「被害者A」と呼ばないで

「被害者A」と呼ばないで
被害に遭ったのは「A」ではありません。
私たちの大切な娘、岩瀬加奈です。

…これは、ある事件で最愛の娘を失った家族の思いです。

法廷では、被害者の名前を匿名にする場合もありますが、この家族は、あえて名前を呼んでほしいと要望しました。
家族を動かしたのは、事件の重さを知ってほしいという悲痛なまでの思いでした。
(社会部記者 藤田日向子)
事件が起きたのは、おととし11月でした。
いつものようにコンビニエンスストアでのアルバイトを終えた岩瀬加奈さん(当時17)は、同僚だった青木正裕被告(31)に呼び止められました。

「化粧品のサンプルをもらってほしい」
この作り話で、翌日、青木被告のアパートに連れて行かれた加奈さんは、いきなり首を絞められ、命を奪われました。

突然の事件

事件が起きたのは、おととし11月でした。
いつものようにコンビニエンスストアでのアルバイトを終えた岩瀬加奈さん(当時17)は、同僚だった青木正裕被告(31)に呼び止められました。

「化粧品のサンプルをもらってほしい」
この作り話で、翌日、青木被告のアパートに連れて行かれた加奈さんは、いきなり首を絞められ、命を奪われました。

かけがえのない家族

岩瀬正史さん(48)と裕見子さん(49)の次女として生まれた加奈さん。幼い頃から本を読むことや絵を描くことが大好きな優しい子でした。

高校から始めたアルバイトの給料をこつこつ貯めて、毎年、家族をテーマパークに招待することを楽しみにしていたといいます。

被害に遭ったのは、18歳の誕生日を目前に控えていた11月12日でした。連絡が取れなくなった後、家族は携帯に何度も電話をかけました。

自宅から駅までの道を辿っては、何か手がかりがないか、必死に探しました。事件に巻き込まれたかもしれないと思った父親の正史さんは「手が無くなっていたら、代わりに父ちゃんがなんでもやる。目が見えなくなっていたら、代わりに父ちゃんが見てやる」と心の中で叫び続けました。

家族の祈りは届かず、加奈さんは翌日、遺体で見つかりました。

母親の裕見子さんは、どれだけさすっても加奈さんの体が温かくならなかったことは、一生忘れることができないといいます。

気持ちは裁判に

当初、正史さんや裕見子さんは、加奈さんの名前や写真が報道されたことにショックを受けました。

事実とは違うことが伝えられたこともあり、不信感が募りました。
加奈さんの姉の咲貴さんは、自分たちの気持ちが理解されていないと感じていました。

その一方で、事件のことを風化させないためには報道される必要もあると感じ、複雑な心境だったといいます。

3人の気持ちは、しだいに裁判に向かっていきました。
事件の真相を明らかにすること。
そして、できるかぎり重い刑を言い渡してもらうことが、加奈さんのためにできることだと考えたからです。

3人は、被害者遺族として裁判に参加することを決めました。
そして裁判所に通って、さまざまな裁判を傍聴するようになりました。
刑事裁判の進め方や、どのように刑の重さが決まるのかを知りたかったからです。
そこで、あることを知りました。性犯罪の裁判などでは、法廷で被害者の名前を呼ばずに審理が進められる場合があることです。

裁判は公開の法廷で原則として実名で進められますが、被害者に配慮する必要がある場合、匿名にすることがあります。

3人は、加奈さんの裁判が匿名で進められることを想像してみましたが、それは不自然だと感じました。

加奈さんは何も悪いことをしていないのに名前が隠されると家族や友人と過ごしてきたかけがえのない人生が突然奪われたことの重みが伝わらないのではないかと思えたのです。

そして、何より自分たちが審理に参加したときに、法廷で最愛の娘を「加奈」と呼べないのは、耐えがたいことでした。

加奈さんの事件も、当初は匿名で進められる予定でした。
しかし3人は、実名で審理を進めたいという気持ちを検察官に伝えました。
その要望を受けて、ことし5月、実名での審理が東京地方裁判所で始まりました。

名前に込めた家族の思い

正史さんは、被害者遺族として意見を述べるため、法廷に立ちました。

「うちの加奈が何か悪いことをしたのか。加奈がどんなに苦しかったか、怖かったか、考えたことがあるのか」

繰り返し加奈さんの名を呼びながら、奪われた命の重さを訴えました。

判決は、無期懲役。
検察の求刑どおりでしたが、3人が求めていたのはより重い刑でした。
ただ、判決の後で開かれた会見で、裁判員は「被害者の名前をアルファベットなどで置き換えて匿名にされると、一般の感覚では人間味を感じなくなってしまう。実名だから亡くなったという重みがより強く伝わりました」と話し、実名で審理する意義を感じたと話しました。

