| 鉄砲洲稲荷神社 |
ミ ´_>`) 「…さあ 今日こそ本殿にて 稲荷三神の祭祀を…」
( `m´) ( `m´) ミ ´_>`) (`m´ )(`m´ )
( `m´) 「…宮司よ
我は 宮地威夫派の者である。
宮司は黙って 我々 威夫派に属せばいいのである。」
( `m´) 「…宮司よ!
我は 宮地厳夫派の者である。
厳夫派こそが正しいのである!」
( `m´) 「…我は 宮地よしお派である!
厳夫派と 威夫派は錯誤していて、
よしお派こそが正統である!」
( `m´) 「…もうすぐ マイナーな常磐派の連中も やって来るであろう。
常磐派と清水派は 勢力としては最弱である。」
ミ ´_>`) 「…あなた方は 一体何を言っているのですか?!
水位派とか厳夫派とか そんな派閥が ある訳ないではないですか!!!!!
宮地神仙道統とは 一本で繋がった線ですよ!!!
一代ずつを それぞれの派に分けるなんて どういう魂胆ですか!!!!!!」
(大 物 主)
( `m´) 「…これは 宮地神仙道の 分断解体工作である。
このように それぞれ水位派 清水派として切り刻んでゆく事で解体してゆく、
そういう狙いである。
小日本も同様にして 各地を分離独立させて
分断解体させてゆく計画である。」
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352 :本当にあった怖い名無し:2012/04/09(月) 06:41:48.40 ID:G8bbeh7u0
昔、2ちゃんねるで古神道を啓蒙していた「ひみつ」道兄が言っていましたが、
ひみつ道兄が最初に天行居の修斎会に言った時に、本部神殿を掃除していたところ、
浄衣姿の友清先生がふっと現われたのが霊眼に観え、とても驚いたと言っていました。
友清先生も色々な所で修行なさっていましたし、確かに水位派神仙道という道統からすれば、
傍系に映るかもしれませんが、それでも太古神法や本田霊学は正当な伝承を受けていますし、
特に太古神法は最上に尊い神法ですから、友清先生を頭ごなしに馬鹿にするのは、
心ある道士のする所ではありませんね。
友清先生が神界のそれなりの地位に就かれているのは間違いありません。
あの九州の人の文句ばかり言っている人は、複数の関係者の証言によると、
実は清水先生が帰幽される何年も前に、清水先生に破門されていて、
それで独立して、自分で神仙道団体を設立しようと画策し、
何人かの道士に、一緒にやろうと呼びかけ、全員に拒絶されたそうです。
本人も怪しげな霊に憑かれていて、妙な霊感があったそうなので、余計に質が悪く、
あちこちを頼って、いろいろな伝法を漁っていたのです。
そのくせ、西洋の魔術を中途半端に取り入れようとして、
『蠅の悪魔がでる、Tさんたすけて』と、
現在、神仙道本部を実質的に継承されている神戸のT先生に助けを求め、
『あなた、いっぱい伝法持ってるんだから、自分で祓いなさい」
と、最もな理由で断られたというエピソードも、水位派関係者の基本知識です。
要は、彼は水位派でも清水派でも破門された異端であり、
世の中の異端派が、我のみ正しい他はクソというのは定番です。
実際、清水先生が天行居の出版部員だった頃、
同じく天行居で斎務部員で後に清水先生と共に天行居を離れ、
高知の山中に籠もり、脱魂や玄胎の修行をしていたG先生も、
脱魂して神界に言ったとき、清水先生が友清先生の悪口を言った罪、
つまり、一度でも師と仰いだ人への忘恩の罪で苦しんでいると言っていました。
清水派からも、そういう声が出ているのであり、
ましてあの九州の人は、清水派からも破門されているのですから、
あんな者を清水派と呼ぶのも、私としては遺憾に思う次第です。
2012-04-09(月)01時25分52秒|URL|御影舎 朔
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ヽ(゚∀゚#)ノ 「誰ですか!!!
私が清水師から破門されたという大嘘を流している人は!!!!!!」
ヽ(゚∀゚#)ノ 「そうはさせるか!!!!」
ヽ(゚∀゚)ノ 「玄府奇祝言だい。」
|・) 「おーーーーっと!
玄学界の アレクサンドリア木星王、
ミスター神仙道と呼ばれます
九州のフルーツポンチうずまき師が
宮地神仙道の 玄府奇祝言を放たれました!
この玄府奇祝言もまた
玄学界の アレクサンドリア木星王が放たれる事によって
神威を円満に発揮する訳でありますが」
(大 物 主)
( `m´)…!
|・) 「大物主 脂汗を流して転げ回っている!
抗日鬼神達は 境内の外に遁走していった、
これは勝負あったーーーーーーーーーーー!!」
ヽ(゚∀゚)ノ 「水位派や清水派など、そんな用語はありませんし、
神仙道本部も そんな呼称を使いませんでした。
つまり 水位派とか清水派という言葉を使っている所は
神仙道本部から 何も継承していない証明になりますね。」
(大 物 主)
( `m´)つ 「…満州娘は 抗日派に入って と…」
|・)
|・)=3 変な派を作るない!
