2007年10月07日

ときわ台出身・ゆかりのある芸能・有名人

・寺田農(てらだ みのり)

俳優の寺田農さんはときわ台出身です。

東京都立志村高等学校卒業。
早稲田大学政治経済学部中退。

寺田さんはお生まれは当時の東京府東京市豊島区椎名町。
5歳の時に寺田さんのお父様がときわ台に土地を購入し、
ときわ台に引っ越されて来たそうです。

ときわ台には5歳の時から1人暮らしを始める20歳前後の時まで
住まわれていたとのこと。

その後平成元年にお父様が亡くなり、
その翌年の1990年から再びときわ台に戻って住むようになり、
2010年に池袋に転居されるまで20年間ときわ台で暮らされていたそうです。

<略歴>
1942年、洋画家の寺田政明の長男として生まれる。
5歳まで椎名町の「池袋モンパルナス」アトリエ村にて生活する。
早稲田大学中退後の1961年、文学座附属演劇研究所に第一期生として
入所し俳優の道を歩み始める。
文学座の同期には
岸田森、草野大悟、橋爪功、樹木希林、小川眞由美、北村総一朗らがいた。
1968年、岡本喜八監督の「肉弾」に主演し、
毎日映画コンクール主演男優賞受賞。
以降、実相寺昭雄、相米慎二、石井隆監督らの作品の常連として活躍。
ドラマ・特撮などジャンルを問わず、堅実な演技を見せ、
大河ドラマの出演数も極めて多い事で知られる。
俳優としての活動の他、映画監督・ナレーター・声優としても活躍し、
声の出演ではスタジオジブリのアニメーション映画「天空の城ラピュタ」の
ムスカ大佐役が有名。
弟子として面倒を見た元付き人に椎名桔平らがいる。
サッカーへの造詣が深く、芸能人サッカーチーム「ザ・ミイラ」には
1980年代から所属。
自らも試合でプレーする程のサッカー好きとしても有名。


(※ 「池袋モンパルナス」=大正末期から第二次世界大戦の終戦時にかけて
東京都豊島区西池袋、椎名町、千早町、長崎、南長崎、要町周辺に存在し、
多くの芸術家が暮らし芸術活動の拠点としていたアトリエ村
(貸し住居付きアトリエ群)地域の呼称。
また、この地域に暮らした画家、音楽家、詩人など様々な種類の芸術家が
行った芸術活動およびその文化全体を指す。)

寺田さんとときわ台・椎名町については、
寺田さんがご自身で語られているこちらのインタビューが詳しいです。

(参照URL)
http://gold-fish-press.com/archives/1798




・田中直紀

政治家で田中眞紀子さんの夫でもある田中直紀さんはときわ台出身です。

1940年石川県金沢市生まれ。

板橋区立常盤台小学校卒業。

中学・高校は私立武蔵中学校・高等学校を卒業。
慶應義塾大学法学部政治学科卒。

お生まれは石川県金沢市。
幼少の頃にときわ台に転居し、以降ときわ台で育たれたそうです。




・和泉元彌(いずみ もとや)

狂言師の和泉元彌さんはときわ台出身です。

板橋区東新町のご出身。

1974年岐阜県生まれ。

私立明照幼稚園年少部入園(年少のみ)。
青山学院幼稚園卒園。青山学院初等部・中等部・高等部卒業。
青山学院大学文学部日本文学科卒。

ときわ台出身の和泉さんは以前はご家族で東新町に住まわれていました。
在住当時は妻で女優の羽野晶紀さんがお1人、またご家族で
東武練馬のイオンやときわ台周辺で買い物をする姿が
頻繁に目撃されていたそうです。

羽野さんは現在、実のお姉様が同じ東武東上線沿線の朝霞に
住まわれており、お姉様と会う時には東武練馬で待ち合わせをして
お会いになる事が多いとのこと。
羽野さんは以前、2014年放送の『出没!アド街ック天国』の「東武練馬」の回に
出演し、このお姉様の事や
「板橋区に主人の実家が在り、東武練馬にも良く出かけていた。」等、
話されていました。

『2014年3月1日 出没!アド街ック天国 東武練馬』



羽野さんは2015年放送の『出没!アド街ック天国』の「上板橋」の回にも
お隣のときわ台に住んでいたという事で出演され、上板橋の商店街に
良く買い物に行っていた事について、

「(上板橋の上板橋北口商店街にあるパン屋さんのパン工房 ぽけっとの
名物パン「鶏蒲焼ごはんパン」(ご飯と鶏蒲焼をサンドした調理パン)を
初めて見た時には)

「あれ(鶏蒲焼ごはんパン)、ビックリですよ。笑うしかない。(笑)
笑いながら食べましたから。(笑)」

と話されたり、
川越街道にある上板橋の五本けやきについては、

「(埼玉の朝霞に住まわれているお姉さまの家を訪れて
当時羽野さんが暮らしていたときわ台の自宅に帰る際に)

