ソフトウェア業、情報処理・提供サービス業、インターネット附随サービス業)の売り上げは、2014年時点で全国の実に65.9%を占めるほど一極集中している。ところが、東京の情報サービス業の従業員1人当たり売り上げは、2004年の3,356万円をピークに下がり続け、2014年には2,455万円と、ピーク時の4分の3に満たない水準にある。東京の情報サービス業は労働集約的で、規模は拡大しても生産性を下げており、リーディング産業と呼べるような地位にはないと言える。
比重を下げた金融・保険業に代わって2000年代後半から東京への資本流入を牽引したのは、不動産証券投資とくに資産運用型の不動産投資信託であった。もっぱら最も人の集まる都心のマンションや商業施設の不動産がファンド化されて投資対象になってきた。不動産業は確かに成長しているが、それは新しい価値や産業を生み出してきたというよりは、一種の資産の増殖装置を作り出し、行き場を失った資金を集めてきたことによる。
同じようなことは株価にも言える。東証株価指数は1991年以来26年ぶりという高値に沸くが、東京の証券市場が国際的に機能強化したわけではない。東京証券取引所における外国企業の上場数は1990年の125社をピークに一貫して下がり続け、2017年11月時点では6社にまで落ち込んでいる(図1参照)。もともと東京は、ものづくりを基礎とする国内産業の金融センターで、資本市場は開放的でなく、貿易輸出によって蓄えられた資金をニューヨークやロンドンに供出する「マネー・サプライヤー」型金融センターであった。アジアの工程間分業が強まる中で、資本調達機能で日本がアジア成長の結節点となったわけでなく、外国企業はシンガポール、香港、上海などに拠点を移していった。
東京は海外から稼いでいない
東京は世界都市といわれるが、国際化してきたのは東京に本社を置く日本企業であって、「都市の機能」としてはあまり国際化されていない現実がある。2011年の東京都産業連関表によれば、都内生産額のうち輸出額(海外からの売り上げ)はわずか2.0%(3兆3千億円)に過ぎない。移出額(国内他地域からの売り上げ)が34.2%を占め、残りは都内の最終需要および中間需要から派生する生産である。2005年時点では東京の海外輸出部門は3.1%(5兆3千億円)を占めていたので、6年間で2兆円あまり減少している。
東京都産業連関表では海外支店からの送金が計上されていないので、その点は割り引いて見る必要がある。しかし問題は、本社部門と並んで東京の移輸出部門の柱であるビジネスサービスである。情報サービスの海外売り上げ割合は生産額のたったの1.0%、映像・音声・文字情報制作は0.8%、広告は1.4%、物品賃貸業は3.2%、その他の対事業所サービスは2.2%で、金融は2.6%、卸売も3.0%でしかない。要するに、東京のビジネスサービスのほとんどは国内の事業者を相手に稼いでおり、海外企業を直接顧客にしている部分は多くて全体の数%でしかないことが分かる。
国内分業に依拠する東京のビジネスサービス
東京は、海外から仕事を獲得して成長しているのではなく、国内の地方圏から人や資金を集め、国内分業で稼いで巨大な市場圏をつくりあげている。国内分業のリストラで地方圏にあまり波及効果が及ばなくなっている一方で、地方で公共事業や観光などの需要が増えると中央に波及する仕組みが存続している。
最新データが少し古いものしかないが、2005年の地域間産業連関表を使って、観光業の地域間分業を見てみよう(表2参照)。観光業を構成する宿泊業や飲食店は「対個人サービス」部門に分類され、対個人サービスに対する地域外からの購入=移輸出額には、旅行者が観光消費した分が含まれる。しかしお金の流れは、観光消費額だけで完結するわけではない。例えばホテルを営業するためには、飲食料品を購入したり、広告費を払ったり、来客者情報を管理するための情報システムを整備したり、さまざまな設備や備品をそろえるために商社を使ったりしなければならない。
対個人サービスの生産誘発の行き先(=どこから資材調達しているか)を追うと、関東以外の地域の対個人サービス移輸出の地元地域内への波及率は4~6割で、およそ半分程度は域外に流出しており、とくに関東への流出がどの地域でも2~3割ある。他地域の対個人サービスから関東地域への生産誘発額5812億円は、北海道や東北の観光関連産業(A+C)の規模を上回る。つまり日本経済の垂直分業構造の下では、「地方創生」と言って、地方で観光活性化を努力すればするほど、翻って関東とくに東京の業者にお金が入ってくる仕組みがある。
東京は大きな中継都市
ニューヨークやロンドンが、その特殊なグローバル金融サービスを、世界中のアクターが利用する集積効果で成長してきたのとは対照的に、東京には、世界中の資本や経済アクターが東京の都市機能を利用するために集まってくるような世界都市性は薄い。東京は、国内のヒト、モノ、カネを一極集中的に集め、日本の大企業がそれらを利用して海外に進出するための出撃基地として機能しているだけである。
これは、グローバル経済の「中心地」とは言えず、大きな「中継都市」と呼ぶべき構造である。かつて国内の都市間階層の中で地方の中枢都市が果たしてきた役割を、いまや東京がより国際的に大規模に担っているようなものである。
しかし、この構造は持続可能ではない。なぜならば、中継都市はヒト、モノ、カネを供給する上流の地方都市や農山村を掘り崩すようにして存立しているが、上流の地方圏が衰退してしまえば、時間差で衰退する運命にあるからである。
東京経済の自立に向けて
日本経済の再生のためには、東京経済が国内市場に依存するのではなく、グローバル経済の中で独自のポジションを勝ち取り、「自立」していくことが求められる。その分野であれば世界の中で東京の機能を使うのが最適と思われるような、グローバルサービスの専門領域を戦略的に開拓して、海外からの仕事を東京に呼び込んでくるような集積効果を発揮しなければならない。
同様に、地方都市は、東京とは異なるニッチな分野の独自の拠点性を作り出し、グローバル経済の中でのポジションを見出して行く必要がある。一極集中構造のまま東京が成長力を失っていくことは、都市の老衰化現象だと認識すべきだろう。