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人は、言葉からは逃れられない。

【後編】問題提起 伊藤隼也のジャーナリスト活動について

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【前編】問題提起 伊藤隼也のジャーナリスト活動について

 

後編

経緯9

 2月第2週目半ばから、会社にいる時は資料の整理、それ以外はスタジオ運営の立ち上げに携わるという新しい関係が始まりました。  

 これとほぼ同時に、新しい秘書の方が入社されました。すぐに後任がみつかったようで、私もほっとしました。

 最初に伊藤氏の旧宅に連れて行かれた時、早速コミュニケーションエラーが起きました。私が家具の引き出しを勝手に開けたことで「何してる、人ん家のもの勝手に開けるな」と注意を受けました。勿論それは私がよくないのですぐに謝りましたが、この場所に来る前に「使っていない家がある」と言われており、空き家同然の認識でいました。あとスタジオの管理業を任される立場なので、この場所は私は自分の職場になる、積極的にこの場所のことを知ろうという想いからの行動でした。そのやりとりがなかったことになっているようで、変な感じを受けました。

 それからスタジオの整頓や掃除がメイン業務となる日々が始まりました。使っていないと言ってましたが実際には倉庫として使っていたようで、使っていないではなく、住んでいないという意味だったのだろう、と認識を変えました。

 旧宅には写真家だった頃の伊藤氏の作品が掲載された雑誌や、生活家具が大量に残っており、それを会社や現自宅に運び出す作業です。一日では終わらず、週に何度か出社して清掃をするという流れになったのですが、ここでも意思疎通のエラーが絶えませんでした。

 バイク用の大型リアボックスを隣の部屋に移動させるように言われた時に、側面が下だったのですが、移動した先で底面を下にしてしまった場面を伊藤氏がみつけ「最初はそうじゃなかった、こういう置き方だっただろう、全ての置き方に意味があるんだ」と注意を受けました。

 洗面台にて雑巾を絞ったあと、水槽の周辺に水滴が少々飛び散っていたまま拭かなかったことにについて、すぐに拭くことが当然でこれは解体屋の考え方だと注意を受けました。私は雑巾は何度も戻って絞ることになるので少々飛び散っている程度ならそのままで、そういう片付けの掃除は終わった時で良いと考えていました。

 この時にここが「人の家」であることを説くような話を受けたのですが、ここが使っていない家だと言われているし、スタジオになるんだし、自分の職場になるんだし、どういう気持ちを背景にこの話を受け止めればいいのかわかりませんでした。ただやってはいけないことをして注意を受けている立場なので「すみません」と言うしかありませんでした。

 

 この頃、二人で掃除をしながら雑談をすることがよくありました。

 伊藤氏が、自分も発達障害みたいなものであり、医者からもそういわれたことがあると教えてくれました。

 また雑談の中で、昨年12月のオルタナティブ協議会の忘年会の際に、具体的なやり取りがなく、ただの雑談で終わってしまったことについて、伊藤氏の口から参加者の人たちを小馬鹿にしているような言葉がありました。

 たしかにこの忘年会は「&作戦会議」というタイトルであり、実際ただの雑談みたいな感じで終わってしまった点について、私もがっかりした記憶がありました。

 でも私は創作活動を通してそういうやりとりをするにも大変なスキルが必要であることがわかりますし、ましてや参加者のほとんどが多剤処方や向精神薬に苦しんだ過去があり、貴重な時間を人生の復興に費やすことになっている人たちですから、建設的な話し合いができないのは当然で、むしろ最初の頃はそういう活動をしていること自体に舞い上がって、雑談ばかりになってしまうものであることを知っていました。

 それをおかしいと思うなら大人である自分たちが必要なことを示すべきで、それもせずにただ能力の低さを口に出す神経が理解できませんでした。

 この頃もまだ私は「伊藤隼也氏は医療ジャーナリストで、医療被害者たちの味方」という認識だったので、「本当はどう言いたかったのだろうか?」という風に考えていました。

経緯10

 スタジオの構想のやりとりでは、伊藤氏が話す時に多用するビジネス用語が意思疎通の面で深刻な問題になっていました。

 当り前のようにカタカナ語を使うので、知識のない私はたびたび意味を確認する必要がありました。この頃だったと記憶していますが、「きみは実業的な業務ができないんだな」と唖然とした様子で言われたことを覚えています。

