最近読んで大変感服した本の1つに藤原さんという方が書かれた”カネ遣いという教養”という本があるのだけど、この本の中で大変感心したエピソードの1つに「自分の心は自分以外の何ものにも支配されない自由なものである」という話がある。
カネ遣いという教養 (新潮新書)
- 新潮社
- 価格¥ 756(2017/12/05 07:58時点)
- 発売日2013/10/17
- 商品ランキング344,782位
あるとき藤原さんが電車を降りようとした時、乗り込んできた酔ったオッサンに理由もなく怒鳴られ非常に強い怒りを覚えたのだという。
普通なら怒り心頭になりそうなものだけど、なぜかそのとき藤原さんの頭のなかで「この怒りの感情を逆転させると面白そうだな」という天啓が閃いたそうだ。
そしてそれを実行し終えた後「怒りも喜びも自分の心のあり様次第でいかにでもコントロール可能である」という事に気がついたのだという。
これはぶっちゃけ凄い話である。このエピソードを読むためにもこの本を買う価値がある。
どういう事か具体的に説明していこう。
この場面で言えば酔っ払ったオッサンのちょっかいにより筆者は気分を害されたわけだけど、その後に一日中気分が悪くなるかどうかを決めるのは自分だ。
確かに怒りの原因は酔っぱらいオジサンにある。
けど、そういう人間に絡まれたとしても、その後も怒り続けるかすぐ忘れるかを決める事ができるのは、繰り返しになるが自分だけなのである。
つまるところ他人には究極的には絶対に自分の心をコントロールする事などできないのである。自分の心のあり様を決める事ができるのは、自分だけなのだ。
テレビに怒る人たち
このエピソードを読んでいた時、僕はたまたま会うと不平不満ばかりを口にするタイプの人と交流があった。
ある時、この方と一緒に行動する機会があったのだけど、これらの人達の現実の捉え方は実に興味深い。
「よくもまあそんなそんなどうでも良い事を・・・」とこちらが思うような部分をいちいち見つけてきて、勝手に怒り始めるのである。
この人はよく「私は運が悪い。世の中はちっとも私に優しくしてくれない」と言うのだけど、そりゃそういう風に現実をみているからそうみえるのである。
その人は客観的にみれば正直かなり恵まれているサイドの人間だし、そういう点をいくつもいくつもあげて説明はしてみるのだけど、やっぱりその方の認知が変わることはない。
一体、この方の認知をこうも狂わせた原因は何なんだろうか?やっぱし性格なのだろうか?
実はこの人に似た人は世の中にたくさんいる。
たぶん一番多いのは、テレビに向かっていっつも怒っている人達であろう。あれは傍から見ていると実に不思議な人達である。
僕は昔からこの手の人達の行動原理が不思議で不思議で仕方がなかったのだけど、よくよく考えてみると実は自分も似たような感じの事をしていた時期があった。というか学生時代の自分は実際のところ不平不満ばかり口にしている人間であった。
学生時代の自分が今の自分をみたら、たぶんあまりにも性格が豹変していて自分とはとても信じられないだろう。
一体、不平不満ばかり述べていた学生時代の自分と、全くその手の事を言わなくなった今の自分の間に何の差があるのかを考えてみると、実のところ悪態をついてばかりの人の問題点は認知の問題だけではない事にようやく気がついた。
端的に言ってしまうと、一番問題なのは、人生における自由度と義務の比率の問題なのである。
学生時代の自分は本当に苦しかった。
何が苦しかったって、やっぱり親の金で生活しているから、親の言うことを聞かなくちゃいけないというのが何よりも嫌だったのを今でも覚えている。
「誰のお陰でご飯が食べられると思ってるのだ」と言われると、子供は何も反論ができない。
これに加えて訳の分からないルールでがんじがらめにされた学校や部活での生活がまた苦しかった。
特に大学時代は武道系の部活に所属していた事から、先輩の言うことは絶対という理不尽極まりない環境下におり、毎日毎日他人の悪口しかいってなかったような記憶がある。
多分だけど、世の中にたり不平不満を言っている人というのは、学生時代の僕と同じような苦しみを今も抱えているのではないだろうか。
満員電車に揺られ、会いたくない上司や取引先に向かう事を、給料という生活の担保の獲得の為に強要される生活は、端的にいって地獄だ。
そんな生活をしてたら心が苦しくなるのだから、そりゃ普段目にみえるものが怒りで塗り固められたとしても、全く不思議ではない。
だからこれを読んでいるあなたが仮に割と不平不満をいってしまうタイプであり、かつそういう状況から抜け出したいのならば、まずはあなたの人生における自由と義務の度合いをどうにかして増やす事から初めてみてはいかがだろうか?
もちろんそれが簡単ではないから、多くの人は苦しんでいるのであり、正直なところ結構難しいとは思うのだけど、たぶん脱出ルートはそこにしかない。
その後、ゆっくりと認知をよいものにだけ向け、くだらない煩わしいものへ向けないように心がけられるようにさえなれば、かなりの確率で良い生き方ができるようになるはずだ。
少なくとも僕はそれに成功した。あなたにも多分きっとそれができる。間違いない。
「思ったよう」にしかならない。
最後に、人生を自由に生きる方法についてちょっとだけ書き加えておこう。これは僕のなかでは最強の人生成功哲学であり、正直今の自分があるのはこの超強力な哲学を知っているからでもある。
高校生だか大学生だか忘れたけど、あるときどこかの教師が僕に向かってこういった。
「人生は自分の思うようになる。1年後、こうなってるといいなぁと毎日のように思ってたら大体そうなる。馬鹿げていると思うかもしれないけど、本当にそうなのだ」
僕はこれを初めて聞いた時、正直この人はなんて馬鹿な事をいうのだろうと思った。
そんなうまい話、あるわけがないじゃないか。
けど今になって実によくわかるのだけど、これは本当に真実だ。むしろ人生は、思ったようにしか運んでいかない。
実のところ、多くの人は自分が本当に何がしたいのかや何が欲しいのかが全くわかっていない。人生戦略なんてあったもんじゃなく、ただふわっと雰囲気に流されて生きているだけである。そういう人の人生は、本当にふわっとしっぱなしである。
実に多くの人が、自分が本当は何がしたくて何が欲しいのかがわかっていない。
目的地がわかってない人が、目的地に到達する事が論理上ありえないように、実のところ目標がない人間が目標を到達するだなって事はありえない。
だからまず、自分が何を本当にしたくて、何を欲しいのかについて真剣に真剣に考えてみて欲しい。
本当に欲しいものがわかれば、後は勝手に脳が逆算してそれを手に入れる方法を考えてくれる。その通りに行動していくと、人生はビックリするぐらい良い方向に好転していく。
もちろん全部が全部成功するわけではないけど、失敗したらまたやり方を修正して再度トライすればいいだけである。成功するまで続ければ、いつかは絶対に成功する。本当に当然の話なのだけど、本当に多くの人がこれをわかっていない。実に勿体無い話である。
はたから見てて大成功して幸運がガンガン降り注いでいるようにみえる人がいるけれど、結局のところ彼等のやってる事はこの原則と多くの場合全く同じだ。トライ・アンド・エラー。その繰り返しである。
サイコロも100回振ればどんな人間でも6が1回ぐらいは出る。多くの人はこの6が出た瞬間だけを切り取って「あの人は運がよかったのだ」というけれど、実のところその成功の裏には限りなく多くの試行錯誤があったりするのである。
やっぱり人生は結局のところ自分次第なのだ。思うようにしかならないのが、人生なのである。
【プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように
noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki
(Photo:Craig Sunter)