正確にはアカウントを作ってからはもう少し経つと思うんだけど、そんなことはまあどうでもいいです。
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はてなというプラットフォームを利用して思うこと
あらかじめ言っておくと、自分は高校生なので「高校生から見たはてなのこと」みたいな記事だと思って読んでね。古参じゃないよ^^;
はてなブログのこと
いろいろ書いてきたけれど、
「高校生の段階で始めてよかった」
というのは、大体ほんとで大体うそだ。
ここには知的な人がたくさんいるので、多くを学んだ。最近、学校に行ったり行けなかったりをやってる僕は、大学進学の不安みたいなものから「勉強ってなんだろうか」って考え込む時期があった。
けれどやっぱり読書と同じもので、新しい知に触れる快感はヒトをヒトたらしめる理性あってのものなので、どんな時にも学ぶ意義はあると思うよ。
こうやって再確認できたり、あるいはwebサイト運営の知識も少しばかりついたので、なかなかいい経験させてもらったと思ってる。
もちろん、「始めなければよかった」っていう後悔もある。
まずは、一番時間をかけるべき勉学に最大のエネルギーを投ずることができなくなる。あくまでこれは、「大学進学を目標にしている上でのこと」だけれど、僕みたいな人間は「映画鑑賞や読書みたいな最低限の趣味を持った上で、もっと勉強しておけばよかった」と後悔するアホなので、余計なものに手を出してしまったな、ってたまに思う。
あとは、たまに自意識が一人歩きしているのを感じる瞬間に出くわして、寂しかったり悔しかったりする時がある。思春期特有の、で片付いてしまいそうなんだけど、自分はやっぱりブログあっての感情だと思うので、それも後悔のポイントだ。
ただ、やっぱりテキストを書く楽しさや、新しい知に触れる快感を学んだのはここなので、つまるところ、正しい選択をした。
無駄だと言えば無駄であろうけど、そういう無駄が人生を豊かにするって聞いた。このブログは、いい程度の黒歴史になってくれれば満足だなぁなんて思うよ。
はてな匿名ダイアリーのこと
投稿もしてきたし、ぼうっと眺めるのも好き。
基本的にははてブのトップに上がってきた人気エントリを読んでいるけれど、ブログ同様、いろんなことを思う。
匿名性あっての、ヒトの汚い部分が滲み出てるものとか、誰かのこっぱずかしい経験を文字で追った。特に、「光属性」のカテゴリで括られる文章はいいものだ。僕はもっぱらそういう経験をしてこなかったし、けれどやっぱり読んでいてぽわ〜となる魅力がそこにある。
全体を見て思うのが、「どんなヒトの一生も、他の人を魅了するドラマが数々ある」ってこと。誰の人生も1本の長編映画になるだろう。その映画の価値は、そのスペクタクル的要素に関わらず、きっと長い時間をかけて作っていけばそれでいいんだと思う。
はてなブックマークのこと
ここは酷いインターネッツですね
高校生ではてブと初めましてをすると、大分危ないと思うことがよくある。
はてブのシステムなんかは別に書く必要ないので書かないけれど、ここには(めちゃくちゃ依存性を持った)アーリーアダプター的な人がいて、ネットに散らばってるコンテンツをはてなに集めてくる。
僕ははてブのアプリで、トップの記事ばかりを読んでいるので、もれなくその人々の恩恵を受けているんだけれど、
尖った意見を書く→スターが集まる→トップコメントに上がる
という構造は、ちょっとアレだ。
もちろん全てが尖った意見ではなくて随分的を射た意見も多くあるので、勉強させてもらうところが多くあるけれど、先ほどのアーリーアダプター的位置の人のコメントがフラストレーション丸出しなことが多くある上(あくまで主観的に見て)、始めについたコメントの方がトップに上がりやすいので、これは少し、高校生には刺激的すぎる。
