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『HiGH&LOW』無名街とスモーキーの話

この文章は、製作者の意図を探ることを目的としたものではありません。ともすれば偏見・色眼鏡とさえ呼べる、一個人の感想です。

 

『HiGH&LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION』がついに公開されました。先行試写で観てからというもの無名街とスモーキーに対する感情を拗らせに拗らせたので、これまでのツイートをひとつの記事にまとめてみることにしました。

 

この記事には『HiGH&LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION』およびそれ以前の『HiGH&LOW』シリーズのネタバレが含まれます。

 

 

ちなみに、わたしは2017年の8月にTwitterフォロワーの圧力に敗北し『THE RED RAIN』を観て、そこから劇場版とドラマシリーズをひととおり履修しただけのド新参者です。公式見解に反する部分も出てくるかもしれませんが、にわかの戯言ということでここはひとつよろしくお願いします。面白いインタビュー記事などがあったらぜひ知りたいです。

 

* * *

 

『HiGH&LOW』の大きなテーマのひとつが「大人と子供」です。これは九龍とSWORDを対比する形でドラマシリーズから重ね重ね描かれてきました。『THE MOVIE 3』では西郷の秘密や九龍の出自も明かされ、すこしずつ大人に近づいてゆく子供たちの姿を見ることができました。

 

山王連合会は「親の庇護下で愛される子供たち」でした。生きて子供を愛している親が描かれるのはSWORD内では山王連合会だけです。彼らは大人の庇護のもとで失敗を許されながら成長してゆきます。
一方RUDE BOYSは「親に捨てられた子供たち」です。彼らには彼らを守ってくれる大人がいません。彼らは山王連合会よりも遥かにシビアな世界を生きています。

(ちなみに雨宮兄弟は「親を奪われた子供たち」ですね。雨宮兄弟もとても好きです)

 

これを鮮やかに描き出しているのがドラマ1期8話です。レッドラムに関わっていたチハルは山王連合会の仲間に相談することで許される一方、家村会では一度の失敗さえ許されずノボルがリンチを受けます。また、8話は日向出獄の回でもあります。

迷いや過ちを許してくれて、帰りを待っている仲間がいる。そういう子供の世界と、人間ではなく手駒として評価されることでしか自分の居場所を存続できない大人の世界がはっきりと対比されています。

そして、そんな8話で同時に描かれるのは、無名街を追放されるシオンです。
シオンは仲間に嫌われたから居場所を失うのではありません。シオンはスモーキーを愛しているからこそ道を踏み外しました。そしてスモーキーもそれをわかっていて、シオンを生かしたまま逃がします。どのみち、彼はもう無名街では足がついてしまっていたために、生きてゆくにはそうする他ありません。スモーキーは、臓器を奪い殺すことこそしませんが、甘く馴れ合うこともしません。それでも、彼はシオンに静かに詫びるのです。
その光景をララは物陰から見ていました。ララもまたレッドラムに関与していましたが、それはスモーキーに露見していません。ララも一歩間違えばシオンと同じく無名街を追放されたことでしょう。彼らの違いはスモーキーにバレたかバレていないかだけです。ララはシオンの悪事の片棒を担ぐことの重みを理解していませんでした。その点で、彼女はチハルとまったく同じ立場にあります。しかしチハルは告白することで許され、ララは黙することで居場所を保持するのです。


彼らは山王連合会ほど甘い世界を生きているわけではありません。彼らは共同体を存続させるために掟を遵守しています。それは一見すると無慈悲ですが、それでもそこには確かに相手を思いやる愛があります。彼らは山王連合会とも家村会とも、すなわち正しい大人の庇護にある子供とも残酷な大人とも違う組織なのです。

 

RUDE BOYSは、誰からも愛されることなく世界に忘れられ透明になった子供たちが、互いに愛し合う互助組織です。
しかし、愛されなかった子供たちが集まったからといって、互いに愛し合うことは容易ではないでしょう。愛されたことのない人間が他者を愛することは困難な場合がしばしばです。愛し方がわかりませんし、そもそも他者を愛するためのエネルギーが欠乏しています。
無名街に捨てられた子供は、誰にも探してもらえず、見つけてもらえない子供です。大人に捨てられ世界に忘れられ、帰る場所のない迷子です。
スモーキーとララは同じ日に迷子になりました。しかしスモーキーは奇跡的にララを見つけたのです。ララはもう迷子ではありません。ララは見つけてもらえる子供になりました。そしてスモーキーは、ララを見つけることによって、自身もまた見つけてもらえる子供になったのです。
これから無名街で循環してゆく愛はこのとき生まれました。はじまりの果実はスモーキーとララの間に生まれたのです。