 この件はLINEのやりとりでも話題に上がり、この知識不足について「人生のツケ」と言われたのもこの頃だったと思います。

 自分に知識がないことは伝えていたので、どうしてそういう言葉が出てくるのか疑問に思いましたが、「知識がない理由」までは伝えていなかったことが原因だと思いました。

 私はブログの記事で、発達障害の特徴故に習得の機会をロストしていたことや、勉強は放棄して障害特徴の克服に半生を費やしてきたことを書いていました。

 自分に声をかけてきてくれたくらいだから、そういう記事だけはもしかしたら目を通しているかもとは思っていましたが、所詮は個人ブログの記事ですから読んでいなくてもそれは仕方ないことです。つまり伊藤氏は、炎上の件と山本一郎氏の記事だけしか読んでないのだと、ここで確信できました。実際、「空のとびかたプロジェクトの活動のことはなにも知らない」と業務開始初日に言っていました。

 だから、伊藤氏の私に対する印象は、ダイレクトメールでのやりとりや、食事などで実際に会って話したことが中心なのだろうと思いました。それなら伝わっていると思っていたことと、実際には伝わっていなかったことなどの整合性が取れる気がしました。またしても、私の思い込みがあったことを知り、自分を情けなく思いいました。

 この時にもっときちんと整理していれば、伊藤氏が発達障害のことや私のことを何も知らないまま仕事に誘ったことまで突き止めることができたと思うのですが、そこまでは気づくことができませんでした。

 

 この頃、スタジオの内容についてその構想をまとめてきた書類を見せたところ、別の社員にも配ることになったのですが、日付が入っていなかった点について「お前のは仕事じゃない」と注意を受けました。私はこの時にも違和感を覚えました。私はこれを正式な提出用の書類とは認識していませんでした。なぜなら私が自宅で個人的な時間を使って作成した書類であり、そもそもそういうのを作成したのが初めてで、とりあえず作ってきた、こんな感じでどうか、という仕事の進め方を確認し合う意図も込めて作ってきたものだからです。

 この時に、自分の考えていることがことごとく無視されて、ただ注意や評価をつけられているパターンにはまっている関係性に違和感を覚えました。

 仕事のやり取りで、マルチタスクができていないとか、ボイスレコーダーを使えばいいと言われたのもこの頃だったと思います。

 ボイスレコーダーについては、私が伊藤氏からの仕事の指示か何かの言葉を失念していた時にでた言葉だったと記憶しています。

 これについては一瞬、何かの比喩表現かと思いその真意を考え込んでしまい、また適当な相槌を返すだけで終わってしまいました。

 障害云々のことじゃないですが、誤った支援感としてよく聞くのがメモ取りです。仕事ができていない人にメモをとらせても、メモを取るという負担が増えるだけで、それは適当な配慮とは言えません。メモを取らなくてもできる仕事を与えるのが適切な配慮です。ボイスレコーダーを使わせて仕事ができている水準に引き上げようとするなんて、鬼畜の発想であり、論外です。

経緯11

 書類整理の方では大きな事件がありました。

 伊藤氏の写真家時代の作品が掲載されている雑誌のスキャン作業で、保存用にと託された雑誌を私が全てぐちゃぐちゃのびりびりにしてしまったのです。

 作業は、雑誌の真ん中あたりをカッターで切って、業務用プリンターに吸い込ませてパソコン内に保存するというものでした。これだけ聞くと単純そうに思えるかもしれませんが、いざカッターで切ろうとすると、切り口がぼろぼろのぐちゃぐちゃになってしまい、破れた部分が絡み合って1枚ずつ分離しなくなる上(吸込みスキャンにかけられない)、中には折り畳まれた綴じ込みポスターもついていて、ただ開いてカッターでズバッっと切るという、前日の打ち合わせ通りのやり方で作業が進まなかったのです。段ボール箱の中で数十年間眠っていた経年劣化の影響か、新しくてもそうなるものなのか、それはわかりません。

