ゲーマー日日新聞

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【考察】『Undertale』は本当に優しいゲームなのか

 

 

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本作には『Undertale』全ルートのネタバレがあります。

 

去年にインディーズながら国内外で大ヒットした『Undertale』。極めて精巧な作り込みと、ユニークなデザイン、そしてハートフルなストーリーが、人種や性別を超えて人々に受け入れられたと考えられる。

そう、ハートフルなストーリー。確かに二次創作の絵や動画には、優しく愉快なキャラクターたちが楽しく過ごす作品が多数公開されている。およそ、多くの人々がそんな「前評判」をもとに、モンスターたちは善良で必ず仲良く「なるべき」、つまりPルートに辿り着くべきだと思ったのではないだろうか。

だが、私が以前批評で語ったように、本作『Undertale』最大の魅力は、プレイヤーの多様性を受け入れ反映したことだと思う。どんな邪悪な人間も、どんな善良な人間も、犬好き猫好きも、あらゆる価値観のプレイヤーを想定して、全員に楽しんでもらうよう作ってある作品だ。そこで、ズバリ『Undertale』に出てくるモンスター共は、優しい存在などではないと私は思う。

それを踏まえて、『Undertale』における「平和主義ルート」は一体何を伝えようするものだったのか、ネタバレ全開で考察させて欲しい。

 

1周目の『Undertale』はそんなに面白くない

唐突だが、私が『Undertale』を初見で遊んだ時の思い出を語りたい。

当初は発売して間もなく日本語化MODもない頃で、敬愛するゲーム動画投稿者”dunkey”が絶賛しているのをキッカケに、乏しい語学力を駆使して遊んだ。

そんな私が歩んだ一周目は、血みどろの物語だった。言われるがままTorielを撃破した後は、無害そうな中ボスとPapyrusを除いて全員灰にしてしまったのだ。当然、sansによる審判の時。当然ながらボロクソに文句言われてしまった。

その一方で、正当防衛で殺されるべくして殺された奴もいたと反論したかったし、一部のモンスターは仲良くしようと思える魅力も感じなかった。それは一見して、このゲームの「作り込みの甘さ」に思えたのだった。

しかし、2周目、3周目と遊ぶうちに、明確に意見が変わった。なるほど、モンスターたちは決して魅力がなかったわけでなく、多様な価値観を持っていただけなのだと気付いたからだ。

 

 

モンスターは決して優しくない

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『Undertale』は大変簡潔なOPから物語が始まる。

「遠い昔、地球は人間とモンスターが治めていました。

ある日、人間とモンスターの間で争いが起きました。

長い戦いの末、人間たちは戦いに勝ち・・・ モンスターたちは魔法で地下に封印されてしまいました。

そして長い年月が流れ・・・」

まずここで確認したいのが、基本的にこの世界は我々の知る世界と異なる、「モンスターと人間が生息する遠い昔」の世界で、人間とモンスターが過去に戦争をした遺恨があるということ。

更に時系列を進めると、その戦争で敗北したモンスターは地下へ封印され、そこから紆余曲折の末、モンスターはAsrielを、人間は落下した人間6人を殺され、最高の両陣営の緊張が高まった時点で、主人公が山に落ちた事がわかる。

 

この辺りがサラッと、断片的に語られるため見失い易いが、結局のところ人間とモンスターは長年に渡る戦争を継続しており、大変ピリピリした関係であることを踏まえたい。

そこで、本題の「本当にモンスターは優しいか」という点を考察したい。

当然、全く優しくない。まず、作中の殆どのモンスターは殺意剥き出しで殺しに来る。それは最初に出てくる最弱クラスのfroggieですら例外ではない。特にAsgoreに忠誠を誓うRoyal Guard隊長のUndyneに至っては、執拗に襲撃する等、作中屈指の強敵として描かれる。

 