 

RUDE BOYSはしばしば「無名街の亡霊」と呼ばれます。それはおそらく、悪意を持って無名街に入ったが最後、物陰や上空から湧いてくるRUDE BOYSによって生きては帰れないということから来ているのでしょう。しかしその畏れを込めた通称は思わぬ形で正鵠を射ています。なぜなら彼らはみな無名街に捨てられていたあの日に死んでいたはずの子供たちだからです。

そんな彼らを救ったのはスモーキーなのでしょう。愛されないまま死んでゆくはずだった子供を、循環する愛の輪の一員にする。彼の所業はまさしく神です。虚弱で痩せぎすの青年は無名街の神様なのです。

 

スモーキーを神たらしめるものは他にもあります。
スモーキーは「愛することによって愛されることができる」ということを無名街の原初の体験として知っています。ですが、互助の愛を説き無名街の住人はみな家族だと宣うスモーキー自身は、無名街の家族が彼に与えたい物理的な愛、すなわち医療をやさしく拒みます。スモーキーと他のRUDE BOYSの関係は非対称であり、RUDE BOYS最大の歪みはスモーキーにあるのです。この構造こそがスモーキーをリーダーにしているのでしょう。彼はRUDE BOYSの始祖であり、恩寵を与える神なのです。

(2017.11.30:ここでいう神とは特定の宗教のそれを指すわけではありません。「自分を救ってくれた人」「自分を見つけてくれた人」は神様のようなものだと筆者は考えています)

RUDE BOYSは「無名街の守護神」とも呼ばれています。これはRUDE BOYSがスモーキーを敬愛していることとは関係なく、先述の「亡霊」と同じ経緯で発生した呼称なのでしょう。しかしそれによって、神を愛し神に愛される子供が外部から同じく神として扱われるという状況になっているのです。

 

「守護神」と「亡霊」。どちらも「人間」ではありません。
思い出されるのはドラマ1期6話です。無名街の子供を売ることで利益を得て無名街を出ていこうとした女性とその取引相手が、RUDE BOYSの制裁を受けます。このとき、家族を裏切った女性は問答無用で罰されましたが、取引相手の男性にはスモーキーから問いが与えられました。

 

(夢を叶える優秀な人間と叶えられない無能な人間の話)


「両者の共通点がわかるか」
「そんなもの存在するわけないだろう」
「生まれてきたということだ。夢が持てるということだ」
「笑わせるな。カスが夢を持ってなんになる」
「それがおまえの答えか。……だったらおまえは助からない」

 

『HiGH&LOW ~THE STORY OF S.W.O.R.D.~』シーズン1 Episode 6「RUDE BOYS」

 

 

男はなぜ許されなかったのか。それは無名街の住民を人間だと看做さなかったからです。RUDE BOYSはこれまでも彼のような人間と対峙してきたはずです。「無名街の守護神」「無名街の亡霊」という言葉からは畏怖の念が感じられますが、侮蔑的なニュアンスを含めて使う人間もすくなくないのでしょう。

このエピソードがRUDE BOYSの紹介として描かれた事実は恐ろしく強烈です。たとえ人間扱いされなくても、人間として夢見る資格を主張し、誰よりも高く翔ぶ。それこそがRUDE BOYSなのです。

 

『THE MOVIE 3』でスモーキーが最期に家族に告げた言葉は6話からまっすぐ繋がっています。

 

先述したとおり、スモーキーとRUDE BOYSの関係は非対称です。
そもそもなぜスモーキーは家族の差し出す金を受け取らなかったのでしょうか。おそらく彼が受け取ってしまえば、第二第三のシオンが生まれていたのだと思います。彼らは家族を深く愛していますが、家族を虐げるものに対しては極めて冷酷です。治外法権で生まれ育った彼らは、スモーキーのためなら法を犯し掟を破るのも厭わないことでしょう。スモーキーは自分のために家族の未来が奪われることを恐れていたのではないかと思います。

 

