「人生を諦めようかな」と思ったことある人はいますでしょうか。
僕はあります。何度も何度も。挫折さして新しいことに挑戦し挫折しての繰り返しです。
僕にはできないことが多すぎる。
「なぜ親にできないことを強いられてきたのだろう」「なぜ弟よりできないのだろう」「なぜ友達はできない僕と遊んでくれるのだろう」「なぜ仕事ができないのにクビにならないのだろう」
喪失感や劣等感に苛まれてきました。
そのたびに人生諦めたくなりました。
一回、上司に聞いたことがあります。
「僕って会社に必要ですか?何でクビにならないんてすか?」
すると上司はこう答えます。
「俺もできないから同じだよ、気にするな」
相談する相手を間違えました。
僕は傷の舐め合いをしたいわけではありません。
同情もいりません。「あいつより全然マシ」と言われることもありますが比較もされたくないです。そもそも自分が一番できないと思っているので"あいつより全然マシ"とか言われても嬉しくないです。
ただ答えを知りたいだけです。
どうしても自分の優れている部分が見いだせません。
でもずっと考えてしまします。何でできないんだという悔しさよりも、他の人との劣等感の方が大きいですね。
あと僕は人に説明するのがすごく苦手です。会社でそれを毎日実感しています。僕は建築業ですけど自分の書いた図面なのに大工さんにうまく説明できない、というか理解してもらえない時があります。
説明してるのに「どういうこと?」と聞き返される屈辱感ったらないですよね。あと分かっているのに説明できないというもどかしさ・・・イライラしますよ。すべて自分に対して怒っているわけですが。
そんな自分のことを諦めてしまっているんです。いつまで経っても前に進めないから、何をやっても天井がすぐそばにあるから。
考えすぎですか?捻くれてますか?ネガティブ過ぎますか?
同僚のギャルとよく昼を食べい行くのですが「私もネガティブですけどぉ、〇〇さん見てたら私の方がマシに見えてきましたよ」と言われてしまいました。
漫画、スラムダンクの名言があります。
僕は安西先生に物申したいんですよ。別に「諦めようが諦めないが時間がきたら試合は終了だわ」なんて揚げ足をとるつもりはありません。
それは勝利を確信しているからこそでてくるセリフじゃないですかね。
限られた時間の中でチャンスがあるのならのんなセリフも言えると思います。しかし未来が定まってない場合でも同じことを言えるでしょうか。
諦めずに頑張っている人を非難してるわけではないですけど、状況によってはできないと見切りがつけてさっさと諦める方が賢明の場合もあると思います。
人生諦めも肝心、今日はそんな話です。
そもそも諦めるとは
諦めも肝心、できないものはどう頑張ってもできないですから。
諦めるという言葉は一見ネガティブな言葉に聞こえますけど、その語源は本来「明らめる」と書きます。真実をありのままに受け入れて明らかに見る・・・物事をしっかりと見極めるという意味です。
つまり諦めるとはただ単に断念して努力しなくていいというわけではありません。見極めて力を入れる方向性を見極めるということです。今のやり方がダメなら別の方法で前に進めるかもしれないじゃないですか。
目的を達成するためにどうすればいいのか自分のできることを考えます。
例えば、幸せになりたいからお金持ちの人と結婚したいと考えます。でもなかなか現実はそんなに甘くはありません。ここがポイントです。お金持ちの人と結婚するまで自分の理想を追い求めるのか、自分の身の丈に合った人を探すのか。考えてください、目的は幸せになることですよね。果たしてお金持ちと結婚することだけが幸せになる方法なのでしょうか。幸せになることは何も一つじゃありません。
だから諦めて(明らめて)、現実を受け入れ譲れない目標のために方向転換していってください。
大切なのは目的です。自分のこだわりで選択肢を狭めてしまったら大切なことまで見失ってしまいます。
諦める勇気も必要ですよ。
ですが諦めきれない人はいると思います。そんな人のための人生を諦める方法を書いていきます。
人生を諦める方法
人生に期待しないこと