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一方、例外も出てくる。メインキャラクターではTorielとPupyrusだ。両者共に強制的に戦闘するものの、前者は瀕死の状態ではわざと攻撃を外すようになり、後者は倒した後も鍵のかかっていない小屋に閉じ込めるだけだ。

そう、この2人は特別なのである。本来は最初にFloweyが言ったように、「Kill of Killed」の世界だが、特にTorielはその考えに真っ向から反対し、主人公に(LoVEでなく)愛を信じて欲しいと訴えかける。

Papyrusも重要なキャラクターだ。背の高い骸骨と、モンスターの代表と言わんばかりの雄々しい出で立ちだが、その精神は誰よりも高潔で、真の友情を信じる男だ。決して主人公にトドメを刺すことはなく、またGルートでは最後まで主人公の良心を信じる唯一の人物でもある。

 

「それでも」赦す

そうした善意に満ちたPapyrusやTorielの傍で、必ずしもプレイヤーに気に入られると限らないキャラクターは存在する。

 

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それは、明確に殺意を剥き出しにした半魚人のモンスター、Undyneだろう。彼女は「人間のソウル」を奪うため、最初から会話もなく主人公を襲撃するのだ。彼女を殺害することは、客観的に見ても正当防衛の範疇と言わざるをえない。

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そして、あの母性の塊であるTorielですら呆れたモンスターの王Asgore。彼は道中でモンスターが主人公を襲う命令を下した張本人であり、また道中で彼の犠牲になったであろう、過去の人間の装備を拾う過程においても、情状酌量の余地なしの人間の敵である。

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また少しイレギュラーな存在、Alphys。彼女は一見仲間を装っておいて、ロボットを介して襲撃させるなどマッチポンプを企てる、モンスターの中でも随一の小心者だ。彼女は「悪」というより「弱さ」が強調されており、それはTrue Labにおける非道な人体実験が彼女の精神に影を落としていることに起因している。

 

 

さて、これを読んでる方々は、1周目で彼らをどう対応しただろうか。寛容さを見せて逃してやった人もいれば、情け容赦なくバッサリ斬った人もいるかもしれない(私)。

だがハッキリ言えることは、明らかにこの3者に関しては「敵」として、プレイヤーに殺されるよう作られたのではないか、ということ。TorielやPapyrusを素で殺す人は、余程の疑心暗鬼かこのゲームを『DOOM』と勘違いした人ぐらいだろうが、Undyne、Asgore、Alphysに関しては明確に主人公と敵対する理由があり、逆に彼らは「Gルート」の主人公に近い残酷なモンスターだ。*1

そして本作の物語が最も優れているのが、その「客観性」なのである。仲良くなる「Mercy」という機能があるからといって、モンスターが必ずしも善良とは限らない。決して「白人=悪、インディアン=善」と描く白人酋長のハリウッド大作と異なり、あくまでインディアンにも良い奴悪い奴はいて、その善悪を決めるのはプレイヤーによるもの、という客観性が重視されているからだ。

 

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そして、こうした事情を踏まえることで、本作の醍醐味である「Pルート」、つまりキャッチフレーズ通り誰も殺さずにクリアする意義が見えてくる。

Pルートでプレイヤーに求められるものは、Lv1で攻略するプレイヤースキルでなく、モンスターたちの過ちや怒りを理解し、受け止め、共に乗り越える、「心の強さ」だ。誰もがTorielやPapyrusのように優しくはない、それでも仲良く出来る器の大きさが問われている。

Pルートでのみ訪れる「True Lab」は、正しくその強い心が試される。ここで登場するのは、人体実験により醜悪な姿となったAmalgamたち。彼らでさえプレイヤーは愛せるのか試される。

だが、そんな彼らを説得した時こそ、他のどのモンスターよりも「愛された」喜びを見せるのは、あまりにも儚い瞬間だ。

 

