白人の有色人種への差別問題のほとんどが、生理的嫌悪感に収束すると思う。
美的価値観は相対的であるといわれるが、そこにはある程度の公共性がある。多くの人が、バロック絵画などのヨーロッパの美術作品や、白人のハリウッド俳優を、直感的に美しいと感じるように、美しさにはある程度の絶対性がある。
各々好みはあれど、白人の容姿の特徴である凹凸のはっきりした顔と身体の骨格、二重まぶた、細く高い鼻、薄い唇、直毛、長い手足などを持った人を醜いと感じる人はなかなかいない。
また、白人と有色人種のハーフは、白人の容姿がある程度遺伝されるため、その有色人種よりも美しく思われがちだ。白人と黒人のハーフであるオバマ元大統領も、その容姿の良さが、選挙に響いたと言われることもある。
ここで白人と有色人種の容姿の違いをみていく。黒人と白人の容姿の違いは、黒い肌、縮毛、厚い唇、大きい鼻などだ。黄色人種と白人の違いは、凹凸の少ない顔と身体の骨格、蒙古襞、一重まぶた、低く広い鼻、短い手足などだ。二つとも、白人の美しいとされる部分的な容姿が対になるものが多い。
つまり、公共性のある美的価値観において、有色人種の容姿の特徴は、白人の容姿の特徴に劣るということだ。
そして、人間には単純接触効果という適応能力がある。これは、長期間同じものを見ると、それに慣れ親しんで、ある程度好感が持てるようになる能力である。よく、自分の顔が写真で見る顔よりも鏡に映ったものほうが良く見えるのは、普段日常生活でよく鏡の中の左右反転した自分の顔を見ることによって、この能力が働いているからである。よく、ブスはなれるというが、そのメカニズムはこの能力だろう。
この能力は、身内だけでなく、社会や国の規模ではたらく。有色人種が多い環境であれば、有色人種の顔に普通程度の好感をもつ。
ここで、人種の美的価値と単純接触効果の関係と生理的嫌悪からくる差別意識をみる。まず、さきほどからの前提として、白人よりも有色人種の容姿が美的価値として劣ると仮定する。有色人種と長期間接していれば、単純接触効果により、劣った美は相殺され、その容姿をどうとも思わなくなる。対して、有色人種とほとんど接することがなければ、その劣った美はそのままとなる。有色人種と接しないというは、自身や周囲も有色人種でないことであり、白人が白人のみと接し、白人の美が普通のものとなるなら、有色人種の劣った容姿は、彼らには直感的にとても醜く見えるだろう。たいていの人間は直感的に不愉快に感じる。中には同じ人間とも思いたくない人もいるだろう。
つまり、有色人種と接しない白人が、有色人種に対して生理的嫌悪を抱くのは至極当然のことである。よく、差別する側は、差別される側のことをよく知らないといわれるが、この結論によって、その説得性が増すように思われる。
一般的に、差別は愚かな行為であり社会悪であるという認識があり、分別のある人間は持っていないものであるという印象が大きい。しかし、さきほどの結論では、長期間有色人種と接ししない白人の生理的嫌悪は自然であると述べた。つまり、ここには、生理的嫌悪を抑制する理性がはたらいていることになる。たいていの人は、周囲からだけでなく自分自身からも、分別や理性のある人間であると思われたい。だから、自身の中の嫌悪感や差別意識を、意識的無意識的にかかわらず抑制し、良い人間として振る舞い、繕う。こうして自称差別意識がない人間が生まれる。これが理性と差別の関係である。
人の共感能力とは、その人との心理的距離に依存する。ほとんどの人が、東日本大震災の被災者に対して、彼らと無関係な人間が、身内を失ったような悲しみを感じなかったのは、その心理的距離の遠さからである。また、雑誌でモデルを見るとき、人はそのモデルを人ではなく、美的価値のあるものとしてみる傾向がある。これはテレビでもそうだ。人間性を表さなければ、人はたいてい容姿でその人を直感的に判断する。
少し前に黒人差別主義者の白人が、黒人にハグされどうして自分たちのことが嫌いのかと問われた事件がある。その時、白人は「わからない」と答えた。おそらくじかに黒人と接し、声を聞くことで共感能力がはたらき、相手を人間として見るようになった彼は、今までの自分の生理的嫌悪感が途端に消えてしまったことに困惑したのだろう。そして、その時の正直な気持ちである「わからない」という言葉が絞り出された。
人は共感することで、相手の容姿などほとんど気にならなくなり、はじめてその人を同じ人間として見るようになれる。
これは有色人種への差別問題だけにとどまらない。性差別、同性愛差別、人種差別、身分や階級差別、障害者差別など、どれも実際に相手に接しず偏見や生理的嫌悪感のみで人を判断し、気分で嫌う。そして、相手を同じ人間でないと罵り否定する。
差別とは、嫌悪感を持つことではない。その人を同じ人間として見ず、存在を否定し非難することが差別である。人はこのような問題を、理性と共感をもって解決することができる。差別意識を持っている人は、まず彼らについて正しい情報を得ることで偏見をなくし、分別のある人間として表面的にでも振る舞るまってほしい。またできることなら、彼らと直に接しコミュニケーションをとることで、嫌悪感そのものをなくしてほしい。
白人のが基本的に容姿がいいのに、頑なに認めず白人コンプレックス認定する奴とかなんやねん
白人より中東系のほうが 容姿いいと思うのは俺だけ? 白人は振れ幅が広すぎる
中東系も白人の一種 北欧系の白人が最も美しいと言われがちな気がする
顔隠してるから補正が入るんじゃない
男ね 女はロシア一択
基本容姿はいいにしたって白人基準で見たらどうみても非モテでも コメントで「イケメン」とか流れまくってんの見ると白人コンプレックスすぎるわ
よくかけとるなこれ こういう増田もっと増えてくれ
嫌悪感がある=差別主義者っていうバカが多すぎる 一番差別を理解してない連中な
レイシストが明らかに直感的に嫌いなものを、なんとか批難できるところを探してそれを嫌いな理由にするっていう理論武装がとても見苦しい。 日本で言えば、嫌韓とかネトウヨとかと...
概ね筋は通っているし、結論にも賛成する。差別問題の捉え方の一つとしては正しい。
人種差別の原因は生理的嫌悪で説明できるかもしれないけど、民族差別、身分差別の原因はもっと後天的・歴史的・学習的である気がする。 その場合でも理性(=教育?)と共感が働く余地...
解決策のところにまず、偏見をなくすとあるし、歪んだ歴史的認知はそれで矯正できそう。
増田の理論は差別の原因は生理的なものだからこそ理性と共感で克服できるという楽観論。 もし差別の原因が社会的なものだとしたら、コントロールするのはより難しい
差別って言葉自体乱用されすぎなんだよなあ