川越街道を車で走っていて、上板橋の五本けやきを見ると、
「ああ、家(和泉さんの実家)に帰ってきた。これから都心に入るぞ。」
という気持ちになります。(五本けやきは)目印ですよ。」

等、話されていました。

『2015年5月9日 出没!アド街ック天国 上板橋』
(羽野さんが鶏蒲焼ごはんパン、五本けやきの事について話す部分は
12:32頃と36:49頃から。)



和泉さん御一家は現在は東新町から転居され住まわれていません。
しかし、東新町の狂言の稽古場には現在も通われているとのこと。
ご自身のブログでも頻繁に「今日は東新町。」「東新町へ。」等、
書かれています。

ときわ台出身の和泉さんは幼少時代から、大山の板橋区立文化会館、
成増駅北口のアクトホールなど、
地元板橋区内の施設で狂言を披露されてきており、
現在も地元ときわ台の天祖神社などで狂言を行われています。

2012年4月14日には地元ときわ台の天祖神社神楽殿において
薪狂言(たきぎきょうげん:野外で篝火(かがりび)を焚いて上演する狂言)を
行い、その感想をご自身のブログに

「御神縁に感謝し、その縁を結んで頂けた関係者の皆さんに感謝し、
お集まり頂いた皆様に感謝いたします。」

「地元って ありがたい!」

「お忙しい中、板橋区長もおいで頂き ありがたい言葉を頂戴しました。」

「地元での桜の季節の薪狂言! また来年も ご縁を頂けたら…。」

と綴られていました。

(参照URL)
http://ameblo.jp/motoya1974/day-20120414.html
http://www.tokiwadai-tenso.or.jp/topic/topic12-2.html
(ページ中程に薪狂言についてのトピックがあります)




・エスパー伊東

お笑い芸人のエスパー伊東さんはときわ台にお住まいです。
伊東さんは板橋区内のお祭りやイベントにも精力的に参加されています。

2005年11月には、板橋区が募集した「空き店舗活用コンテスト」において
同じ板橋区内に在住していたお笑い芸人へらちょんぺさんと共に提案した
事業プラン「板橋芸人ショッププロジェクト」が審査員特別賞を受賞。

(参照URL)
元URL:http://itabasigeininn.hp.infoseek.co.jp/index2.htm
web archive

伊東さんはお生まれは熊本県阿蘇郡ですが、育ったのは東京都とのこと。
幼少時代は成増に住まわれていたそうです。




・竹田高利:(コント山口君と竹田君)

お笑いコンビ「コント山口君と竹田君」の竹田高利さんはときわ台出身です。

1957年生まれ。




・小木博明:(おぎやはぎ)

お笑いコンビ「おぎやはぎ」の小木博明さんはときわ台出身です。

1971年生まれ。

私立緑ヶ丘幼稚園卒園。

板橋区立上板橋小学校、
板橋区立上板橋第一中学校卒業。

高校は東京都立北野高等学校
(2005年に都立志村高等学校との統合の為廃校)を卒業。

東武練馬(板橋区徳丸)に在った都立北野高校で
現在の相方矢作兼さんと出会いコンビ結成。

小木さん曰く、

「高1の時から矢作の存在には気付いていたけど、
高3の時に矢作と同じクラスになってから初めて矢作に話しかけて
友達になった。」

とのこと。
以前TV番組で矢作さんもこの事について話されていました。

『2013年9月16日 ネプリーグ』
(高校時代に小木さんと友達になったきっかけの事を話す矢作さんは
23:45頃から。)



同じ東上線出身という事で、成増出身の石橋貴明さんからは番組内では

「彼らはなんてったって東上線ですから。」

「東上線連合だ!」

と、東上線仲間・東上線後輩、といった感じで紹介されたりしています。

小木さんは東上線沿線の飲食店にも馴染みが深く、
大山の洋包丁、大山のレストランオオタニ、ときわ台のカッチャトーレ、
東武練馬の中華たけいし、
などのお店に足繁く通われていたそうです。

大山の洋包丁については2011年放送のテレビ東京系列『7スタBratch!』
番組内でも、洋包丁のスタミナ焼ランチが特に好きで現在も食べに行く事など
を話されていました。

2006年放送の『みなさんのおかげでした』の「新・食わず嫌い王決定戦」に
出演された際には、上板橋の和洋菓子店 ひと本 石田屋の「栗饅頭」を
お土産に持参し、

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その栗饅頭を食べた石橋さんの

「うまい!やったな上板橋。これ1個いくら?140円?安い!」

との感想に小木さんは、

「でしょー。上板橋ですから。ほんと、東上線は安いですよ。」

と答えていました。


また、小木さんは20歳の時、地元板橋区の成人式で青年代表として
スピーチをしたそうですが、あがってしまい上手く喋れず、
それが今でもトラウマとして残っているそうです。

