シリア: 激戦地ラッカ、ISに人質にされた住民の「恐怖」

2017年11月30日掲載

「水を求めて通りに出て殺された人もいる」――シリア・ラッカ市から避難してきた住民の証言だ。過激派組織「イスラム国」が拠点としていたこの地域は、2017年10月17日、シリア民主軍と有志連合軍の4ヵ月半に及ぶ軍事作戦によって制圧された。

ラッカにどれだけの民間人がいたのか、何人が犠牲になったのか。援助を受けられなかった住民たちはいま……国境なき医師団(MSF)で緊急対応デスクのマネジャーを務めるナタリー・ロバーツに聞いた。

破壊され無人となったラッカ市街。どこに爆発物がしかけられているかわからないため、住民はなかなか帰れずにいる。
破壊され無人となったラッカ市街。どこに爆発物がしかけられているかわからないため、住民はなかなか帰れずにいる。

軍事作戦の間、MSFはラッカ住民に接触できたのでしょうか。

攻撃が続いている間は現地に入れませんでした。他の人道援助団体と同じ状況です。ラッカに閉じ込められた住民のためにできることはありませんでした。活動は、コバニ、タル・アブヤド郡、ハサカ県の病院と避難キャンプに限られていました。

ラッカが制圧された10月半ば以降、約1300人がアイン・イッサにある避難キャンプに逃げてきました。MSFが活動している地域です。避難者の大半は女性と子どもでした。男性はわずかで、高齢者か負傷者でした。負傷者は「イスラム国」が管理する病院で治療を受けたとのことでした。

自宅が砲撃を受け、妻と娘2人が亡くなった。自身も両脚を失い、MSFの治療を受けている。
自宅が砲撃を受け、妻と娘2人が亡くなった。自身も両脚を失い、MSFの治療を受けている。

避難者はシリア民主軍に護衛されて到着しました。ただ、ラッカから周辺の検問所までは自力でたどり着くしかなかったそうです。

避難者の半数は現在、キャンプから離れた一帯から出られずにいます。会って話を聞けた人は、空爆の激しさと恐怖、生活環境が悪化していった様子を口にしていました。

ラッカから6kmほど離れた位置に設置されたアイン・イッサ避難キャンプ。1万5000人以上が滞在している。
ラッカから6kmほど離れた位置に設置されたアイン・イッサ避難キャンプ。1万5000人以上が滞在している。

「水を探すために通りに出ていくしかなく、そのときけがをしたり殺されたりした住民が大勢いる」という証言もありました。夜間に家の明かりをつけると野戦砲や空爆の的にされたそうです。

避難を始めたときには、男性はもっと多かったそうです。シリア民主軍に連れていかれたとのことで、行き先は恐らく収容所でしょう。治療が必要な人がいたか、治療を受けられたか、はわかりません。

ラッカにとどまった民間人についてわかることはありますか。

ラッカは2014年に「イスラム国」に支配されました。その時点で脱出し、トルコやヨーロッパへ向かった住民がいます。一方、自らの意思で、あるいはほかに打つ手がなくて市内にとどまった住民も大勢いました。

ギリシャ国境で通過の許可を待つシリア難民。2014年以降、トルコから密航してギリシャへ渡り、バルカン半島を北上してドイツを目指す人が急増した。
ギリシャ国境で通過の許可を待つシリア難民。2014年以降、トルコから密航してギリシャへ渡り、
バルカン半島を北上してドイツを目指す人が急増した。

その多くは、貧しい、高齢、受け入れてくれる家族や友人がいないなどの事情がある人でした。とにかく家を離れたくなかったという人もいます。「イスラム国」支配下のラッカには仕事がたくさんあったため、ラッカにやってきた人もいることが分かっています。こうした判断は、「イスラム国」を支持しているから、などという単純なものではないのです。

避難者が大切に持っていた一枚。この避難者は、窃盗の疑いで手を切られた人、処刑され車で引き回され最後に犬のエサにされた人など「イスラム国」支配下で起きた残虐な行為を目撃していた。
避難者が大切に持っていた一枚。この避難者は、窃盗の疑いで手を切られた人、
処刑され車で引き回され最後に犬のエサにされた人など「イスラム国」支配下で起きた残虐な行為を目撃していた。

戦闘が続いていた4ヵ月半について、市内の民間人の人口や犠牲者の人数を把握することは不可能です。民間人のことは考慮されていませんでした。「正義の戦争」の名の下、有志連合軍が集中砲火を浴びせたため、住民は避難できなくなってしまいました。しかも、「イスラム国」にとって住民は人質でした。逃げようとした人は標的になりました。

自宅の片づけをしている両親を手伝う子どもたち。制圧から1ヵ月足らずのラッカ市東部にて。
自宅の片づけをしている両親を手伝う子どもたち。制圧から1ヵ月足らずのラッカ市東部にて。

ラッカ市内に救急車はなく、負傷者を運び出すには軍の車両を使うしかありません。使えるかどうかは兵士の好意次第でした。

有志連合軍の空爆は激しく、最終的に市街地は完全に破壊されました。一方、負傷して運び出された民間人はごくわずかでした。ラッカ一帯には、救急救命室や手術室を備えた病院がほとんどありません。戦争被害に遭った人を治療する能力も期待できません。

コバニ病院は整形外科の治療が必要な患者を受け入れる拠点病院ですが、9月の入院患者はわずか3人でした。

有志連合軍は、軍事作戦の最終週に民間の3000人が避難したと発表しています。しかし、事実を検証することは不可能です。「最後の攻撃が行われた時点でラッカに残っている民間人はいなかった」(シリア民主軍の報道官)という主張も検証できません。結局、今回の軍事作戦の死傷者数はどれだけいたのか。分からないままでしょう。

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