彼はRUDE BOYSに「自分たちはずっと誰かのために夢を見てきた。そうすることでしか生きてゆけなかった」「自分のために夢を見ろ」「無名街を出ても立派に生きてゆける」と語ります。

スモーキーはRUDE BOYSをはじめとする家族が自分のすこやかな生活を願っていることも、それが報われないことも知っていました。
自分のために生きるのは困難です。自分のために夢を見るということは、自分にそれだけの価値があるという自信を持つことです。望ましい大人のもとで自己肯定感を得られなかった人間にとっては、きっと容易ではないことでしょう。家族を愛することで生きてきた彼らが、自立して生きてゆけるよう、スモーキーは最期に永遠の承認を与えたのです。

 

「俺はおまえたちを誇りに思っている」
「なんだよ急に」
「だがおまえらはやりすぎる。忘れたのか。拳は大事なモン守るために使え」
「わかってるよ」
「またアツいこと言いはじめたぞ」
「俺はそのためなら迷いなく拳を使う。今までも、これからもだ」

 

『HiGH&LOW THE RED RAIN』

 

 

雨宮尊龍は去り際に弟たちへ向けてこのような言葉を遺しました。自分がいなくなった後も弟たちが立派にやっていけるように、承認と矜持を与えたのです。
スモーキーが遺したものも、きっと同じなのでしょう。

 

庇護してくれる存在を持たない彼らは、強固な掟に基づく相互扶助によって生きていました。おそらく無名街という「家族」はスモーキーからはじまったのでしょう。しかし無名街の終焉を察知したスモーキーは「家族」の役目は全うされたのだと告げます。巣立ちの時を静かに受け容れ、家族が誇り高く飛び続けられるように、正しい形で幕引きを図ったのです。

 

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(『HiGH&LOW THE MOVIE』より)

 

『THE MOVIE』では無名街がMIGHTY WARRIORSの手で燃やされました。このとき彼らはRUDE BOYSの旗の上に「CHANGE or DIE」と書き残しており、スモーキーはそれをじっと見つめていました。きっと彼はこのときから、無名街を正しく解散し家族を自立させることについて考えていたのでしょう。

 

この幕引きがきちんとできなかったのがMUGENの龍也です。
ドラマ2期からは、琥珀の家庭環境が望ましいものではなかったことが伺えます。琥珀は学校でもいじめられていました。彼は自分を承認してくれる共同体に所属したことがなかったのです。

龍也はそんな琥珀をフィジカルな面では救いますが、本質的な救済は行っていません。MUGENは琥珀にとってはじめて自分の居場所が認められる共同体でした。龍也は共同体と仲間を区別して考えていますが、琥珀はそれができません。龍也は親を喪っていますが、大人になることで自分の中の子供を救えるのだということも、そのための明確な方法も知っています。しかしはじめて自分を承認してくれた龍也がMUGENから退くことは、未だにインナーチャイルドを満たせていない琥珀にとって、裏切りとも言えるものでした。
龍也は常に正しいけれど、琥珀はまだ正しさを受け容れられるほど満たされてはいません。正しくあるためには強くなければいけません。琥珀はまだその強さを手にできていませんでした。龍也は琥珀の欠乏を理解できてはいなかったのだと思います。
たとえ自分の中の子供がまだ満たされていなくても、大人になるときは来てしまう。むしろ上手に大人になるというのは、自分の中の子供を上手に飼い慣らすということです。龍也はそれがわかっている人間でした。だから、みんながそれぞれの道を歩みはじめても、MUGENが解散したとしても、仲間はずっと仲間であることがわかっていたのです。琥珀も徐々にそれを理解しはじめていましたが、タイミング悪く九龍の手が伸びたために、龍也を喪い、九十九も昏睡状態に陥り、彼はバランスを欠いてしまいました。

琥珀は、まだ通常食が食べられないのに、離乳食を与えてくれる大人のいない子供のようなものでした。龍也は琥珀に離乳食を与えましたが、まだ琥珀が満たされていない段階で、彼に通常食を与えようとします。洋食屋になった龍也は、かつて琥珀に離乳食を与えていた自覚すらないのでしょう。龍也にとってMUGENは青春の一時代でしたが、琥珀にとってのMUGENは幼少期の欠乏を埋めるものでした。ということは、琥珀の求めるMUGENはRUDE BOYSに近い組織だったのです。

