大鵬の通算優勝記録はその後、同じモンゴル人の白鵬が破った(現在まで37回優勝)。しかし、その白鵬も外国人力士として苦汁をなめた経験が何度もある。代表的な2つの出来事には、どちらも稀勢の里がからんでいる。
2013年11月場所の14日目。ここまで全勝の白鵬は、稀勢の里と対戦した。2人は仕切りの際に、何度も仁王立ちしたまま激しくにらみ合った。
取り組みは力のこもった投げの打ち合いの末、稀勢の里が上手投げで勝つ。すると、予期せぬことが起こった。館内を埋め尽くした7000人近い観客が万歳三唱を始めたのだ。その回数は10度に及んだという。
〈場内からは期せずして「万歳」コール。異様な雰囲気に包まれた。日本人大関の横綱連覇を喜んだのか、見応えのある相撲への称賛か──〉と、毎日新聞は報じている。
白鵬はこの万歳三唱が悔しく、「自分がやってきたことは何だったのか」と師匠の宮城野親方にもらしたという。2011年に八百長問題で相撲界が大揺れだったときも、支えたのはそのとき一人横綱をつとめ7連覇さえ成し遂げた自分だという思いもあっただろう。
もうひとつの出来事は、2015年1月場所。白鵬は大鵬の通算記録を抜く33度目の優勝を全勝で飾った。だが千秋楽から一夜明けて行われた記者会見で、優勝を決めた13日目の稀勢の里戦が取り直しになったことについて審判部を批判した。
「子供が見ても(自分の勝ちだと)わかるような相撲なんでね。なぜ取り直しになったのか。……本当に肌の色は関係ないんだよね。まげを結って土俵に上がれば日本の魂なんですよ。みんな同じ人間です」
「肌の色は関係ない」という言葉には、相撲界に日常的な人種差別があるという含みがある。審判部を批判したことは厳しい意見にさらされたが、「肌の色」発言は日ごろの思いが口をついて出たと受け取るのが自然だろう。
朝青龍の「品格」が問題視されていた時代や、白鵬をめぐって小さくはない衝突が起きていた場所に比べれば、今場所はなんと平和なことだろう。
稀勢の里が新横綱として活躍し、白鵬をはじめとしてモンゴル人横綱に衰えも感じられる今、多くのファンにとっては相撲のあるべき姿が戻ってきたように思えるかもしれない。
この安心感は、あまり大きな声で表明されることはない。メディアも日本人と外国人という区分けには触れないようにしている節がある。一歩まちがえると差別的と受け取られかねないからだろう。
しかし今場所も10日目になって、この安心感をテレビではっきりと口にした人がいた。NHKの大相撲中継に解説者として出演していた元横綱・北の富士だ。
この手の「正直」な発言をときおりする北の富士だが、今回はこう語った。
「モンゴル勢横綱の陰に日本人が隠れて、寂しい時代が続きましたけどね。ようやくこうして稀勢の里が横綱になり、高安も出てきて、よくなりましたね」
「寂しい時代」という表現は言いすぎだとしても、「日本の相撲が日本人の手に返ってきた」ことを素直に喜んでいることばだ。今の空気を代弁したものと考えて、あながちまちがいではないだろう。