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京大ナンバーワン教官が教える「勉強することのホントの意味」 これがミライの授業だ
http://news.livedoor.com/article/detail/13971240/
いろいろ異論があるのだけど、その中でも些細かもしれないがけっこう「ちがうだろ!」と強く思ったところ、ここ。
「昔、中国の田舎に、数学がすごくできる中学生がいました。ある数学の研究者がその子の才能を見抜いて、『君は都会の学校に行って、数学の勉強をするべきだ』とアドバイスしました。しかし、その子の親は『うちで農業を手伝わせます』と進学を止めたのです。
何年かして研究者がその子に再会すると、彼はこう言いました。『先生、僕はすごい発見をしました。この公式を使うと、あらゆる2次方程式が解けるんです』。彼が見せたのは、皆さんが中3で必ず習う『解の公式』でした」
生徒たちがどっと笑う。「ゼロから車輪を再発明する」ようなことは、時間の無駄でしかない。すでに解明されている真理や、かつての人々が見出した知見、発明された技術は、できるだけ効率的に学ぶことが、新しいものを生み出すためには必要なのだ。
実はこの「解の方式の再発見」、自分も中学生の時にやっている。学校の授業がさっぱりわからず、「けど、xに当てはまる数を出せばいいんだろ。絶対もっと楽な方法あるはずだから」と授業も聞かずに真剣に考えてたら、何か手応えのあるのが出てきた。何回使ってみても正解が出る。「オレって天才」と思って数日の間は得意の絶頂にいたんだけど、気がついたらそれって解の公式だったってオチ。
でも、おかげで二次方程式が何なのかが理解できたんだから、自分にとっては無意味とか時間のムダだとか、そんな訳は絶対にない。教師の説明じゃわからなかったところを自分で導き出したのは、とことん貴重な経験だったと思ってる。
解の公式なんてのはしょせんは道具だ。道具としてみたときには、再発明するよりは既にそこにあるものを使ったほうが賢いだろう。再発明はバカのやることだ。
けれど、重要なのは道具が必要なことに気づき、その道具を作り出すことができる能力だ。そういう立場からは、道具そのものに意味を見出すのはバカげている。
ここで笑った高校生たちは、そういうことを教えられずに育ってきたんだろうと思う。車輪は何度でも再発明していい。電話だって再発明できたんだから。
居るんだよね。 マニュアルも読まずに機器の使い方を新発見する奴。 それ、マニュアルに書いてあるから。。