スモーキーは家族の欠乏を正しく理解していました。だからこそ、彼亡き後のRUDE BOYSは強く在り続けられたのです。

 

(2017.11.30:龍也は琥珀の欠乏を理解した上で自分にはそれが埋められないと感じて九十九に色々頼んだのだろうというツイートを読んでアア〜〜〜〜となったので追記させてください。九十九さん……)

 

『THE MOVIE』の琥珀と相似の構造にあるのは二階堂なのではないかと思います。
かつてMUGENはSWORDを統べていました。琥珀は自分がMUGENに固執したために龍也が死んだのだと考えています。彼の目的は九龍グループを潰すことにありますが、そのための手段としてSWORDを攻撃します。それは李の指示でもありますが、琥珀自身にもSWORDを消したいという感情があったのだと思います。
二階堂には無名街にいた過去があり、それを恥ずべきことだと捉えています。そして無名街を消さない限り己の過去も消えないと考え、無名街の爆破とスモーキーの殺害に関与します。

山王連合会は最初から仲間を待つための組織でした。しかしRUDE BOYSはそうではありません。スモーキーは、二階堂と分かり合えないことを、無名街がそんなやさしい世界ではないことをわかっています。琥珀は再び仲間を得ましたが、二階堂はスモーキーを殺しました。

 

スモーキーは無名街を愛の巡る楽園にしましたが、それでも壮絶な苦難に満ちた貧民街であったことは想像に難くありません。MIGHTY WARRIORSのICEは貧民街を地獄として育ちました。彼を救ったのは音楽とファッションです。彼は音楽とファッションで世界を変え理想郷を作ることを目的にしています。故郷を捨てて理想郷を作ろうとしているわけです。
RUDE BOYSもMIGHTY WARRIORSも、ある種の宗教(スモーキーの愛/音楽とファッション)によって救われようとする人々なのでしょう。無名街とリトルアジアのふたつの貧民街にもまた相似が見出だせるのです。

 

ICEは理想郷を作ろうとしましたが、『THE MOVIE 3』で雨宮広斗は「ここがスモーキーの天国なんだ」と言います。地獄を出て理想郷を作ろうとしたICEと、地獄を天国に
変えたスモーキーなのです。

 

「どうせ俺もおまえも地獄行きだろ だったら好きに生きる」
「そうだなあ けど おまえと俺は同じ地獄には行かねぇよ 大丈夫 広斗のことは兄貴が先に待っててくれるって」


(雅貴の胸ぐらを掴む広斗)


「おまえも一緒に落ちるんだよ 同じ地獄(とこ)にな」
「…もう そこ天国じゃん 俺には」

 

『HiGH&LOW g-sword』第13話「雨宮兄弟」

 

 

このくだりは『g-sword』を踏まえるとあまりにもヤバく……。「大切な家族と共にいる場所こそが天国」という文脈を、雨宮広斗は血の繋がらない兄から教わる形で既に知っているのです。
雨宮広斗は兄の情報を得るためにしばしばスモーキーにコンタクトを取っていました。血の繋がらない兄を持つ弟が、血の繋がらない妹を持つ兄の心を語ったのです。『HiGH&LOW』は言葉で語り過ぎることのない作品だと感じていました。だからこそ、彼の言葉はとても重く響きました。

 

 

「わたしの涙は、お兄ちゃんが拭ってくれた。お兄ちゃんは、いつ泣いてたの?」

 

『HiGH&LOW ~THE STORY OF S.W.O.R.D.~』シーズン2 Episode 9

 

ララの疑問はずっと解消されていないままでしたが、『THE MOVIE 3』で雨宮広斗の口から語られた「無名街がスモーキーの天国」というのはそれに対するアンサーなのだと思います。彼はしあわせだったのです。

スモーキーは家族のために生きていました。しかし誰よりその家族に彼自身が救われていたのでしょう。彼は無名街の神様でした。彼は彼の家族を永遠にひとりぼっちにしません。みんな、ずっと一緒だから。


無名街という天国と彼の最高の人生に祈りを捧げてこの文章を終わります。

 

* * *

 

最後に。無名街が好きな人間は『輪るピングドラム』の「子どもブロイラー」と出会ってください。

 

輪るピングドラム
http://penguindrum.jp/