 1冊目も2冊目も上手く切れず、ぐちゃぐちゃにしてしまいました。

 その時点で手を止めて、想定外のことになった旨を電話で伝えればよかったのですが、この日までもう度重なる注意やミスの指摘を受けきたせいか、私は冷静な判断ができなくなっていました。「これは普通はできることで、自分のやり方が悪いんだ、もっと他のやり方を試そう」と考えた私は、カッターを変えたり工具箱から万能ばさみを取り出してそれで切ってみたりと、試行錯誤を繰り替えしました。

 このような「できないのにやり続ける」というパターンにはまってしまった理由には、自分の特性上の問題の他、前日の打ち合わせの時の伊藤氏の一言も関わっています。これが一日で終わる作業であることを伊藤氏から言われていたからです

 雑誌は30冊かそれ以上あったように記憶しているのですが、雑誌の山をみて「これ一日でですか?」と言った際に「お前はこれにどれだけ時間をかけるつもりなんだ」と半笑いで言われたのです。たしかにズバッと切ってスキャンさせるだけなら一日で終わるイメージが持てました。

 この時に気づくべきだったのですが、伊藤氏の仕事の振り方というのは「実際にできるかどうかを考慮していない」というものでした。「あれをやろう、これをやろう」と思った時点でそれが頭の中で仕事になり、その後は誰かに振る、やり方は相手に考えさせる、できなければ教育する、という考え方だったと思われます。

 対して私は「自分は、やればできることを任されている」という認識でした。実際にできるかどうかもわからない仕事を障害者の私に振られているとは、この時、全く想定していなかったのです。

 

 結局、その日の作業で手に取った雑誌は全ての切り口がぐちゃぐちゃで、吸込みスキャンもできない仕上がりでした。

 次に伊藤氏が出社した際に、私はデスクの前に呼び出されました。ぼろぼろになった雑誌をみて伊藤氏は大変ショックを受けた様子でした。伊藤氏は言葉に詰まりながら「おまえ、やっぱりおかしいよ」と言いました。

 私はその瞬間にようやく、雑誌の仕事が失敗していたことを認識でき、自分が情けなくなり、涙を流してしまいました。泣きながら「すみません、もう、わけがわからなくなってしまいました。申し訳ございませんでした」と言い、頭を下げました。伊藤氏は困った様子を浮かべならも「いや、いいんだよ」と言ってくれました。

 ただその後、伊藤氏と奥様が口論になってしまいました。私はその場から離れ、その後は二人だけになったのでやりとりの全てを聞いたわけではないですが、奥様は伊藤氏の仕事の指示の仕方が適当だったか、その点について追及するような感じで話しをしていました。

 対する伊藤氏は「彼にはこういう障害があるから」と言い、奥様を理解させようとしている風に思えました。その後、「彼を救うんだ!」という大きな叫び声が職場に響きました。

 やりとりが終わったあと、オフィスの方に来た彼は「私は彼のことを息子のように思っているんだ」と笑顔を振りまきながら職場のみんなに向かって言いました。

 私は過去勤めていた職場で、自分のことを「小僧」「クズ」と罵った中年男性の上司が、そういう関係に悪化する前「みんな私の息子です」と満悦した様子で言っていた時の記憶が脳裏にチラつき、そのことがフラッシュバックした感じなって吐き気を催しました。

 あと私はこの時に、決定的な違和感を覚えました。私は妻と一緒に幸せに暮らしており、救われなければいけない立場ではないからです。まるで何かの被害者扱いを受けている感じになりました。

 息子云々も、年の差はあるとはいえ、もう34歳になった中年男性に抱く感情とは言い難いです。が、これについては以前にDNAを受け継がせたいとか言っていたのを思い出し、まだその気持ちを持っているということで、言葉の背景はイメージできました。

 言葉と言うものは人それぞれに使い方があり、言葉通りの意図で受け取るものではないのだから、この時の言葉は伊藤氏の熱意の証という形で静かに受け止めることにしました。

 何より、私の目的は伊藤氏のジャーナリストの力の秘訣を知ることだから、違和感や不可解な感じは覚えましたが、この出来事を問題の中心として置くことはしませんでした。

 そう思ってこの出来事を良い風に解釈していたのですが、帰宅後LINEにて伊藤氏から、今回のミスについてどうしてこうなったか、その事情を自分の妻に説明する責任が貴方にあるのでは?、と言われ、私は今回の経緯について伊藤氏と奥様にメールで伝えることになりました。この連絡がなくても、日報の中でこのことを伝えるつもりでした。初めから終わりまで何をどう考えてこうなったのかを長々と文章を打って二人にメールをしました。

