魚が好きで、釣りも好きな私にとって、水族館と並んで、生きた魚を身近に感じられるのが釣り堀だ。日頃から自然の中で釣りをしている人は、「釣り堀なんかで釣って何が面白いんだ」と思うかもしれない。しかし、限られた場所、時間、道具立ての中で、釣り堀のお兄さんから「魚が慣れちゃっててなかなか食わないかもしれませんが……」とまで言われる中、工夫を凝らして他の釣り人より多くの魚をポンポンと釣り上げられると、なかなかの快感である。自然の釣り場と違い、魚が確実にそこに居る点では、純粋な知恵比べと呼べるかもしれない。
ところで、「魚が慣れて食わない」とはどういう状況か考えてみると、釣り人が使う餌や仕掛けを覚え、回避するようになったことが想定される。魚がいるのに釣れない「スレ」の原因は魚の学習にある、というわけだ。そこで本稿では、Beukemaの学習説を紹介する。前回紹介した「同種の魚に釣れやすい個体と釣れにくい個体がいる」とするMartin仮説と対を成す説だ。
総勢800人で釣りをしてみた
Beukemaは、釣られた経験を持たないコイCyprinus carpioを10か所の 実験池に収容し、釣り実験を行なった。
全ての魚に事前に標識をつけて個体識別できるようにし、1日4時間、一度に2–3人の釣り人の協力のもと、2週間のあいだ毎日釣りを行なった。釣れた魚は、標識を確認した後すぐに同じ池にリリースした。なお、道具やエサは釣り人の自由とし、総勢800人近い(!)釣り人が参加した。
まず、釣り人1人の1時間当たりの釣果をみると、どの池でも初日が最も高く(平均0.8–1.7尾)、2日目以降は徐々に低下していき、5日目以降は初日の1/4を下回る水準(0.15–0.4尾)に留まった。すなわち、常に同じ数の魚が池にいるにもかかわらず、釣りを続けることで魚が釣れにくくなる「スレ」状態が確認された。Beukemaはスレの原因を「魚が針がかりの経験から学習し、針についた餌を避けるようになったためではないか」と考え、以下2つの検証によってそれを確かめた。
魚が学習しない場合、釣られるか否かはランダムに決まるはずであり、各々の魚の釣り上げられた回数(0回、1回、2回、…)は「ポアソン分布」と呼ばれる、ランダムに起こる出来事の発生予測と一致するはずであった。しかし、実際の集計結果はポアソン分布から有意に外れており、1回だけ釣られた魚が予想より多く、2回以上釣られた魚の数が予想より少なかった【図1】。つまり、1度釣られた魚は、2度目以降は予想通りには釣られなかったということだ。
さらに、各実験日の釣獲率(その日に全体の何%の魚が釣り上げられたか)には、魚の釣られた経験の有無による違いがみられた。魚のよく釣れていた、初日から4日目までの期間では、釣られた経験をもたない魚で20–30%、釣られた経験のある魚で5%前後と、釣られた経験のない個体の方が釣られやすかった(図2)。
なお、5日目以降、釣られた経験をもたない魚の釣獲率も5%にまで低下したが、これは実験開始から4日経った時点で、池の中のほぼ全ての個体が一度は針がかりを経験し(大きい魚ほど釣り落されることが多く、1kgのコイでおよそ2回に1回は針から逃れていた)、釣り針を学習したためとされている。
釣られた記憶は1年経っても残る
Beukemaはこの1年後に、本実験で使った魚と新たに用意した魚を混ぜて釣り実験を行ない、釣られた経験のある魚が1年経っても依然として釣られにくいことを確認した。「針がかりに伴う痛みの経験は、たった一度であっても、魚にとって強烈な記憶になりうるのだろう」と述べられている。
たった一度の(文字通り)痛い経験で、釣り針についたエサの特徴を学習し、その記憶を長期間もち続けるとは、魚もなかなか賢いものだ。そんな彼らの記憶をかいくぐって見事に釣り上げられるかどうかが、釣りの腕の見せ所でもある。
ここでひとつ自分の経験を紹介しよう。冒頭の釣堀は、渓流のニジマス釣り場だった。同じ竿・同じエサを使っていた他の釣り人を差し置いて、自分だけ入れ食いを体験した。実践したコツはたった1つ、「エサを流れに乗せ、魚の目の前まで自然に流す」だけ。人気のない場所を選び、「エサを投入してすかさず下流へ流れと同じ速さで歩いていく」ことを繰り返すと、ほぼ2投に1投のペースでマスがヒットした。
じっと座って糸を垂れる人の釣りエサは、流れの中で不自然に静止する。マスはその様子を記憶し、釣り針のついたエサを回避していたと予想できる。そこで、魚のはるか上流からエサを流れに乗せて漂わせてやれば、彼らの記憶をかいくぐれるだろうというわけだ。「なかなか釣れない」と言われたにもかかわらず、結局、1人で20匹近くも釣って大注目を浴び、「魚の行動研究で蓄えてきた知識が現場で活かせた」としばらく浮かれていたのを覚えている。
ここまで、魚の「スレ」現象を、釣れやすさの個体差(Martin仮説)あるいは魚の釣り針学習(Beukemaの学習説)が原因である、とする研究事例を1つずつ紹介してきた。それでは、2つの仮説が同時に成立することはあるのだろうか。次回は、両仮説を単一の実験で検証した事例を紹介しよう。
――吉田誠[東京大学大気海洋研究所・博士(農学)]2017年12月4日掲載
*現役の研究者が「釣りを科学する」連載です。株式会社スマートルアーの見解を示すものではありません。
■文献情報
Beukema J. J. (1969) Angling experiments with carp (Cyprinus carpio L.): I. Differences between wild, domesticated, and hybrid strains. Netherlands Journal of Zoology 19: 596–609.
Beukema J. J. (1970) Angling experiments with carp (Cyprinus carpio L.): II. Decreasing catchability through one-trial learning. Netherlands Journal of Zoology 20: 81–92.
http://booksandjournals.brillonline.com/content/journals/10.1163/002829670x00088
吉田 誠(Makoto A. Yoshida)、博士(農学)
2017年9月、東京大学大学院農学生命科学研究科水圏生物科学専攻博士課程修了。
専門は、動物搭載型の行動記録計(データロガー)を使った魚の遊泳行動に関する力学的な解析と野外での魚の生態研究。
小学生の頃、祖父との海釣りで目にした、海面に躍り出た魚の一瞬のきらめきに魅せられて、魚の研究者を志す。「人と魚の間で繰り広げられる『釣り』という営みを、魚目線で見つめ直してみよう」、そんな視点から、釣り人の皆さんの役に立ちそうな学術研究の成果を紹介していきたい。