Filip Novokmet, Thomas Piketty, “Gabriel Zucman, From Soviets to oligarchs: Inequality and property in Russia, 1905-2016“, (VOX, 09 November 2017)
1990-1991年のソヴィエト連邦崩壊以降、ロシアは経済的にも政治的にも劇的な変貌を遂げた。だが、そこから所得と財産の分配にどのような帰結が生じたかについては十分に実証・解明されていないのが現状である。本稿は、諸般の利用可能なデータ資料を結合し、ロシアにおける所得と財産の集積・分配について、ソヴィエト時代から今日に至るまでの一貫した時系列を提示しようという試みである。
ソヴィエト連邦崩壊以降、ロシアは経済的にも政治的にも劇的な変貌を遂げた。この類まれなる出来事のために、ロシアの事例研究は格差研究アジェンダにおける喫緊の課題のひとつとなっている。ソヴィエトの平等主義的なイデオロギーの破綻、市場経済への 「ビックバン」 的な移行、あるいは所謂 「寡頭制」 の出現といったエピソード (Guriev and Rachinsky 2005) の枚挙に暇ないロシアにおける格差パターンを紐解けば、格差の力学において政治・制度機関・イデオロギーがはたす役割の解明に、新たな展望が開けてくるかもしれないのだ。同時に近年の格差拡大は、収斂論的言説の文脈で、包摂的成長の可能性に目配りをしつつ考察してゆく必要もある。
われわれの最近の論文は、格差の測定と、既存の資料群の結合をとおしロシアにおける格差の軌跡を歴史的・国際比較的な展望に位置付ける手法の説明にフォーカスしたものである (Novokmet et al. 2017)1。結果、公式の格差推定値はロシアにおける所得の局在を大幅に過小評価するものであることが判明した。論文ではさらに、ポスト-ソヴィエト期のロシアにおける私有財産・公有財産・国有財産 (private, public, and national wealth) をとらえた完全なバランスシートとしては初となるものを提示した。ここにはオフショア財産の推定値も含まれている。なお同論文は、諸国間で比較可能な分布統計の作成をめざすより大きなプロジェクトの一部をなす (Alvaredo et al. 2016)。
ロシアにおける私有財産の勃興
1990年から2015年にかけて発生した大変化といえば、もちろん共産主義から資本主義への移行、すなわち公有財産から私有財産への移行だ。1990年、ネットの国有財産は国民所得の400%を僅かに上回っていた。その内訳は、ネットの公有財産が約300% (およそ四分の三)、ネットの私有財産が100%を少し上回る程度 (四分の一) となる。2015年、この比率は基本的に逆転している: ネットの国有財産は国民所得の450%に達し、その内訳は、ネットの私有財産が350%超を占め、公有財産は100%未満となっている (図1)。公有財産の劇的な落ち込みは、1990年から1995年にかけての数年間のうちに起きたもので、続いて所謂 「ショック療法」 とバウチャー方式の民営化が行われた。
図1 1990-2015年のロシアにおける公有財産と私有財産 (国民所得の%で表示)
私有財産の勃興にさいして住宅が担った決定的な役割の発見が、ここでひとつの鍵となる (図2)。私有住宅は、国民所得の50%に満たない1990年当時の水準から出発し、2008-2009年には国民所得の250%に増加、その後2015年になると国民所得の約200%に減少した。この上昇は、住宅私有化による大規模な移転に由来する数量効果、そして不動産価格の上昇が誘発した価格効果、これら双方の結果だった2。
だがとりわけ印象的なのは、ロシアの家計が所有する金融資産について記録されている水準が非常に低いものとなっている点である。家計の金融資産は1990-2015年期間をとおし、つねに国民所得の70-80%を下回る水準にあった。それどころか、国民所得の50%に満たないことさえしばしばだった。事実上、ロシア企業の民営化が家計金融資産の有意な長期的上昇にまったくつながらなかったかの如くである。もっとも、最初期に発生した金融資産の減退は想定内のものだった。それはソヴィエト時代の貯蓄が1990年代初頭のハイパーインフレーションにより、文字通り真っさらにされた時期にあたる。またもっと一般的な話として、1990年代のカオス的な貨幣・政治状況のさなかにあっては、市場価値でみた家計金融資産が1990年代の中ごろから後半になるまでずっと相対的に低く留まっていたとしても驚くにはあたらない、との立論も可能だろう。したがって理解が比較的難しいのは、こうした極端に低い価格がその後もしぶとく生き延びたこと、具体的にいえば1998年から2008年にかけてロシア株式市場ブームが発生していたのにもかかわらずそうなったこと、この点なのだ。
この矛盾については、極一部のロシア家計が、オフショア財産、すなわちオフショアセンターにある記録されていない金融資産を、極めて大量に保有している事実によりもっぱら説明される、というのがわれわれの見解である。具体的にいえば、1990-2015年期間のきわめて大きな貿易黒字 – もっぱら石油とガスの輸出が牽引 – と、比較的限られていたネットの対外資産蓄積とのあいだに、大きなギャップが存在するのである。われわれのベンチマーク指標の推定値によると、オフショア財産は1990年から2015年にかけて徐々に増加し、2015年までに国民所得の約75%、すなわちロシア家計のもつ金融資産で記録されているものとほぼ同額を占めるようになる。つまり、富裕なロシア人が国外 – 英国・スイス・キプロス・その他類似のオフショアセンター – に保有する金融資産は、ロシア国内でロシア全人口が保有する金融資産に匹敵するのである。さらにいえば、富裕なロシア人がオフショアに保有する財産は、ネットの外貨準備として公式に示されている値の約3倍にもなる。
図2 ロシアにおける私有財産の上昇 1990-2015 (国民所得の%で表示)
