☆善なる使命を果たす.長々と、逆説的な記事を書きました。
お金持ちだろうと、能力があろうと、幸福は保証されない。
記事のきっかけとなったモテる君の事例からここまで記したのは、お金の有無や、能力、魅力などの高低に、幸福が必ずしも比例しないからです。
むしろ、パフォーマンスが高いがゆえに、不幸になることがある。
譬えるなら、会社で上役だから相対的に幸せとはならない。
給料が高く、権限が強いという部分だけを見ればそのように見えるかも知れないが、責任が重く肩にのしかかり、休息もままならない苦痛を考えれば、低い職位が勝る、ということがあります。
他人に勝つという程度のことは幸福の一部分の話であり、能力に応じて、財力、体力に応じて、何に、どのように使うかが問われるのです。
モテるから沢山の女性と付き合う・・
しかし、同時にそれは、沢山の別れと悲しみを作ることにもなる。
大事なことは、利益と共に、利他がなければ不幸だということ。
自他ともに幸福になるには「善」こそが大事なのです。
生かすために殺す欲、殺す目標があります。
モテる君はモテるがゆえに、99人との恋愛を捨てて、1人との恋愛にセーブしなければならない。モテる君は本来の能力を発揮できない訳で、善に生きることは苦痛になるかも知れない。
一方、モテない君も1人の恋愛で満足できるかが問われます。
つまり、能力や財力もあっても「使えない」のが人生です。
使えない能力は、あっても意味のないものです。
譬えるなら、孤立無援の無人島に住む人間が100億円を持っていたとしても、何の使い道もなく、せいぜい焚き木の材料にしかならないということです。大事なことは「使命を果たす」ことに尽きる。
結局、何にこの一生を使うのか、です。
何を果たすのか、です。
今ある時間と健康とを、価値ある輝かしいことに使いたいものです。
究極は「広宣流布」しかない。
私たちの幸福は、広宣流布と比例するのですから。
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