レス数が1000を超えているけど、まだ書けるかも知れないよ。
【文化】 韓国茶の歴史二千年、倭乱・強占期で日本に奪われたが…伝統を復元、今や世界が韓国を茶文化国家として知る[12/01]
- 3 :LingLing ★:2017/12/01(金) 22:44:08.29 ID:CAP_USER.net
- >>1のつづき
<茶礼は静的な文化の頂点である総合芸術>
-お母様である茗園キム・ミヒさんは韓国の茶禮概念を最初に確立した方でもある。
「母が、実家のある安東で習った茶禮作法と日本式茶禮作法があまりにも違っていたので疑問を抱いていたが、1952年ヘルシンキ五輪を通じて、欧州と経由地である日本・東京に行けるようになった。 当時は、李承晩(イ・スンマン)大統領がよほどのことでなければビザを出してもくれない時代だ。しかし、私の父(省谷 故キム・ソンゴン会長)が大統領を説得した。スポーツの重要性を説明しながら、代表チームの全ての費用を出すと言った。それで何とか母親も一緒にいけることになったが、そこで欧州のティーパーティー文化に接した。全ての重要な議論はその場で行われた。衝撃を受けた母は経由地である日本で日本が茶文化をどのように活用するのか、またどのように生活に浸透しているのかを見てきた。それで私たちが持つ茶文化を復元する決心をすることになった。
-すでに韓国茶文化の多くが消えた状態なので、困難な状態だったようだ。
「純宗の皇后である純貞孝皇后が母と親しい間柄だった。当時の王室の人々が困難にあったが、父はそれでも食べていけるように支援しなければならないと主張してたくさん助けた。それで、感謝の気持ちを持っていた皇后が、母の希望で尚宮三人を紹介してくれた。 そのうち、キム・ミョンギル尚宮から母親には正当の王室茶禮を伝授された。 残りの二人が、ファン・ヘソンさんに宮廷料理を、ソク・ジュソンさんに宮廷服飾を、途絶えないために伝授することになった。
-聞いたところによると、お父様とお母様が私たちの文化の保存に、関心を実に多く寄せたようだ。
「文化というものは、お金だけでも成り立たないが、お金がなければまた成り立たない。 現代とサムスンがなかった時代、父は韓国株式会社1号を立て、大きく成功した。 そして貧しく伝統をする人たち、疎外された芸術家をたくさん支援した。 サムルノリ、アンドレ・キム、伝統を研究する学者などを惜しげもなく支援した。 父が一度、「私たちが1年に後援するために使った資金がいくらか知ってる?普通の中小企業が一つ立つ資金だ」と笑いながら言ったこともある。 そういうみんな途切れて消えていくものを多く救った。 一例としては、1979年に初めて私たちの茶の学術大会を開いた。発表する学者がいなくて準備期間がなんと10年かかった。今は外国大使やその夫人たちが財団に来て、韓国にこういう良い茶文化があるのか知らなかったし、一生忘れないだろうというようになった」
-その娘であるキム理事長も名園世界茶博覧会で全世界に私たちの茶を教えた。
「今年で22年になった。ホテルで開いていた行事が数年前にはCOEXに移さなければならないほど規模が大きくなった。何よりもいいことは、世界茶文化地図に茶を楽しむ文化があり、茶を生産する国は緑色で表示される。 これまでに中国、日本は色付けされていたが、ウリナラはなかった。 しかし、世界茶博覧会を通じて今や私たちにも茶文化があることを知らせた。 私たちも緑色で表示されて全世界が知ることになった。」
-現代社会で茶礼がどのような意味を持っているのか、なぜ重要なのか聞かせてもらえたら。
「ウリナラは今、動的文化は発達している。 K-popや多様な文化産業のほとんどが動的文化に偏ってれている。 一方、静的文化、精神文化は相対的に不足している。 東方礼儀之国は今どこへ行ったのか。 茶礼は静的な文化の頂点だ。人格教育のための総合芸術だ。 最近はそれでも、若い人の中で目覚めた人達が子供の頃から韓国伝統茶礼教育に関心を持ち始めた。幸いなことだが、まだ行く先は遠い。 日本式が混ざったものを教える亜流も公然といる。私たち茗園文化財団は宮中茶礼の正統性を持って、インターネットで検索できる知識の代わりに眼識を教えている。私は一人では理解できないことのみ教えてきた。 政界をはじめ多くの人たちがもっと関心を持って手伝ってくれたら嬉しく思う。 全国の中高等学校に私たちの茶礼書と茶礼を教える時間ができればという願いがある。」
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