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清原 PL学園特集

PL学園 復刻ニュース

1985年11月21日

清原涙、巨人にふられ西武が1位交渉権

 1985年のプロ野球ドラフト会議が11月20日、東京市内のホテルで開かれ、PL学園・清原和博内野手(18)は6球団が1位指名し、西武が交渉権を得た。相思相愛と見られていた巨人は指名を見送り、なんと清原の同僚・桑田真澄投手(17)を単独で1位指名した。

 清原の目に涙が浮かんだ。岡田以来の6球団入札…。清原を引き当てたのは、まだ後任監督の決まっていない西武だった。そして小さいころからあこがれ続けていた巨人は、なんとチームメートの桑田を指名したのだ。
 大阪・富田林にあるパーフェクトリバティー教団。その敷地内にある第二練習道場に現れた清原。午後0時40分の予定だったが、約10分遅れて高木野球部部長の車に乗ってやってきた。濃紺の制服姿。しかし、表情は硬い。一斉にテレビカメラのライトと、カメラマンのフラッシュが、清原を照らしたが、その表情は、最後まで崩れることはなかった。
 -西武が交渉権を獲得しましたが、その結果はいつ聞きましたか。
 清原 授業中にききました。
 -現在、清原君はどういう心境ですか
 清原 …。
 -気持ちの整理はついていますか。
 清原 いまはついていません。
 前夜は12時にベッドに入った。それでもさすがに「寝つきが悪かった。どこの球団に指名されるのかと思うと…」。朝はいつも通り午前7時に起床したが、高木部長によると、この日の清原は、いつもの明るさはなかったという。これもある種の“予感”だったのか。
 -西武に対するイメージは?
 清原 日本一にもなられたし、いいチームだと思っている。
 -清原君自身、巨人、阪神に指名してほしいと思っていたが、それがならなかったことについては。
 清原 いまは何も言えません。
 -西武に入るということについてはどうか。
 清原 これから両親、監督、部長、校長先生と相談して決めたいです。
 -プロに入るという気持ちは変わりませんか。
 清原 ええ、それは変わりません。
 -それでは、西武の交渉に応じると受け止めてもいいのか。
 清原 そこまでは考えていない。
 -清原君のプロのユニフォーム姿を、楽しみにしているファンも多いが、パ・リーグならノンプロの日生入りと表明していたとか。
 清原 今は何も考えていない。考えたくないという気持ちです。
 -聞きにくい質問だが、清原君が一番望んでいた巨人が、桑田君を指名したことについてはどうか。
 清原 今は何も考えたくないです。
 終始、口を真一文字結んでいた。顔には明らかに涙が浮かんでいた。18歳の少年は正直だ。あこがれ続けた巨人…。清原は最後まで信じていた。それが指名されなかったばかりか、よりによって、チームメートの桑田を指名するとは…。その気持ちの整理がつかず、清原の目には涙が浮かんだのだ。
 その記者会見場に心配そうな表情で駆けつけたのが中村監督。清原が涙を流しながら記者会見に応じる姿を後ろから見守ったが、「巨人のやり方には腹立たしい」と、ストレートに表現した。
 「僕の所に来られるかどうか分からないが、やはり巨人とはお会いしたくない。清原があれだけ巨人、阪神と希望を言っていたのに…。巨人軍のやり方は嫌ですね。指導してきた私とすれば、清原と桑田が力を合わせて甲子園でやってきて、二人の友情も固い。それを引き裂くような結果になって…。清原も複雑だと思いますよ」。
 清原が野球以外で経験した、最初の大きなカベだったろう。そしてその流した涙は夢をかき消されたドラフトへの「無言の抵抗」であった。
 「さあ来い、西武!」夕方、室内練習場で、今夏までの主将松山が声をかけた。清原は投手役で、松山が打席に立っている。ニコッと清原が笑った。松山らしい励ましが、うれしかったのだ。記者会見で、ひとつだけ清原が言葉に力を込めたことがある。「プロ野球には入りたいんです」。それが精いっぱい前向きな姿勢だった。【宇佐見】
 熱望していた巨人、阪神ではなく西武の1位指名権獲得に、清原の両親も動揺を隠せなかった。まず母親・弘子さん(45)は、指名直後に富田林市のPL学園応接室で、清原と二人で大声をあげて泣くほど。午後4時から同校第二道場で行われた記者会見でも、「私の気持ちは和博といっしょです。何も言いたくありません」と巨人が指名してくれなかったショックに、声を震わせていた。父親・洋文さん(48)も、「本人は相当ショックなようです。ドラフトはやり直しがきかぬものですが、いずれにしても(西武と)ゆっくり話をしていかないと…。本人も今はああいう状態ですから、しばらく時間がかかるでしょう」。二人は、夜に清原本人を連れ、岸和田市の自宅に戻ったが、あまりに慌ただしくつらい一日となった。(1985年11月21日付日刊スポーツ)


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