 内容の一文に「パニックになってしまったんだと思います」と書いて、とにかく混乱して正常な判断ができなかった旨を強調して伝えることにしました。

 

 その混乱に陥っていた原因というのが、そもそも伊藤氏の振る仕事が想定から大きく外れたことばかりで、自分が振り回されていることにあったわけなんですが、この時はまだ私は、障害特徴については理解されている状態の上で仕事をしていると思い込んでおり、仕事中のミスは全て自分の能力不足だと認識していました。だから全面的に自分がおかしくて悪かったという意思を伝える回答文を作成しました。

 

 そのメールについて返事はありませんでした。そして次に出社した際「パニックじゃないと思うよ」と、これをなぜか一言で否定されました。あと、「障害特徴のことはもう治ったとか、言わない方がいいんじゃないかなぁ」と言われました。

 その指摘に私はまた違和感を覚えました。私はケアレスミスとコミュ障特徴は治したと言った記憶はありましたが、普通の人になれたとは言ってないんです。

 つまり伊藤氏が相手の言ったことを拡大解釈していたわけなんですが、この時点では「伊藤氏は私より賢い人」という認識があり、自分がどこかで伝え方を間違えたのか?と思い、ただただ「すみません、はい」と言うしかありませんでした。

 

 この一件を機に、私一人では仕事をさせられないことになり、出社できる時は伊藤氏がスタジオ業務に携われる時だけとなりました。仕事が週に一度あるかないかという頻度になるので、私は別の仕事を探すことになりました。伊藤氏にはもはや一緒にいる時でも大変な負担になってしまうことを伝え、退職する方向で考えている意思を伝えました。

 それが2月末の出来事でした。ここまでたった一ヵ月の間に起きた出来事で、労働日数的には20日程度でした。

経緯12

 いよいよ先がわからなくなってきましたが、とりあえず伊藤氏との仕事の関係は続いたまま、新しい仕事に就きました。これが今のやっている警備員の仕事です。なぜこの仕事を選んだのかというと、学歴の無い私でも就くことができて、日給が良く、発達障害仲間に元警備員の方がいたので、何かあった時はアドバイスが受けられると思ったからです。実際やってみると警備員の仕事はとても相性がよく、正直、一生の生業にしても良いと思っています。

 ただ、スタジオの清掃をしていた時の雑談で伊藤氏にその話をしたところ、「あのねぇ、警備員の仕事を勧めたのは僕だからね」と不快そうな口調で返されました。

 私は伊藤氏から警備員の仕事を勧められた覚えはありませんでした。ただ、自分の発達仲間に元警備員の人がいるから、自分も警備をやってみようかという話を自分からしたことは覚えていました。それを聞いた伊藤氏は「あぁ、そうだったか」と自分の記憶を改めたようでした。

 この時に私は伊藤氏の人間性に強い疑問を持ちました。仮に伊藤氏の記憶が正しかったとしても、わざわざ「私のおかげなんだよ」的なことを強調して相手に認識させ、感謝の念を持たせることに意味はないからです。それまでのやりとりを振り返り、この人はどうも二言目には自分の方がすごいと思わせたがる節があるという感じがしたのですが、自分に対する教育の一環で、私には隠さずに本音を聞かせてくれる、信頼関係の証なのだろうと思い、あまり深く考えませんでした。

  伊藤氏から「きみにレベルをあわせなくちゃいけない」と言われたことがあり、それがこの頃だっと思います。主語がなかったので、これもどういう意図の言葉だろうかと疑問に思ったのですが、またすぐに話が先にへ進むのでこれもまたうやむやになりました。

 

 この頃に保全業務の補佐をする機会がありました。伊藤氏との行動で、私はカメラなど重い機材を抱えて運ぶ役でした。10㎏かそれ以上あったかと思います。それを肩にしょって歩くのですが、私が足を擦るような感じで歩いていることに「足を擦って歩くんじゃない!」と注意を受けました。今こんな重いもの持ってるんだけど……と思いましたが、私の体力不足か?と思い、なにも言い返しませんでした。