(大 物 主)
|ミ サッ (`m´ ) 「早く入らないか!!!!!!!!!!」
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「文殊菩薩の加持を受ける」
道教式に文殊菩薩を拝して
気線と加持を受けます。
「志心帰命礼(ししんきめいらい)
居菩薩之首(きょぼさつしどう)
称法王子(しょうほうおうじ)
本居仏位(ほんきょぶつい)
為三世果位如来(いさんぜかいにょらい)
十方諸仏母(じっぽうしょぶつも)
一切菩薩師(いっさいぼさつし)
輔助釈迦如来弘法(ほじょしゃかにょたいこうほう)
帯果行因(たいかぎょういん)
以其無上智慧(いきむじょうちえ)
広作無辺仏事(こうさくむへんぶつじ)
于十方仏土中(うじっぽうぶつどちゅう)
現種種身(げんしゅじゅしん)
説種種法(せつしゅじゅほう)
度種種衆生出離苦海
大悲大願(だいひだいがん)
大聖大慈(だいせいだいじ)
大智文殊師利菩薩(だいちもんじゅしりぼさつ)
文殊広法天尊(もんじゅこうほうてんそん)。」
晴れた日。
四十を過ぎた俺が
近所の本屋で
リルケの詩集を一冊
何食わぬ顔で購入するのは
所謂ひとつの
陰気な冒険
であると言えよう。
そんなふうに感じるように
なってしまうなんてー
それを読みたい
と思ったのは
俺の中に
居残っている
二十歳の俺のかけらだ
どういうわけか
本当に二十歳だった頃の俺には
リルケなんて
まったく必要じゃなかったのに。
光文社 青空について 原田宗典
絵 かとうゆめこ
以下こぴぺ 感謝
詩は感情ではなくて経験・・
落葉の意味
詩は情感を書く。
一般にそう思われているため、詩作で陥りやすいのが、感情過多。思い入れが強くてセンチメンタルになり、自分の情感に酔い感傷に溺れることがあります。
また、普段、詩に触れることのない人から見れば、詩とはセンチメンタル・感傷的という言葉と同じ意味で受け取られていることがよくあります。
私も詩を書き始めた頃、詩に対する考えに迷っていました。その時、目から鱗の思いがしたのが、リルケの詩との出逢いでした。
秋 R・M・リルケ
木の葉が散る、散る、遠いところから落ちてくるみたいに、 大空のなかで遠い庭がいくつも枯れたみたいに。
否(いや)、否 、という身ぶりで木の葉は舞い落ちてく る。
そして夜々には 重い地球が
あらゆる星の群から 寂寥のなかへ落ちる。
われわれはみんな落ちる。この手も落ちる。
ほかのひとたちを見つめてみよ、落下はすべて にあるのだ。
だが この落下を 限りなくやさしく
その両手にうけとめる一人のかたがいますの だ。
『形象詩集』1902年 秋山英夫訳
意味と蜜をあつめる
リルケの代表作「秋」はリルケが結婚後、27歳で単身パリへ赴いた1902年の秋に作られました。
同時期、日本は明治35年。前年には与謝野晶子が歌集『みだれ髪』を出しています。
リルケの自伝的小説『マルテの手記』で主人公は独白します。
「若くて詩なんか書いたって始まらぬ。本当は待つべきものなのだ。一生涯かかって、しかもできたら年老いるまでの長い一生をかけて、意味と蜜を集めるべきものなのだ。そして、そのあげくにやっと、十行ぐらいのいい詩が書けることになるかも知れぬ。
というのは、詩は一般に人々がそう思っているように、感情ではないからだ(感情なら、どんなに若くても持てる) 詩は感情ではなくて経験である。
一行の詩をつくるには、さまざまな町を、人を、物を見ていなくてはならない。さまざまな思い出を持たなければならない。だが、思い出を持つだけでは十分ではない。思い出が多いときには、それを忘れることが出来なければならぬ。ふたたびそれが蘇ってくるのを待つだけの大きな忍耐が必要なのだ。」
発見の詩
リルケは詩は感情ではなく経験であると断言します。
私たちは幾度、木の葉が舞い散る様を見たでしょうか。
おそらく数え切れないほど同じ光景を目にしているはずです。ところが、落葉の意味を追求して詩を生み出すことはほとんどありません。
それは自分の中で、経験が十分に熟成しておらず、詩の言葉が生まれるには、まだ時間が足りないからです。
感情の詩であれば、木の葉が落ちるのを眺めて、うら淋しさを感じ、寂寥感を表現するでしょう。
リルケの態度は違います。枯葉が散る風情・感慨をうたうのではなく、物の姿の奥に隠された意味 万象を貫く真理を追求しています。
経験の詩とは、発見の詩と言ってもいいでしょう。
人生の落下
リルケは木の葉の散る姿から、〈落下はすべてにあるのだ〉という発見をしました。
落下とはなんでしょう。