12月1日、2審の判決も無期懲役で、被告側の主張は退けられました。

判決後の会見で、母親の裕見子さんは「刑には納得できない」と話しましたが、1審の裁判員が話した感想のことを聞いて、実名を要望してよかったと感じたと述べました。

そして「この裁判がいつまでも記録に残ることで、事件が忘れ去られず、多くの人の参考になったり、同じような事件の抑止につなっがたりすることを期待しています」と話しました。

同じ被害者遺族のために

岩瀬さんの家族は、殺人事件などの報道に触れると、加奈さんのことや、事件当時のことがよみがえってきて、今も胸が苦しくなることがあるといいます。

それでも、同じように突然事件に巻き込まれてしまった人たちのために何かできないかという思いが日に日に強くなっていきました。

もちろん、ほかの事件の被害者遺族に対して、実名にするように勧めることはしません。事件の当初、自分たちが実名を望まなかったように、多くの人たちが法廷でも実名を望まないのではないかと感じているからです。ただ、自分たちの考えを知りたいと思う人たちには、率直に話したいと考えています。

今回、正史さん、裕見子さん、咲貴さんは、実名で取材に応じてくれました。

それは、同じように突然家族を奪われた人たちがどうすればいいか悩んだとき、自分たちの名前を手がかりに声をかけてもらいたいと考えたからです。

岩瀬さんの家族は「犯罪被害者の遺族は、亡くなった家族のためにできるかぎりのことをしたいと必死の思いで裁判に臨みますが、何をしたらいいのかわからず、壁にぶつかることも多いと思います。どんな形でもかまいませんから、連絡をもらえたら私たちの経験を伝え、納得のいく裁判をしてもらいたいです」と話していました。

亡くなった加奈さんだけでなく、自分たちも実名を出して声を上げている家族の思いは「犯罪被害の重さを知ってほしい」ということに尽きると思います。

私たちは、こうした思いにきちんと向き合えているのでしょうか。
今回の事件をきっかけに、改めて考えなければならないと感じました。
「被害者A」と呼ばないで

News Up 「被害者A」と呼ばないで

被害に遭ったのは「A」ではありません。
私たちの大切な娘、岩瀬加奈です。

…これは、ある事件で最愛の娘を失った家族の思いです。

法廷では、被害者の名前を匿名にする場合もありますが、この家族は、あえて名前を呼んでほしいと要望しました。
家族を動かしたのは、事件の重さを知ってほしいという悲痛なまでの思いでした。
(社会部記者 藤田日向子)

突然の事件

突然の事件
事件が起きたのは、おととし11月でした。
いつものようにコンビニエンスストアでのアルバイトを終えた岩瀬加奈さん(当時17)は、同僚だった青木正裕被告(31)に呼び止められました。

「化粧品のサンプルをもらってほしい」
この作り話で、翌日、青木被告のアパートに連れて行かれた加奈さんは、いきなり首を絞められ、命を奪われました。

かけがえのない家族

かけがえのない家族
岩瀬正史さん(48)と裕見子さん(49)の次女として生まれた加奈さん。幼い頃から本を読むことや絵を描くことが大好きな優しい子でした。

高校から始めたアルバイトの給料をこつこつ貯めて、毎年、家族をテーマパークに招待することを楽しみにしていたといいます。

被害に遭ったのは、18歳の誕生日を目前に控えていた11月12日でした。連絡が取れなくなった後、家族は携帯に何度も電話をかけました。

自宅から駅までの道を辿っては、何か手がかりがないか、必死に探しました。事件に巻き込まれたかもしれないと思った父親の正史さんは「手が無くなっていたら、代わりに父ちゃんがなんでもやる。目が見えなくなっていたら、代わりに父ちゃんが見てやる」と心の中で叫び続けました。