 あと警備の仕事については、君は班長やリーダーの業務はしないほうがいいと言われました。この時は私も混乱の原因がわかっていなかったので「ええ、もちろんわかってます」と同意するしかなかったのですが、私は伊藤氏との仕事ではそういう発達障害者の抱える特性についても、その正体を追求したいと思っていたので、伊藤氏の口からそういう言葉が簡単に出たことについてがっかりしました。

 その伊藤氏に対する印象が確定的なものになったのが、今年3月の半ばに起きた発達障害仲間の自殺についてのやりとりでした。

 自殺した仲間は多剤処方状態にあり、会社で調査対象になるかもしれないと思い伊藤氏に伝えたところ、「僕はもう個人の事件に興味ないから」と返されました。私は「あ、そうなんだ」と心の中で思い、その後は適当に相槌をしながら話を終えました。

 私はこの時なって、ようやく伊藤氏と一緒にいる意味について考えるようになりました。伊藤氏は私のことを何も知らないのに、私を育てたがる人という、よくわからない存在になってしまいました。

 私がやりたかった活動は『うつをなおしたければ~』の本にあったように、医療の闇を追求し、一人一人の被害者と向き合う活動でした。その業務に携わることができないのは私の力不足なので仕方ないのですが、そもそも伊藤氏がそういう活動に関心がなさそうという点について、私はやり場のない虚しさを覚えました。

 

 その後は、他社のレンタルスタジオに関する情報を調べる在宅業務を当てられ、言われた通り検索して集めた資料を用意しました。が、それについても内容についてダメ出しをされました。そう言うくらいなら最初から必要なフォーマットを教えるべきでは?と思いましたが、自分がどういう形で作業を進めるか、どんな品物を提出するかは言ってなかったので、それも含めてこちらの仕事なのだろうと考えました。

 でも疑問は残りました。

 伊藤氏の仕事の振り方はただタイトルだけを振って、どういうものを欲しているか具体的なことは言わず、自分からみて気に入らなければダメ出しをする、というパターンばかりでした。

 普通に仕事ができる人ならいいかもしれませんが、そもそも普通の仕事はできないと言っている私に対して、これは適切な接し方なのだろうかと、もやもやとした課題が消えませんでした。

経緯13

 この後は、4月にスタジオの寸法計りを一緒にやりました。そして7月、これが最後の仕事となるわけですが、会社の倉庫整理を一緒にやりました。

 この時に私は整理の作業を手伝いながら、これが最後になるかもしれないと思い、伊藤氏に対し、自分は理解者であり友人だと思っている旨を伝えました。こういう仕事ならいつでも呼んでほしいとも言いました。伊藤氏は喜んだ顔を浮かべていました。

 ただ、今後の関わり方の話をした時に、空のとびかたプロジェクトのことを「趣味でいいじゃん」と言われ、あくまでも自分の仕事の方に引き込もうとする話に、ちょっとだけ悲しくなりました。でも彼はこの活動の真意を知らないのだから、趣味程度に思われても仕方ないと思いました。

 

 彼との仕事は混乱ばかりでしたが、私は彼の相手の気持ちを無視しながら自分の考えを主張できる生き方が好きでしたし、それがジャーナリストの力の秘訣だと、一応の答えを得ることができました。たしかにそういう人格でなければ他人の悪事に首を突っ込むなんて真似できないでしょう。

 Twitterでやりとりしていた時から思っていたことですが、そういう部分でやはり気が合うんだろうなと思いました。私自身もそういう人格の人だからです。

 だから周りから誤解されるばかりの人生だったことも察することができました。自分のようなありえない境遇から人生を復興できたような、規格外の人しか一緒にいられないだろうなぁ、とも思いました。

 この時に私は上司と部下という関係を終わりにしたいと言いました。これまで度々違和感や不可解な感じを受けることがあり、それがうやむやのまま話ばかりが進んでしまうことが混乱の一因で、今後も一緒に仕事をする上で障害になると思いました。

 伊藤氏はその提案について、了承してくださいました。

 

 で、これ以降、呼ばれることがありませんでした。

 LINEで地方にある温泉の復興案についての話を振られたことがあるのですが、全く知らない温泉のことについて私は何も言えず、積極的にはなれない旨の回答をしました。そのやりとりはそこで終わりました。

