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〈時代の正体〉さらばツイッター ある在日コリアンの決別宣言

記者の視点=デジタル編集委員・石橋 学

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2017/12/01 05:47 更新:2017/12/01 05:47

屈せず、諦めず


 自分だけ守られればよい、などと思ったことは一度もない。個人的な問題ではないからだ。

 法務省がことし3月に公表した外国人住民実態調査報告書は、在日外国人が広く日常的に受けているインターネットによる差別の一端を伝える。

 「日本に住む外国人を排除するなどの差別的記事、書き込みを見た」は41・5%に上り、「自分のインターネット上の投稿に、差別的なコメントを付けられた」は4・3%。「差別的記事、書き込みが目に入るのが嫌で、そのようなインターネットサイトの利用を控えた」は19・8%、「差別を受けるかもしれないので、インターネット上に自分のプロフィールを掲載するときも、国籍、民族は明らかにしなかった」は14・8%だった。

 さらに回答者の内訳を国籍・地域別にみると、ヘイトスピーチの標的になっている在日コリアンにより大きな実害が生じていることがうかがえる。「差別的記事、書き込みを見た」は全体では41・6%だが、韓国では67・7%、朝鮮は78・3%に跳ね上り、「インターネットサイトの利用を控えた」は全体の19・8%に対し、韓国が37・0%、朝鮮が47・8%。「国籍、民族は明らかにしなかった」は14・9%から、韓国で27・4%、朝鮮で52・2%、「差別的なコメントを付けられた」は4・3%から、韓国で6・4%、朝鮮で8・7%となり、軒並み平均を大きく上回っている。

 ネット利用を控えたり、利用方法を変えたりするという実害が生じ、マイノリティーの社会につながる回路が断たれている。その場その場で傷つけられるだけでなく、自分が自分であるかけがえのない人生が奪われている。

 差別に甘んじているような態度を子どもたちに示すわけにはいかない。仕方がないとやり過ごすわけにいかない。在日コリアンであることに肯定的なイメージを持つことができず、高校3年生の秋まで日本名を名乗る「隠れコリアン」だった崔さんは、そんな思いが強い。

 差別のない「共に生きる」まちづくりを手がける社会福祉法人青丘社の職員として、さまざまなルーツを持つ地域の子どもたち、若者たちが交流する施設「川崎市ふれあい館」で働き20年余、民族名で堂々と生きる姿を子どもたちに示すことが役目と、自らに任じてきた。絶やさぬ笑顔が、違いこそは豊かさだと伝えてきた。

 だからアカウントにはもちろん本名を使った。実名で報じられることもいとわなかった。

 差別は、差別される側に原因があるのではない。差別をする側と、それを許す社会がいけない。在日コリアンであるというだけで差別され、その上、排斥の言葉までを投げつけられる社会のままであって、これからを生きる子どもたちが、どうしてありのままの自分を生きられよう。

 そのまぶたに一つのツイートが焼き付く。

 〈嫌なら見なければいい〉

 見ている自分がいけないというのか。断じて、違う。学校でいじめられている子に対し、先生は目をつぶり、耳をふさいでやり過ごしなさいとは言わない。いじめている側にやめなさいと注意をし、言葉のつぶてを取り上げるはずだ。

 崔さんはあらためて言う。

 「自分たちで決めたルールなのだから、違反しているツイートを削除し、アカウントを停止するのは特別なことではなく、当たり前なはず。ましてやツイッターは公共の場と呼べる存在。そこが差別者の居場所、活躍の場となり、差別の現場になっているという自覚を持ってほしい」

 屈したわけではない。諦めたわけでもない。

 ツイッターをやめた翌日、東京・下北沢の小さな書店に崔さんは向かった。ヘイト団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の実像に追ったルポ「ネットと愛国」の著作で知られるジャーナリスト、安田浩一さんの新著の出版を記念したトークイベント。クローズアップ現代プラスにも出演していた、インターネット業界の動向に詳しいジャーナリストの津田大介さんとの対談が始まっていた。

 聞きたい言葉が、あった。

 津田さんが口火を切る形で、話題はツイッターに及んだ。

 「人は差別するし、偏見もある。けれども公の場で言ってはいけないというルールがある。公言することが許されれば、ヘイトスピーチは過激化し、ヘイトクライムにつながる。社会を壊さないために規制していかないといけない」

 番組でも「一線を越えた差別表現というものは、言論(の自由の対象)ではない」と断じ、欧州連合(EU)にならって規制を強化するべきだと語っていた津田さんは、やはりヘイトスピーチの害悪を強調した。

 「誰もがスマホで発信できるようになり、影響力も大きくなった今、プラットホーム事業者であるツイッターやヤフー、フェイスブックは情報発信を手助けしているだけであって、発信内容の責任は取りませんという態度ではもはやいられない」

 安田さんの口調は怒気を帯びていた。

 「ツイッターにはメディアとしての自覚が感じられない。プラットホーム事業者を自称し、メディアではないかのよう態度だ。情報発信の場を提供するメディアである以上、何を載せ、載せないべきか、少なくとも葛藤があるべきだ」

 「笹本さんの発言には主体的に何かを変えることへの言及がなかった。ヘイトを書いた人間はもちろん、書かせる場を与えた側への批判を強めていかなければならない」

 会場をいっぱいに埋めた50人ほどの聴衆があちこちでうなずく。崔さんは救われる思いだった。

 「差別はいけない、しないというだけでは、私たちが受けている差別は減らないし、なくならない。だから、差別をしないだけでなく、差別は駄目だと非難し、なくしていく仲間になってほしいと願い、声を届けてきた。きょうは、その仲間がいっぱいいると感じられ、安心してこの場にいることができた。差別をなくすという点で、私たちもマジョリティーになれるのではないかと勇気をもらった」

 安田さんにサインを表紙の裏にしてもらい、帰路に着く。

 いじめられっ子で、やがていじめる側に回った少年時代への悔悟から、外国人労働者や在日コリアン、沖縄の人々に対するさまざまな差別の現場を歩き、差別とどう向き合うべきかが自らの言葉でつづられた一冊、「学校では教えてくれない差別と排除の話」(皓星社)には、笹本氏やCEOとは対極のメッセージが、筆圧もたっぷりに記されていた。

 〈差別はなくならないし、仕方のないことであり、どんな時代や地域にもあるものだ、とよく言われます。それはある程度はその通りかもしれません。けれども、あえてそれを言わないことも、大切なことだと僕は思っています〉

 〈新しく生まれる差別に対して、これまで述べてきたような「理性」と「小さな正義」を元に、「いくらでもかかってこい。そんな差別は、生まれるたびにつぶしてやる!」と考えて取りくむのが、人としての正しい生き方なのではありませんか〉

 人の痛みへの想像力、自分がされたら嫌だと思うことをしないという理性、生まれ持って備わっている素朴な正義感―。

 諦めを強いる差別に抗(あらが)い、不正義をただす力のありかを安田さんの筆致に重ね、崔さんは願う。

 「私なんて、ささやかな一ユーザーにすぎないけれど、もう守ってもらえないという理由でやめたという意味を、ツイッター社の人たちに考えてほしい」

 つぶやく言葉を奪われ、それでもなお届けたいと、沈黙に託したメッセージがある。

 「心に響いてほしい、人として」

 放送から1週間余、笹本氏やツイッタージャパンのアカウントに番組での発言に関するツイートはまだ、ない。

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