子供の頃は夢を持っていたと思います。スポーツ選手になりたい、芸能人になりたいと大層な夢を掲げていますね。
どれだけの人がそんな夢を叶えられているのでしょうか。大人になって定職についてから芸能人になりたいと夢を諦めてない人はほとんどいないはずです。
そりゃあ子供からしたら大人は憧れの存在ですよ。大人は勉強もしなくていいし毎日好きなことができる、そう思っていた時代もありました。しかし現実はどうですかね、安月給で好きでもない仕事を毎日こなし、家に帰れば家族に小言を言われ、上司に怒られ休日出勤、自由だからこそ自分の意思で行動するため全部自分の責任になります。ストレスもたまります。親が守ってくれていた子供時代とは違うんですよ。
期待していた将来と現実は違います。
人生きっといいことあるさと期待するだけ裏切られて自分が苦しい思いをするだけです。そんなんだったら初めから期待なんてしない方がいいです。
おいしそうだと期待したラーメンやに行って食べたらまずかった・・・こんな経験ないですか?失望しますよね。期待しないのならそんな失望なんてありません。最初から期待してないからです。
だから一つの人生を諦めて、また違った道筋を考えることができます。期待しすぎない分一つのことに固執せず自由な発想で人生におけるいろんな出来事を柔軟に対処することができます。
「自分の人生なんてこんなもんだ」「なるようになるだろ」と気楽に考える方がちょうどいいですよ。
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他人に期待しないこと
他人における期待とは「仕事を成功して欲しい」という成果を求める期待と「仕事が欲しい」という自分の欲望を叶える期待とがありますが、これはどちらも叶わなかった時には相手に対してイライラしたり失望したりします。
僕は小さい頃から親に言われるがままにエレクトーン(なんかピアノのようなやつ)を小学校の中頃まで習っていましたけれど、僕には音楽の才能がなかったようであまりにできなため、僕自身音楽が嫌いになりました。その時親に「あんたには幻滅だわー」と言われた覚えがあります。僕に何を期待していたのか知りませんが、勝手にエレクトーン習わせといて勝手に幻滅させられたら僕はどうすればいいんですか。自分がエレクトーンで成功しなかったから息子には成功して欲しかったようでずいぶん落ち込んでいました。
知らんがな。僕はそうなりたくないんです。人生に期待することと同じで期待すればするだけ期待に応えてもらえなかったときの反動はでかいです。
そうですよね、女の子の気持ちになって考えたらバレンタインにチョコあげたのにホワイトデーにお返しがないのはイラッとしませんか?まあお返しが欲しくてチョコあげているわけではないと思いますけれど、それでももどかしい気持ちになります。でもそれを口に出すのも嫌らしいから言えないでさらにストレスがたまります。
期待していないとお互いにプレッシャーもストレスもなく、よりよい人間関係を築くことができます。仕事で、もしも部下が失敗をしたとしても最初から期待していないため熱くならずに余裕を持って対処することができます。
他人は自分の思い通りにならないですし、変えようと思ってもそんな簡単に変わってくれません。
また、期待をするということは他力本願しているということです。期待をしないと自分で頑張らなければいけないという意欲も沸いてきます。
他人に期待することを諦めることで人生も少しは楽に生きられるのではないでしょうか。
まとめ
人生は失敗の繰り返し、上手くいかないときの方が多いです。努力が成功に結びつくとは限りません。成功しているのは生まれ持った才能か、失敗から成功を生み出す天才かのどちらかです。それを努力のたまものかと感じるかどうかは人によりますが。
今は恋愛も仕事も順調でも一年後はどうなっているのか分かりません。分からないから期待するだけ無駄です。
そんな未来の話より今をどう生きるかを考えた方がよっぽど幸せだと思います。
人生を諦めたいと悩んだら期待しないということを実践してみてください。スッと心が軽くなりますよ。
人生のイラストを添えてシリーズ。