 伊藤氏の職場で勤めていた記憶が過去の出来事になろうとしていました。

 仕事に就く前、伊藤氏は自分と一緒にいると苦労やストレスを抱えることについて気にしているような言葉があり、最後までついていった自分はその想いに答えられただろうかと、しんみり考えることもありました。

 少なくとも私の方は、円満退職に近い認識を持っていました。

 

 ただこの頃、私が理事についていたNPOも辞任する運びとなったわけですが、こちらの方は円満とは言えない形でした。

 この活動は伊藤氏との仕事とは全く関係ないのですが、代表の人間性と伊藤氏には既視感を覚える部分があり、NPOの出来事について考えると、自ずと伊藤氏のことについても考える感じになってしまっていたのです。

 私のいたNPOの代表は、ホリエモンこと堀江貴文氏のような人になりたいと思っていて、彼の提唱する『多動力』のような、中毒的に仕事を次々と考えて、できそうな人に振りまくるというスタンスの人でした。

 それはまさに伊藤氏の職場で私が陥った状況と同じで、今年の初めから7月頃まで、私は二人のホリエモンに振り回されているような状態だったんです。

 そういう仕事のやり方の是非について考えていく内に、私の中には一つの答えができあがりました。それが「伊藤隼也氏は医療ジャーナリストだが、被害者や障害者の境遇を知らないばかりか、関心ももってない人だった」という結論でした。

 当初、ここまでのことは自分の胸の内にしまっておこうと思いました。彼だって完璧ではなく、ただ成長が必要なのだと思えたからです。でもこの結論と向き合う内に、本文の冒頭で話した、なぜ伊藤氏とオルタナティブ協議会との交友が続いているのだろうか、という疑問に繋がるわけです。

まとめ

 話の要点は実際に起きた事実のみとし、私情や推測はその経緯に付随させる形で書き加えました。言葉のやりとりの位置については時系列に曖昧な部分はありますが、同時期にそのやりとりがあったことは事実なので、その点の検証は不要です。

 実は私はこの事実経緯を整理した後、炎上の時に伊藤氏を叩いていた人たちの何人かにネット上からコンタクトをとり、なぜあの時、伊藤氏に対して怒っていたのかを尋ねまわりました。

 皆さん本当に丁寧に教えてくださいました。

 

 私は皆さんの意見を聞いたあと、改めて考えることにしました。 

 まず自分のことで、伊藤隼也氏の真意がどうであれ、私は自分がこれだけの目にあっているのに「変人同士だから」で納得したり、良き思い出として認識するのはおかしいと思いました。伊藤氏との仕事で私が体験したことは、おおよそ仕事とは呼べない、彼の恣意的な言動に振り回された日々であり、それが実際に起きた出来事だからです。

 彼の感情は綺麗かもしれませんが、言動はただの迷惑行為だと指摘せざるを得ません。

 次に、ジャーナリストとしての肩書きについて考えました。ジャーナリストの定義についてですが、医療ジャーナリストという立場ですから、正しい医療を守り、悪事を暴き、人々を安心させる存在であってほしいと私は考えます。彼はそういう存在からはかけ離れ人だというのが私の感想です。彼は当事者個人の境遇について何も知りませんし、関心がありません。それは私が身をもって体験しました。医療不信ニュースを作ることも、被害者に対する接し方も、自分の実績作りの為のようにしか思えませんでした。

 最後に、ビジネスマンとしての活動について考えました。彼はジャーナリスト業だけではなく、地域再生系のプロジェクトにも携わっています。他にも、スタジオのことや別の仕事の話も次々と考えている人なので、事業家活動にも積極的であると指摘できます。

 仕事を考えて生み出す人であるなら、私はそこに勤める人や、集まる人のことを考えられる人であってほしいと思います。でも彼はそういうことを考える感覚を有していないようでした。私が身をもって体験しました。

 仕事の振り方にも疑問点があり、あれがやりたいこれがやりたいと思ったら、その話に人を誘い、あとは自分が気に入る意見を相手が言うまで、評価したりダメ出ししたりして相手に考えさせるというフローチャートで話す人でした。

