日焼けマシンの歴史 古 代 古代の日光浴 太陽光線と水は、古代人にとって偉大な治療薬でした。太陽光線を治療に用いる例は、すべての古代文明にみられます。 アッシリア人には日光浴の週間があり、そのための施設をもっていました。 古代ギリシャ人は日光浴を重要視し、西洋医学の父・ヒポクラテスは太陽光線の治療効果を記述しています。 ローマ時代 ローマ時代のソラリウム(日光浴場) ローマ時代には、日光浴は生活文化の一つとして発展しました。日光浴による治療法が広く民衆に普及し、住宅にも専用の日光浴場(ソラリウム)を持っていました。 ゲルマン人も太陽光の治療効果を知っていました。彼らの住む土地は日光が乏しいので、治療のために紫外線量の多い高い山に登り、太陽の恩恵を得ようとしました。 中 世 中世は日照不足の時代 ギリシャ時代の彫刻の理想的な体系は、太陽の下で肉体を鍛えたことを示しています。 しかし中世になると、このような肉体鍛練法は理解されなくなり、芸術にも薄い着衣や裸の体は見られなくなります。 その結果、人々に日光不足による弊害が増え、中世の絵画を観ると解るように、重症のクル病や伝染病が蔓延しています。 18世紀 日光浴療法の再発見 18世紀の終わりに、スイスの医師・リッキリ(Rickli)は、日光を利用した治療所を開設します。 デンマークの医師・フィンセン(Finsen)は、太陽光線が体に与える影響を研究し、当時すでに開発されていた電気による人工光を利用して皮膚結核の治療に成果をあげています。その功績に対して1903年にノーベル賞が授与されました。 現代の光線療法 1959年にはシュテッグマイヤーとフルトンが光増感剤とともにUVA光線を治療に用い、これが光線化学治療の礎になります。 1975年、トロニエールは、皮膚病の治療に中波長帯域のUV光線を照射し、これを「選択的紫外線療法」と名付けました。 その後、ヨーロッパの各国では、皮膚医学、精神医学、内分泌医学、運動生理学など様々な分野で、光線の生理学作用の研究が進められます。 そして多くの分野で幅広く光線療法がおこなわれるようになります。 20世紀 現代の光線療法 ヨーロッパの病棟で掲示されている、自殺しようとしている人に消防隊が光をあてて自殺防止を表現するパロディポスター。