生ある限り、様々な不幸が私たちを襲います。受験失敗から失恋、会社の倒産など、人生にはあまたの落とし穴が口を開けています。
これらの失敗・挫折をリルケは〈落下〉と呼びました。
でも、リルケは絶望していません。いやだ、いやだと言いながら落ちていく、人間の失墜をやさしく、いつまでも、受け止めてくれる存在がいるというのです。
原文は「Einer 」(ドイツ語で一人の者の意)。大文字の表記は「大いなる者」との意味でしょう。リルケは神と明記していません。私はここに軽々しく〈神〉という言葉を使わない叡慮を感じます。
ロダンとの邂逅
リルケはパリで彫刻家ロダンに師事しました。彼がロダンから学んだのは三つ。○芸術家は生活の幸福を断念し、自分の道のために生きる○霊感(インスピレーション)に頼らず、常に仕事をしなければならない○仕事とは絶え間なく職人のように手仕事を続け、技術を磨くこと。
ロダンに接する中で、リルケの詩観も変わりました。
物を見る態度です。リルケが目指したのは、視覚を通して受け取ったものを言葉を使って彫刻のように作品を完成させることでした。
普通、私たちの見方は物の表面をなぞっただけで満足しています。現実の世界で目に映るものは氷山の一角にすぎず、背後には物の本質が隠れています。
リルケが願った経験の詩とは、感情のように流れ去るはかないものでなく、彫刻のような不動の発見の詩でした。
参考文献・秋山英夫訳編『美しき人生のために
リルケの言葉』
社会思想社教養文庫(絶版)
|・)…
宮地神仙道を バラバラに解体してゆけば
誰でも「○×派」を称して
それぞれの派として
水位先生→俺という具合に
勝手に道統を名乗る事が可能になってしまうばい。
皇室で同じ事をやると想像すれば
大体のイメージが出来るばい。
古池や河馬も飛び込む水飛沫
つまり一瞬は音と密接にかかわりがあるのかな?
以下こぴぺ 感謝
音霊法(おんれいほう、おとだまほう)とは、古神道の秘儀であり、
とても簡単にできる静座法の応用の一つ。
ただ音を聞くだけ。言葉を言霊(ことだま)と言うが、音霊は音の霊を聞く。
音霊法の方法
■準備
緊張する必要はないが、背中を丸めると眠くなるので、身体を真っ直ぐにする。
■方法
目を閉じて、ただひたすら音に集中して聞き続ける。
時計のチクタク音や空調の音など、外で鳴っている音や音楽など、音なら何でも良い。
風の音、滝の音、波の音、雨だれの音など、自然の音の方がやりやすい。
音楽の場合でも、メロディがないほうがいい。
■注意
最も大事なポイントは「効果を求めないこと。」効果を求めたら逆に効果が消える。
■その他
何も求めず集中もせず行う。
雑念が沸いたらそれを無理に消そうとしたり慌てたりしなくても良い。
外の雑音も意識したらそれはそれで良い。そちらに意識がいっても慌てず気にせず、
気がついた時点でゆっくり音を聞くという行為に戻る。
意識を保ちながら対象の音に戻り聞き続ける。
集中力があるのかないのかわからない状態もかまわない、適当に続ける。
毎日無理に行わなくても良い。遊びのように行う。
長時間立っていられる、あるいは座っていられるという姿勢をつくり動かないようにする。
目は閉じているが眠らないこと。体を動かさずに目を閉じて眠らないで何分いられるか、
これが暝想であり、あなたの気の実力。
淡々と続けて気を養えばよい。
人は背中がつくと眠くなる。
よって椅子に座る際は、背もたれにはよりかからず
背骨をまっすぐに座る。あるいは、あぐらで行っても良い。
初めて訓練する人は2~5分持てば良いほうであろう。
最初は、15分から始めて少しずつ延ばしていく。
30分できれば何か変化し、40分できれば人生が変わる。
40分できれば少なくとも集中力がつき、気の能力も発動する。
まずは、3~6ヶ月くらい行ってみる。
この方法に限らず、静座法などの瞑想法を行っていると、
普段抑え込んでいる自分の心の中に内在する、怒りやイライラ、
悲しみなどが飛び出してくることがある。
そのような雑念が湧いてきても、焦らず驚かず、
何事もなかったかのように音に戻る。
困ったら、音に意識を向ける。
雑念や感情が出てくることは失敗ではなく、むしろ瞑想法の効果であり、
訓練を続けることで、自然とノイズが消える。
うまくいかない事さえ効果の一つ。
これは人類の宝と言うべき方法のため、義務感で行うものではない。
宝を受け取る準備がまだの方は、受け取れるまで取っていた方がよい。
自らが本当に変わりたいと思った時、始めたらよい。
次 → 幸せの感覚をつくる「あたたかい」瞑想法
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