国際的に比較すると、ロシアにおける財産総計の変転は – 中国や旧共産主義国のそれと同じく – 1970-1980年代以降すべての発展国で実証されてきた一般傾向が極端化したケースと見做しうる。こうした一般傾向のなかでも特筆すべきは、やはり国民所得にたいする私有財産の一般的な上昇であり、これに付随した公的所有の凋落である (Piketty and Zucman 2014, Piketty 2014)。ロシアでは、私有財産が国民所得にたいして尋常ならぬ増加をみているが、その比率は2015年時点で 「たったの」 350-400%程度の大きさであり、これは中国や西欧諸国の水準とくらべると目だって小さい (図3を参照)。ロシアの私有財産におけるオフショア財産に関する我々の推定値を組み入れなければ、ギャップはこのうえさらに大きくなるだろう点も強調しておこう。くわえて、ロシアの私有財産の増加は、国有財産 – 私有財産と公有財産の合計 – が国民所得にたいしてほとんど増加していない (1990年の400%から、2015年の450%になった程度) という意味で、ほぼ公有財産のみを対価に購われた (図1)。これと対照的なのが中国の国有財産で、こちらは2015年までに国民所得の700%に達している。
図3 私有財産の上昇: ロシア vs. 中国および富裕国 (私有財産、家計) (国民所得の%で表示)
ロシアにおける所得格差の拡大
われわれは、国民経済計算・サーベイ調査・長者番付・財政データを結合することで、新たな所得分布時系列を構築した。管見の及ぶかぎり、ロシアの国民所得税表を利用しつつ公式のサーベイ調査準拠格差推定値を修正する試みとしては、これが初のものである。結果、サーベイ調査が1990年以降の格差の上昇を大幅に過小評価していることが判明した。われわれのベンチマーク指標にもとづく推定値によれば、トップ10%の所得シェアは、1990-1991年の25%未満から、2015年までに45%超に上昇している。またトップ1%の所得シェアも、同移行開始時における5%未満から、およそ20-25%に上昇した (サーベイ調査の示唆するところではおよそ10%)。次の点もここで指摘しておく価値があるだろう。すなわち、この尋常ならぬ上昇はボトム50%の所得シェアの大規模な暴落と同時に起きていたのである。こちらのシェアは、1990-1991年における全所得の約30%から、1990年中ごろには10%未満に下落、その後徐々に回復し2015年までに約18%となった。
われわれのベンチマーク推定値に従うと、1989-2016年期間を全体として考慮した場合、成人ひとりあたり平均でみた国民所得は41%分増加していたことになる。つまり一年あたり1.3%だ。先ほど言及したように、所得集団の違いによりそれが経験してきた成長も大きく異なる。ボトム50%の所得層ではきわめて小さな成長の恩恵しかなく、あるいは負の成長を被った場合もあるほどだが、ミドル40%には、相対的に慎ましくはあるが正の成長があり、トップ10%ともなるときわめて大きな成長率を享受している (図4を参照)。
図4 パーセンタイルごとにみた1989-2016年のロシアにおける累積実質成長
長期的に見ると、ロシアにおける所得格差の変転は、20世紀をとおし西欧で観察された長期にわたるU字型パターンが極端化したものに見える (図5)。所得格差はツァーリ時代のロシアにおいて大きかったが、その後ソヴィエト期をとおして非常に低い水準に落ち、最後にソヴィエト連邦崩壊をへてふたたび非常に高い水準に舞い戻った。トップの所得シェアはいまや合衆国で観測されている水準に近い (あるいはそれを上回る)。他方、ロシアにおける格差の拡大は中国や東ヨーロッパのその他の旧共産主義国とくらべてもかなり激しかった4。図6には共産主義崩壊後にみられたトップ1%所得シェアを、ポーランド・ハンガリー・チェコ共和国と比較したものだが、ロシアのそれが他国から顕著に分岐していることが見て取れる5。
図5 トップ10%の所得シェア: ロシア vs. 合衆国およびフランス
図6 トップ1%の所得シェア: ロシア vs. 東欧諸国
まとめると、われわれの新たな発見はロシアにおける極端な格差水準、そしてレントに依拠した資源への長期的な集中を浮き彫りにした – これは持続可能な発展・成長を作るのにうってつけの材料ではないだろう。とはいえ、データへのアクセスと金融的透明性の問題でロシアにおける格差の力学を適切に分析することがきわめて難しくなっている点は、ここで強調しておきたい。われわれはもっとも信憑性のある手法を用いつつ、現存する諸般のデータ資料を結合するために出来るかぎりのことをした。しかし利用可能な生データの質はとても十分とはいえない水準に留まっている。本研究は目下進行中のプロジェクトであり、したがって将来より洗練された方法が構想され、より優れたデータ資料が (願わくば) 利用可能となれば、本稿で報告したロシアの時系列データが改良されるだろうことは疑いない。
参考文献
Alvaredo, F, T Atkinson, L Chancel, T Piketty, E Saez and G Zucman (2016), “Distributional National Accounts (DINA) Guidelines: Concepts and Methods used in WID.world”, WID.world Working Paper 2016/02
Atkinson, A B and J Micklewright (1992), Economic transformation in Eastern Europe and the distribution of income. Cambridge University Press
Berglof, E and P Bolton (2002), “The Great Divide and Beyond: Financial Architecture in Transition”, Journal of Economic Perspectives 16(1): 77–100.
