2017-12-04

車輪何度でも発明されるべきだろう

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京大ナンバーワン教官が教える「勉強することのホント意味」 これがミライの授業だ

http://news.livedoor.com/article/detail/13971240/

いろいろ異論があるのだけど、その中でも些細かもしれないがけっこう「ちがうだろ!」と強く思ったところ、ここ。

「昔、中国田舎に、数学がすごくできる中学生がいました。ある数学研究者がその子の才能を見抜いて、『君は都会の学校に行って、数学勉強をするべきだ』とアドバイスしました。しかし、その子の親は『うちで農業を手伝わせます』と進学を止めたのです。

何年かして研究者がその子に再会すると、彼はこう言いました。『先生、僕はすごい発見しました。この公式を使うと、あらゆる2次方程式が解けるんです』。彼が見せたのは、皆さんが中3で必ず習う『解の公式』でした」

生徒たちがどっと笑う。「ゼロから車輪を再発明する」ようなことは、時間無駄しかない。すでに解明されている真理や、かつての人々が見出した知見、発明された技術は、できるだけ効率的に学ぶことが、新しいものを生み出すためには必要なのだ



実はこの「解の方式の再発見」、自分中学生の時にやっている。学校の授業がさっぱりわからず、「けど、xに当てはまる数を出せばいいんだろ。絶対もっと楽な方法あるはずだから」と授業も聞かずに真剣に考えてたら、何か手応えのあるのが出てきた。何回使ってみても正解が出る。「オレって天才」と思って数日の間は得意の絶頂にいたんだけど、気がついたらそれって解の公式だったってオチ

でも、おかげで二次方程式が何なのかが理解できたんだから自分にとっては無意味とか時間のムダだとか、そんな訳は絶対にない。教師説明じゃわからなかったところを自分で導き出したのは、とことん貴重な経験だったと思ってる。

解の公式なんてのはしょせんは道具だ。道具としてみたときには、再発明するよりは既にそこにあるものを使ったほうが賢いだろう。再発明バカのやることだ。

けれど、重要なのは道具が必要なことに気づき、その道具を作り出すことができる能力だ。そういう立場からは、道具そのもの意味を見出すのはバカげている。

ここで笑った高校生たちは、そういうことを教えられずに育ってきたんだろうと思う。車輪何度でも発明していい。電話だって発明できたんだから

  • anond:20171204075846

    居るんだよね。 マニュアルも読まずに機器の使い方を新発見する奴。 それ、マニュアルに書いてあるから。。

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