家族の祈りは届かず、加奈さんは翌日、遺体で見つかりました。

母親の裕見子さんは、どれだけさすっても加奈さんの体が温かくならなかったことは、一生忘れることができないといいます。

気持ちは裁判に

当初、正史さんや裕見子さんは、加奈さんの名前や写真が報道されたことにショックを受けました。

事実とは違うことが伝えられたこともあり、不信感が募りました。
加奈さんの姉の咲貴さんは、自分たちの気持ちが理解されていないと感じていました。

その一方で、事件のことを風化させないためには報道される必要もあると感じ、複雑な心境だったといいます。

3人の気持ちは、しだいに裁判に向かっていきました。
事件の真相を明らかにすること。
そして、できるかぎり重い刑を言い渡してもらうことが、加奈さんのためにできることだと考えたからです。

3人は、被害者遺族として裁判に参加することを決めました。
そして裁判所に通って、さまざまな裁判を傍聴するようになりました。
刑事裁判の進め方や、どのように刑の重さが決まるのかを知りたかったからです。
気持ちは裁判に
そこで、あることを知りました。性犯罪の裁判などでは、法廷で被害者の名前を呼ばずに審理が進められる場合があることです。

裁判は公開の法廷で原則として実名で進められますが、被害者に配慮する必要がある場合、匿名にすることがあります。

3人は、加奈さんの裁判が匿名で進められることを想像してみましたが、それは不自然だと感じました。

加奈さんは何も悪いことをしていないのに名前が隠されると家族や友人と過ごしてきたかけがえのない人生が突然奪われたことの重みが伝わらないのではないかと思えたのです。

そして、何より自分たちが審理に参加したときに、法廷で最愛の娘を「加奈」と呼べないのは、耐えがたいことでした。

加奈さんの事件も、当初は匿名で進められる予定でした。
しかし3人は、実名で審理を進めたいという気持ちを検察官に伝えました。
その要望を受けて、ことし5月、実名での審理が東京地方裁判所で始まりました。

名前に込めた家族の思い

正史さんは、被害者遺族として意見を述べるため、法廷に立ちました。

「うちの加奈が何か悪いことをしたのか。加奈がどんなに苦しかったか、怖かったか、考えたことがあるのか」

繰り返し加奈さんの名を呼びながら、奪われた命の重さを訴えました。

判決は、無期懲役。
検察の求刑どおりでしたが、3人が求めていたのはより重い刑でした。
名前に込めた家族の思い
ただ、判決の後で開かれた会見で、裁判員は「被害者の名前をアルファベットなどで置き換えて匿名にされると、一般の感覚では人間味を感じなくなってしまう。実名だから亡くなったという重みがより強く伝わりました」と話し、実名で審理する意義を感じたと話しました。

12月1日、2審の判決も無期懲役で、被告側の主張は退けられました。

判決後の会見で、母親の裕見子さんは「刑には納得できない」と話しましたが、1審の裁判員が話した感想のことを聞いて、実名を要望してよかったと感じたと述べました。

そして「この裁判がいつまでも記録に残ることで、事件が忘れ去られず、多くの人の参考になったり、同じような事件の抑止につなっがたりすることを期待しています」と話しました。

同じ被害者遺族のために

岩瀬さんの家族は、殺人事件などの報道に触れると、加奈さんのことや、事件当時のことがよみがえってきて、今も胸が苦しくなることがあるといいます。

それでも、同じように突然事件に巻き込まれてしまった人たちのために何かできないかという思いが日に日に強くなっていきました。

もちろん、ほかの事件の被害者遺族に対して、実名にするように勧めることはしません。事件の当初、自分たちが実名を望まなかったように、多くの人たちが法廷でも実名を望まないのではないかと感じているからです。ただ、自分たちの考えを知りたいと思う人たちには、率直に話したいと考えています。

今回、正史さん、裕見子さん、咲貴さんは、実名で取材に応じてくれました。

それは、同じように突然家族を奪われた人たちがどうすればいいか悩んだとき、自分たちの名前を手がかりに声をかけてもらいたいと考えたからです。

岩瀬さんの家族は「犯罪被害者の遺族は、亡くなった家族のためにできるかぎりのことをしたいと必死の思いで裁判に臨みますが、何をしたらいいのかわからず、壁にぶつかることも多いと思います。どんな形でもかまいませんから、連絡をもらえたら私たちの経験を伝え、納得のいく裁判をしてもらいたいです」と話していました。

亡くなった加奈さんだけでなく、自分たちも実名を出して声を上げている家族の思いは「犯罪被害の重さを知ってほしい」ということに尽きると思います。

私たちは、こうした思いにきちんと向き合えているのでしょうか。
今回の事件をきっかけに、改めて考えなければならないと感じました。