問題提起

 ここまでの話を統括し、私は社会に対し3つの問題提起を投げかけます。

  1. 伊藤隼也氏は障害者である私を自身の秘書業務に誘因、雇用するにあたって、助成金のことは考えていたが、それ以外のことはなにも考えていなかったと指摘できる
  2. 伊藤隼也氏は医療ジャーナリストとは言い難い。職業詐称を認め、今後ジャーナリストを名乗らないこと
  3. 伊藤隼也氏の事業感覚は極めて恣意的で、迷惑行為に相当する。事業家活動を自粛すること

 私は伊藤氏について、この人はテレビに出て活躍するべき人ではないと、思うことにしました。

 

 伊藤氏は、この事実をネットに公表した私の行動、問題提起の内容がおかしいと思うなら、自分はちゃんと考えていた、自分は真のジャーナリストである、自分の事業家活動も真っ当なものであると、世間が納得できるだけの回答をしてください。社会のみんなに「伊藤隼也の方が正しい」と思わせればいいんです。

 

 一応、回答の期限を設定します。「回答期限:2017年12月末日まで」までとします。

 

 これに法的強制力はありません。回答するもしないも、自由です。単に回答がなければ、「伊藤隼也はこれに答えなかった」という事実が残るだけです。

 

 私の個人的な人間観からの意見ですが、貴方がただの悪人で、利益の為に私や医療被害者を利用しているのなら、これで観念して反省してくれればいいと思います。しかるべき反省ができた後は、今度こそ社会の為に活動してほしいとも思います。

 ジャーナリストという肩書や、事業家活動については、社会の人々がまた応援してくれるようになってから、改めて名乗ればいいと思います。

 でももし、これまでの活動が、社会の為を想って行っていたことであるのなら、二度と、同じ活動を再開しないでもらいたいと、私はそう願います。


 長々と語りましたが、そろそろ話を締めたいと思います。

 私は本件を言語化をして社会に広く伝えることに大きな意味があると思いました。なぜならこれこそが、発達障害者の生き辛さそのものの記録だからです。

 そしてこのような体験を持ちながらも、論点を射抜いた上で言語化できる人は少ないであろうことを考え、私は自分の人生の一部をかけて公表することにしました。

 もちろん沢山考えました。本当にこんなことを公表してしまっていいのだろうか、ただの世代の違いじゃないのか、能力の違いじゃないのか、人生観の違いじゃないのか、と。

 そういう気持ちと一つずつ向き合った末、最後に残った気持ちは「自分が我慢すればいい」でした。

 それに気が付いた時に、公表することが決意できました。

 

 人の人生や境遇、個性などに関心がなく、考えもしないままに、人が働く所や人が集まる場所を作る人たちのせいで、この社会に生き辛さがつくられているのだと、私は確信をもってその事実をこの社会に突きつけます。

 来年4月には、改正障害者雇用促進法が施行されます。厚生労働省のサイト上などで概要が確認できますが、障害者雇用においては、紛争の発生が前提となっています。その理由は、本文で問題提起したような考え方で仕事を生み出し続ける人がいるからでしょう。

 今の社会のまま、「雇用の未来」に期待がもてるででしょうか?

 正直言って、私はできません。

 でも、「でたらめな仕事作りを、社会はもう認めない」と、みんなで示し合うことができれば、それは大きな力になると思うんです。

 障害者雇用のことだけではなく、多くの人が、社会の理不尽やおかしなところに慣れてしまっています。「おかしい」とすら思えなくなっています。異常です。だから、自分から死んでいくんです。

 おかしいことはおかしいと、言える人になりましょう。

 

 だから最後に言います。

 私は障害のことや、自分のことを、きちんと説明しました。人の職場で働く上で、人と関わる上で、気を付けなければならないことをちゃんと意識していました。だから私は、おかしくありません。人生に、ツケもありません。それが私の人生だったのです。

 

 それがわからない伊藤隼也さん、おかしいのは、あなたです。 

 

ハローワークに対する違反行為ついては私も共謀した以上しかるべき罰を受けるなり謝罪が必要だと考えているのですが、適当な方法がわからないので、適切な方法がわかる方がこれを読んでいましたら教えてください。ちなみに4月頃だったかと思うのですが、助成金の申請は通らなかったと伊藤氏から聞いています。

※伊藤隼也氏から私のことで「常人には理解不能」等と言ったことを聞かされた人は私に連絡をください。contact@hyogokurumi.com