Bukowski, P and F Novokmet (2017), “Top Incomes during Wars, Communism and Capitalism: Poland 1892-2015”, LSE III Working Paper 17.
Garbinti, B, J Goupille and T Piketty (2017), “Income Inequality in France, 1900-2014: Evidence from Distributional National Accounts (DINA)”, WID.world Working Paper 2017/04.
Guriev, S and A Rachinsky (2005), “The Role of Oligarchs in Russian Capitalism”, Journal of Economic Perspectives, 19(1): 131-150.
Flemming, J and J Micklewright, J. (2000), “Income Distribution, Economic Systems and Transition”, in A B Atkinson and F Bourguignon (eds.), Handbook of Income Distribution, North-Holland, pp. 843-918
Mavridis, D and P Mosberger (2017), “Income Inequality and Incentives The Quasi-Natural Experiment of Hungary, 1914-2008”, mimeo.
Milanović, B (1998), Income, Inequality, and Poverty During the Transition from Planned to Market Economy. Washington DC: The World Bank.
Milanović, B and L Ersado (2010), “Reform and inequality during the transition: An analysis using panel houshold survey data, 1990-2005”, UNU-WIDER, 2010/62
Novokmet, F, T Piketty and G and Zucman (2017), “From Soviets to Oligarchs: Inequality and Property in Russia, 1905-2016”. NBER Working Paper 23712
Novokmet, F (2017), “Between Communism and Capitalism: essays on the evolution of income and wealth inequality in Eastern Europe 1890-2015 (Czech Republic, Poland, Bulgaria, Croatia, Slovenia and Russia)”, PhD Dissertation, PSE
Piketty, T (2014), Capital in the 21st century. Harvard: Harvard University Press
Piketty, T, E Saez and G Zucman (2016), “Distributional National Accounts: Methods and Estimates for the U.S.”, WID.world Working Paper
Piketty, T, L Yang and G Zucman (2017), “Capital Accumulation, Private Property and Rising Inequality in China, 1978-2015”, WID.world Working Paper 2017/06
Piketty, T and G Zucman (2014), “Capital is Back: Wealth-Income Ratios in Rich Countries 1700-2010.” The Quarterly Journal of Economics, 129(3): 1255-1310.
Roland, G (2000), Transition and Economics: Politics, Markets and Firms. Cambridge, MA: MIT Press.
Yemtsov, R (2008), “Housing Privatization and Household Wealth in Transition”, in J B Davies (ed.), Personal Wealth from a Global Perspective, Oxford: Oxford University Press, pp. 312-333.
Zucman, G (2015), The Hidden Wealth of Nations. Chicago: University of Chicago Press
原注
(1) 本方法論はすでに、合衆国 (Saez and Zucman 2016, Piketty et al. 2016)、フランス (Garbinti et al. 2016, 2017)、中国 (Piketty et al. 2017) における実用例がある。
(2) 住宅私有化の分配的効果については Yemtsov 2008を参照。
(3) 年間キャピタルフライトに関する本推定値は、国際収支におけるネットの誤差遺漏、および資本移転アウトフローの合計として算出したものである。そのうえで、年度あたりのキャピタルフライトを、収益率 (rates of return) に関するいくつかの仮定を置きつつ累計した。オフショア財産の重要性一般についてはZucman (2015) を参照。
(4) 社会主義政権期およびその後の移行期における東ヨーロッパの所得格差に関しては、数多くの研究がなされている (例: Atkinson and Micklewright 1992, Milanović 1998, Milanović and Ersado 2010, Flemming and Micklewright 2000など)。
(5) ポスト-共産主義期のロシアと中央ヨーロッパ諸国にみられた分岐的な格差パターンの底にある主因としては、制度的分岐 (たとえば後者の事例においてヨーロッパ連合がはたした 「制度的アンカー」 など) が挙げられることが多い (例: Berglof and Bolton 2002, Roland 2000)。
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