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12:07 2015/03/23 この本は 以前にも借りた筈なのですが 再び その題名に惹かれて メッサーシュミットBf109の機体から 武器は外され防弾鋼板も撤去されて 丸腰の戦闘機で1945年4月7日にベームは 出撃し… ナチス・ドイツが編成した特攻隊「エルベ 特別攻撃隊」が、自己犠牲攻撃を発動したのだ。 ドイツ北部のエルベ川周辺に展開するため、 通称としてそう呼ばれている。戦闘機180機を 動員して爆撃機に体当たり攻撃を試み、約80人が 戦死・行方不明になったとされている。ベームは エルベ特別攻撃隊を知る数少ない生き残りの1人だ。 あとがきには、 こう書かれていた。 確かに エルベ特別攻撃隊と 日本の神風特別攻撃隊は違う。 何より、爆弾を抱えて敵艦船に突入する 神風は「十字零生」なのに対し、敵爆撃機に 突っ込んでパラシュートで脱出することに なっていたエルベ特別攻撃隊は、十に一くらいは 生還の可能性があった。事実、本文にも記した とおりB17に突入して生還した隊員もいる。 人命といえば、ヒトラーほど人の命を粗末に したものはない。では、なぜヒトラーはエルベ 特別攻撃隊の発動をためらったのか。私は一連の ヒトラーの振る舞いの中に、一人の人間に対して 臆病だった彼の人格を見る。ハンナ・ライチェが V1飛行爆弾を有人化して特別攻撃を提起した時も そうだった。「生き残る可能性は残すべきだ」とは、 スターリングラードで十万人も見殺しにした人間が 言う台詞ではない。エルベ特別攻撃隊に対しても ヒトラーは「自分は命令するつもりはない」「隊員の 自由意思だから」と判断を避けた。 このような態度がナチス幹部に共通していたことにも 驚かされた。ゲーリングもまたヒトラーの顔色を うかがって態度が定まらず、ヒトラーが黙認を 与えた後も、エルベ特別攻撃隊への命令文から 一文を削除するという手段で隊員たちと直接 接する機会を避けた。ゲッペルスも部隊の訪問を 直前になってキャンセルした。 生命への無責任こそナチスの核心だった。それが 「私が全責任を負う」と大衆に大見得を切った ヒトラーの正体だったのかもしれない。 生還の見込みがない 必勝体当たり攻撃と ひょっとしたら 生還するかもしれない可能性に かける自己犠牲攻撃の どこがどう違うのか? 僕には到底理解できず。 どっちにしても たいした 違いが ないではないか!(#`Д´) |
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