春画を背負うと怪我しない
本を読んでいたら、こんなのを見つけました。
信長は笑いもせずに言った。この時代の武士の間に流行した縁起モノである。春画を竹筒に入れ、それを背負って戦場に行くと下手な怪我はしない、と信じられていた。『国盗り物語 三』司馬遼太郎
なぜ春画?ネットで調べてみました。すると、産経新聞の『春画こぼれ話』というサイトがありました。春画と戦の関係についてこう書いてありました。
春画は家の繁栄や戦の勝利などを願う縁起物。何しろ春画は「勝絵」とも言われ、日露戦争時にも弾丸除けのお守りとして、春画をひそかに携帯する兵士がいたとか。男女の交わりとはすなわち、「生」につながるからだろうか。
『国盗り物語』でいうところの「この時代」というのは戦国時代です。産経新聞のサイトによると、日露戦争時にも兵士がお守りとしてもっていた、ということですから「兵士が春画をもつ」という風習は300年以上続いていたことになります。
今なら、格闘家が試合の時に履くトランクスの裏地に縫い付けるとか、会社員が大事なプレゼンの日にかばんの中にやらしいDVDを入れるとか、受験生がスマホの待ち受けをエロ画像にするようなものでしょう。そう言えば、『永遠の0』には米軍兵士が上半身裸の女性の写真を持っていたというシーンがありました。アメリカにも似たような風習があるのでしょうか。違うかな?奥さんの写真を持っているようなものか。
この記事を書くにあたり、さまざまな春画サイトで春画を見ました。「やらしいサイトや画像を見ました」と書くと、「まともじゃない」感が出ますが、春画だとそうでもないですね(笑)。まともじゃないですか?
たくさん見るうちに気づいたことがありました。春画に描かれている女性は服を着ている人が多い。
葛飾北斎の春画:昔の男性はおっぱいにさほど興味がなかったらしい
服を着てまぐわっているものや、男性器や女性器が異様に注目されているものが圧倒的に多いです。例えばこんなの。
おっぱい描いてないでしょう。こういうのが多い。ちなみにこれ、葛飾北斎の作品です。
たまにおっぱい描いてあってもすごく雑です。
ひきませんか?なぜタコ?おっぱい雑!そしてどんだけ下半身が好きなの!これも、葛飾北斎です。
おっぱいが注目されてないのはなぜか?先ほどのサイトによると
昔の男性がさほどおっぱいに興味がなかったから。
だそうです。どうしておっぱいに興味がなかったかというと、
おっぱいがめずらしいものではなかったから。
との説が有力だとのことです。夏になるとけっこうはだける方が多く、上半身裸で行水する婦人が界隈で見られたとのことです。リアルおっぱいが見えるなら、おっぱいに興味をもたなくなるのもわかります。
おっぱい信仰は戦後から
日本人男性がおっぱいに興味を持ちはじめたのは戦後のようです。
『週刊文春』(12月7日号)にこうあります。
豊満なおっぱいに対する男性の無邪気な喜びの萌芽は、1950年代後半から見られる。「グラマー」という言葉が大流行。60年代になると、大橋巨泉が朝丘雪路の胸を「ボイン」と評したのが、日本で初めてのもの。(略)「巨乳」という言葉が初めて使用されたのは、AV女優松坂季実子を評する文章の中で、という説がある。
なんだ、巨乳の歴史は意外と浅いんですね。
最後に目の保養を。葛飾北斎です。世界が驚いた北斎ブルーです。
いつもはいたって普通のまじめな記事を書いてます。
本も読んでます。