このことをまだ論じてなかったな。
岡田斗司夫さんの言う、だいたい40歳代の「オタク第二世代」が大きな影響、というか被害を被ったのは、言わずもがな「宮崎勤事件」だ。
一方で、30歳代の「オタク第三世代」にも大きな影響を与えた事件があったと僕は考える。岡田さんは言及していないが。
「オウム事件」である。
これを機に、オタクの「冷笑主義」が始まった、と僕は考える。
オウムはエリート、特にコミュ障やオタク属性のエリートがことごとく嵌ったと言われている。
(当時の)オタクの「熱狂性」や「狂信性」を利用し、カルトにまで濃縮したのだ。
僕は事件当時、大槻ケンヂ(彼もまたカルトな人気を誇っていた)がインタビューでこう答えていたのを覚えている。
「これからの若者は熱狂するだけでなく、『オイオイ』とツッコむ、冷静な精神が必要なのです」
こうしてオウムの暴力的カルト性への反動が、オタクの「冷笑主義」に繋がる。
そしてアニメの思想性やメッセージ性への頑なな拒否へも結びついた、と僕は推論する。
今も僕が真剣に声を上げれば「カルト宗教ですか?」「教祖のつもりですか?」と、テンプレ化した語句が飛んでくる。
つまり彼らが最も(潜在的に)恐れているのは「信仰」であり、「宗教」なのだ。
何はともあれ、「信者」には見られたくない。そういうアレルギーだ。
日本は基本無宗教だ。そこに強い信仰心を芽生えさせるのは無理があり、すぐにカルト化する。
それを承知で敢えて言うが、今日本のアニメは、余りに「信じる」心が乏しくはないだろうか?
真剣に作品と向き合う覚悟が足りないのではないだろうか?
ブヒブヒと「萌え」という名のポストモダンに耽溺し、真の感動から目を背け、不毛なネタやツッコミやカワイイカワイイで時間つぶしをしているだけではないのか?
僕らは本当にアニメを愛しているのだろうか?
それが全てのファンに試される、突きつけられる時代となった。
「革命の三ヶ月」とは、そんな白け呆けた時代に打ち込んだ鋭い楔となるであろう。
岡田斗司夫さんの言う、だいたい40歳代の「オタク第二世代」が大きな影響、というか被害を被ったのは、言わずもがな「宮崎勤事件」だ。
一方で、30歳代の「オタク第三世代」にも大きな影響を与えた事件があったと僕は考える。岡田さんは言及していないが。
「オウム事件」である。
これを機に、オタクの「冷笑主義」が始まった、と僕は考える。
オウムはエリート、特にコミュ障やオタク属性のエリートがことごとく嵌ったと言われている。
(当時の)オタクの「熱狂性」や「狂信性」を利用し、カルトにまで濃縮したのだ。
僕は事件当時、大槻ケンヂ(彼もまたカルトな人気を誇っていた)がインタビューでこう答えていたのを覚えている。
「これからの若者は熱狂するだけでなく、『オイオイ』とツッコむ、冷静な精神が必要なのです」
こうしてオウムの暴力的カルト性への反動が、オタクの「冷笑主義」に繋がる。
そしてアニメの思想性やメッセージ性への頑なな拒否へも結びついた、と僕は推論する。
今も僕が真剣に声を上げれば「カルト宗教ですか?」「教祖のつもりですか?」と、テンプレ化した語句が飛んでくる。
つまり彼らが最も(潜在的に)恐れているのは「信仰」であり、「宗教」なのだ。
何はともあれ、「信者」には見られたくない。そういうアレルギーだ。
日本は基本無宗教だ。そこに強い信仰心を芽生えさせるのは無理があり、すぐにカルト化する。
それを承知で敢えて言うが、今日本のアニメは、余りに「信じる」心が乏しくはないだろうか?
真剣に作品と向き合う覚悟が足りないのではないだろうか?
ブヒブヒと「萌え」という名のポストモダンに耽溺し、真の感動から目を背け、不毛なネタやツッコミやカワイイカワイイで時間つぶしをしているだけではないのか?
僕らは本当にアニメを愛しているのだろうか?
それが全てのファンに試される、突きつけられる時代となった。
「革命の三ヶ月」とは、そんな白け呆けた時代に打ち込んだ鋭い楔となるであろう。