近頃、身近なところで最近のニュースの話題が持ち上がった時に、そこでトップブコメにあった意見を思考停止で垂れ流してしまうことが何度かあった。これは本当にまずい。いや、物事を多面的に見る能力を培う上で、触れる意見の絶対数を増やすことは重要なんだけれど、今の時期に考えることをやめたら、どんな腐った人間になるのか、計り知れない。
だからせめて、自分はそのトップブコメが正しいと思うのか、だけでも毎度吟味する必要があると思う。
やはり、変に勘違いするとイかれた人格を持ち合わせることになるので、はてブを利用するには、ある程度形成された人格と、それなりの覚悟が必要だと思ってる。
ちなみに僕にはそんな覚悟ない。マジで。だから、高校生の段階ではてブを利用するには少し早かったように思う。
それでも、トップブコメで得られた知見は多い。感謝。
id:xevraのこと
個人的にすごく衝撃を受けた人物なので書かせてほしい。
ちなみに上の「メイラード反応」を教えてくれたのは先生だけれど、特に関連性はない。
以前、先生に一度だけIDコールを飛ばさせてもらったこともある。
気が参ってたけど、走り出したら止まんねえわ!みたいなエントリだと思ってもらえればいい。(興味ある人は是非読んで)
何を隠そう、僕は鬱に落ちた側の人間なので、先生の駆逐対象であるのだけれど、この時も一貫して運睡瞑菜を推してる。一周回って気持ちいいくらい。
だけど、やっぱりヘイトに寄りすぎてる。最近のインターネッツは、自由でどんな発言もできる空間から、ヘイト等の発言の取り締まりを強化する流れに大きく変わってきた。言論の自由は(これはポルノだとかにも通づると思う)、やはり変わったんだ。
その点、一部のはてなーから出ている「運営はこいつを放っておいて大丈夫なのか」という意見は真っ当に思える。もはや、暴力やヘイトに塗れたプラットフォームは支持されなくて当然のものだし一上場企業としての責任が問われるはずだ。
先生が、インターネッツの大海原の片隅で、ものすごくでかい錨を下ろして大きな声で叫んでるのはよくわかる。適当なツールで遡ってみればわかるが、彼はずっと同じスタンスではてブを45000件もつけてる。そして一定数スターで賛同を示すユーザもいる。
だけどこれは、はてなという閉鎖的なプラットフォームの中で、長年かけて培ってきた理解であって、日常を生きる大多数の人間からすれば、彼は正義でない(はずだ)。
僕はあくまで、運睡瞑菜にクリティカルな間違いはないと思ってるし、一部意見に賛同、他に関しては「芸風」だと理解している。
ただ、少なくとも、同じ生身のにんげんが画面の向こうにいるのを考慮すると、先生のコメントは少々(というかだいぶ)こころ無いように思える。「言論の自由」の観点でも、グレーないしは黒だ。
ちなみに、先生・こころ、と単語が並ぶけれど、漱石文学とは特に関連性はない。
かんそう
ついつい先生のことにボリュームを持たせすぎたことを反省してる。彼が何を背負っているのかわからないけど、彼のコメントの独自性はインターネッツらしくて好きです。
認知バイアスの塊みたいなコメントばっかりしてるのはもったいないです。時々、ブログでもマジでいいこと仰る時があるので、そういう人生を豊かにするテクをどんどんインターネッツに残していってほしいと思ってます。
カッコよく自分に嘘つかず粋に生きる、だから人生は輝くのだ。もちろん損して酷い目に会う事も沢山あるだろう、みんなに笑われたら「自分は不器用ですから」と笑って返せばいい。それが人生という物だ。
が、「運睡瞑菜」みたいなガチムチの掟を大脳に焼き付けているのになぜ、「ヘイトは悪」という掟はムシなのか、僕みたいな若造には理解ができないので是非教えてください。
これじゃあ記事のまとめになってないので、まとめます。
まとめるとはてな好きだけど怖い^ ^