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過労の現代人よ、「休日増」を勝ちとった江戸の若者たちをご存知か

長時間労働問題、解決のヒント
畑中 章宏 プロフィール

村共同体の神仏祭礼にかかわる祭礼型休日である「遊び日」は、年間で30日~40日台から、ところによっては50日台、60日台以上、最大80日までにも達している。

流行神の盛行、各地の有名神への信仰を広げた御師(おし)の活動などによって、村に神様が増えるたび、その祭りのために、少なくとも1日ずつ休みが増えていったのだ。

流行神には、御鍬神・疫病神や養蚕業の勃興による蚕神があり、御師の活動により勧請された神々には、伊勢・秋葉・金毘羅・稲荷・津島・富士・三峯・御嶽・天神などがある。さらには雨祝い・雨乞・虫送り・二百十日・疫病退散、年貢減免祝い舞など、あらゆる祭りが遊び日に認められていった。

近世末期の信仰の多様化が休日を呼び込み、休日を増やすため神々が招かれていったともみられる。

こうした祭礼型の「休日」に対して、労働休養型の休み日は「休暇」にあたるといえよう。

ヨーロッパにおける「休日」は、日曜安息日のようにほんらいは神の祝祭日で、「休暇」は産業革命以後の労使契約関係における労働免除日だった。近世の日本でも「休暇」が得られていたのである。

 

若者たちが獲得した休日の実態

村役人に要求し、このような休日増大をもたらしたのは、年季奉公人層、脱農・離農化した下層村民、そして若者たちだった。

農村の若者が組織した「若者組」は強力な集団的要求で村を動かし、祭礼型の休日を増大させていった。住み込みの年季奉公人は、高賃金、休日の増加、労働の緩和を求め、労働休養型の休日を要求した。下層村民は、「勝手遊び日」「気儘遊び日」といった特例の休日を求めていった。

全国の村々で、遊び日増大の要求を噴出させたのは若者たちだった。その目的は休日を獲得して、祭礼の際に、歌舞伎・狂言・踊り・神楽・獅子舞・人形芝居・相撲・花火などで遊ぶためだった。

遊び日を要求するさい、彼らは、親から五人組頭や百姓代を通じて名主へという直訴の通常の道筋をとらず、多数で押しかけるという集団的示威行動をとった。

応対した村役人側は要求の大半は呑まざるをえず、神仏祭礼がどんどん増えていった。歌舞伎や相撲などの祭礼興行を企画した若者組の面々はさらに、祭りの前日の稽古や、祭りの翌日も休日にするよう、村役人に要求したのである。

こうして祭礼型の休日は、宗教的色彩を薄めて明らかに「余暇」になっていった。