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こうした上で訪れるフィナーレが、本作随一のゲス野郎ことFloweyとの最終決戦だ。AsgoreやUndyneも、話せば彼らなりの事情があることが理解できる。だがFloweyは純度100%の悪そのもの。さすがに彼は説得できないかに思えた。

だが、その正体は、最初に人間の凶刃に斃れたAsrielだった。彼は決して人を憎まなかったが、実験によりソウルを失った身体で、誰も愛することが出来なくなった。

主人公はまず、Asrielによってソウルを奪われた仲間たちを再び説得する。その誰もが、主人公に後ろめたいものがあった。だがかつて主人公がそうしたように、再び彼らを赦す(SAVEする)ことで、彼らはソウルを取り戻した。

そして、最後にAsirielを対面する。そこで明らかとなったのは、実は他のどのモンスターよりも、Asrielが主人公を愛していた事実だった。自分を理解し対等に渡り合える唯一の人間、彼に「クリア」して欲しくなかった、ゲームに飽きて欲しくなかった。ここまで主人公を追い詰めるのは、その歪んだ「愛」そのものだったのだ。

そして、主人公が敵対していたモンスターたちを赦すことで、多様な価値観を持っていたモンスターたちも、人間への信頼という共通の決意を抱くことで、遂に結界は破壊され、モンスターたちは自由となるのだった。

 

あらゆるプレイヤーの意志を尊重する名作

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最後のAsirelとの戦闘が、作中屈指の名シーンとして語られるのは、その壮大なBGM*2美しい演出に限った話ではない。

善良なモンスター、悪意のあるモンスター、彼らを分け隔てなく「赦す」人間の強さを取り戻し、それが善意(ソウル)を完全に失ったはずのAsirelでさえ、SAVEする物語にある。

『Undertale』は純粋に優しい物語ではなく、誰もが人間を歓迎するユートピアでもない。人間を憎み、人間に傷付けられたモンスターもいる。こうした多様な背景を持つキャラクターをゲームに盛り込んだ点が、本作の醍醐味だ。

 

その一方、『Undertale』のもう一つ優れた点は、プレイヤーもまた多様であるべき、という姿勢でゲームに作った点だ。

実際プレイヤーは試される。自分を襲い来る「敵」を、あなたは赦せるだろうかと。色々な価値観を持つモンスターたち全てを、分け隔てなく愛せるだろうかと。

実際それは難しい。だから、気に入らないモンスターを殺してもゲームはクリア出来る。むしろ腹立たしくて仕方ないなら、Gルートで虐殺する選択肢さえ用意されているのだから、Toby Foxの視野の広さに恐れ入る。

つまり、モンスターを殺戮するプレイヤーもまた正しい。必ずしもモンスターを赦す必要はないのである。

 

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最近のゲームでは、プレイヤーのために、様々なオプションを用意することを「自由度」と言って評価する傾向にある。だが本当に自由度を測ることは大変難しい。

凡百のRPGのように、仮に色々な選択肢を用意しても、中身は異なる価値観など入っていない空虚なものだし、一方で中身をしっかり詰め込んでも、今度は登場人物や世界観が偏りすぎて、感情移入できなくなってしまう。

『Undertale』は、こうしたコンフリクトを見事解決し、プレイヤーの価値観や思想をあらゆる角度で試し、反映する機会を設けることによって、従来のゲームでは殆どなかったストーリーテリングを極めて高い水準で完成させたと言えるだろう。

 

 

 

*1:とは言え、Torielが指摘するように本心ではAsgoreは人間の死を願っておらず、山に人が落ちないことを願っていたり、Undyneもそんな王の心中を察して、人間狩り政策が必ずしも正しいと思ってない辺り、本当にこのゲームのキャラクターは造詣が深い。特にUndyneはGルートに置いて、真の英雄として力を取り戻す辺りは最高に皮肉が効いている。

*2:ここまで16bit調だったのが作中唯一のオーケストラ仕様になる変化とか