他にも、おぎやはぎのお2人は主に成増出身の石橋さんと絡む時や、
お2人の番組でも東上線トークを繰り広げています。
以下に紹介します。


(2006年10月放送の日本テレビ『天才!!カンパニー』にて)

矢作:「小木くん。」
小木:「はい。」
矢作:「大学生男子の駅伝と言えば、どこですか?」
小木:「男子の駅伝と言えば・・・箱根。」
矢作:「正解です・・・それでは女子は?」
小木:「女子?・・・まあ・・・箱根でいくと女子は・・・
熱海とかあの辺になるのかなあ。」
矢作:「そういう繋がりじゃないんですよ。箱根だから熱海・・・ないの。」
小木:「ふうん。」
矢作:「もっと上の方って言うんですか。」
小木:「東京より・・・上って事は・・・朝霞台とか、志木とか。」
矢作:「チョットだよね。」
小木:「志木まで行っちゃう?じゃあ。」
矢作:「朝霞台とか、知ってる人あまりいないよ?
地元の感じじゃなくて、もっと上、上、上。」
小木:「もっと上行くの?」
矢作:「上。」
小木:「・・・どこだろ・・・仙台??」
矢作:「・・・正解!!!」



等、東上線出身者ならではの東上線トークをされています。




・東てる美

女優の東てる美さんはときわ台出身です。

<略歴>
1956年生まれ。
1974年に「生贄夫人」でデビュー。
以後1970代後半まで日活ロマンポルノで活躍。
ポルノ引退後は、二子玉川で古本漫画書店を経営。(現在は閉店)
女優業では一般作に転じ、
『渡る世間は鬼ばかり』の小姑野々下邦子役などで名を知られる様になる。
2007年には『特命係長・只野仁』に出演。
久々に裸身を披露し、激しいベッドシーンを演じて話題に。

美保純さんと共に、日活ロマンポルノ出身で一般作でも成功した
数少ない女優さんの一人です。




・大川豊

応援団風パフォーマンスで80年代中頃に話題となり、
現在も江頭2:50などの芸人を抱える芸能事務所大川興業の“総裁”
大川豊さんはときわ台出身です。

1962年東京都豊島区生まれ。

豊島区のお生まれですが、板橋区常盤台育ちとのこと。

板橋区立上板橋第一中学校卒業。

高校は東京都立豊島高等学校を卒業。

明治大学商学部の学生時代に既に学ラン集団「大川興業」を結成していた
大川さんは当時、153社連続で就職活動に失敗し、
「自分で自分に内定を出すため」
1985年に常盤台で大川興業株式会社を興しました。

大川興業の現在の本社所在地は港区三田になっていますが、
1997年まで本社所在地は板橋区常盤台でした。

ときわ台出身の大川さんはご自身のブログでも、
ときわ台の伝説の名曲『常盤台ブルース』について
触れるなどしていらっしゃいます。

(参照URL)
ジェロ、鼠先輩の次にブレイク必至だ。
大川総裁とベトコン芸人の連絡帳:常盤台ブルース

常盤台ブルース
rakuten.co.jp




・中野忠晴

歌手で作曲家の故・中野忠晴さんは晩年、ときわ台に
住まわれていたそうです。

<略歴>
愛媛県出身。昭和9年、歌手として歌った「山の人気者」が大ヒット。
ジャズコーラスというジャンルを日本に植えつける。
他にも「バンジョーで唄えば」「チャイナ・タンゴ」「小さな喫茶店」が
立て続けにヒット。
その後戦争の激化とともにジャズが制限され、
昭和16年に自身のグループ「コロムビア・リズムボーイズ」が解散。
慰問活動などを経たのち、高知の土佐中部第八十四部隊に召集されたが
幸いにも無事帰還する。

戦後は作曲家として活躍。
江利チエミ、松島詩子、若原一郎、三橋美智也、春日八郎らに
楽曲を提供した。
代表作には三橋美智也が歌った「達者でナ」「赤い夕陽の故郷」、
若原一郎の「おーい中村君」、松島詩子の「喫茶店の片隅で」などがある。


その後も、歌謡曲を中心にヒット作を作り続けた中野さんでしたが、
1970年2月19日、肺ガンのため板橋区東新町の自宅で死去。享年60歳。

戦前の日本で明るく朗らかなジャズソングを歌い、
日本で初めて本格的なジャズコーラスグループを結成した中野さんの功績には
近年再評価の声が高まって来ています。


posted by pokochi444 at 05:06 | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
俳優の古谷一行さんがときわ台出身という情報があります。
Posted by pokochi444 at 2007年10月30日 06:00