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【講演】マクロプルーデンス政策の新たなフロンティア―銀行の低収益性と銀行間競争への対応―時事通信社「金融懇話会」での講演

日本銀行副総裁 中曽 宏
2017年11月29日

1.はじめに

今から20年前の1997年は日本の金融危機がクライマックスを迎えていました。同年11月には、僅かひと月のうちに大手を含む4先もの金融機関が連続破綻し、後に「魔の11月(Dark November)」と呼ばれるようになりました1。日本の金融システムが「メルトダウン」に最も近付いた時期であったと鮮明に記憶しています。当時は、現在と異なり、金融システム安定のための包括的なセーフティネットが未整備であったことから、いわゆる「特融」の発動を含め、日本銀行の金融システム安定化政策に過大な負担がかかりました。金融システムの崩壊はかろうじて回避しましたが、約2,000億円にのぼる特融が回収不能になりました。こうした1990年代のバブル崩壊期の苦い経験を踏まえ、その後、わが国のセーフティネットは格段に整備が進み、今日では、預金取扱金融機関だけではなく、証券会社、保険会社、金融持株会社等の破綻からも金融システムの安定を護る仕組みが構築されています。

このように、わが国では、金融危機を契機に危機対応策が拡充されましたが、同時に金融不均衡の蓄積を察知し金融危機の顕現化を未然に回避する政策の重要性も認識されるようになりました。金融システムの安定性を維持するには、個別金融機関の抱えるリスクを把握し経営の改善を促すといったミクロプルーデンスの視点だけでは必ずしも十分ではありません。実体経済と金融市場、金融機関行動の相互連関なども意識して、金融システムを全体として捉えてリスクの所在を分析評価するマクロプルーデンスの視点も踏まえた対応が重要になります。こうしたマクロプルーデンス政策の重要性は、日本の金融危機から約10年を経たのち世界を震撼させることになったグローバル金融危機の中で国際的にも広く認識されるようになりました。本日は、これまでの日本銀行の経験と近年における本邦金融機関を取り巻く環境を踏まえながら、マクロプルーデンス政策の現状と課題についてお話ししたいと思います。

金融危機はいつも同じ姿形をして現れるわけではなく、その時々の金融経済環境に応じて危機の芽が変装して潜んでいる可能性に注意する必要があります。そうした金融面での潜在的脆弱性をマクロプルーデンスの視点から的確に分析評価し、必要な対応策をとることが重要です。それが従来の基準では異例であったり、非伝統的なものであっても、金融システムの安定性を確保するうえで不可欠なものであれば、適切に対応していかねばなりません。

現状、わが国の金融システムは安定性を維持していますが、潜在的な脆弱性を孕んでいることに注意する必要があると考えています。それが本日お話する、地域金融機関を中心とする銀行の低収益性と銀行間競争の問題です。これには人口や企業数の減少という日本の構造問題が深く絡んでおり、先進国にとってこれまで経験したことのない事象です(図表1)。その意味で、人口や企業数の減少に起因した銀行の低収益性や競争激化の影響は、まさに従来とは異なる姿形をした金融脆弱性です。地域金融機関が地域経済を支える重要な役割を今後とも果たしていくためには、この問題に適切に対処していくことが必要です。また、私たちとしても、プルーデンス政策の新たなフロンティアを自らの手で切り拓いていく必要があります。

  1. 1997年11月に、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券、徳陽シティ銀行の4先が相次いで経営破綻に陥りました。

2.システミックリスクの評価

わが国が抱える潜在的な金融脆弱性について具体的に説明する前に、まずは、マクロプルーデンス政策について整理しておきたいと思います。

金融循環の振幅が大きくなったり、多くの金融機関が共通のリスク・エクスポージャーや債権債務関係を通して相互の連関性を強めると、金融システム内部にシステミックリスクが発生・伝播していくことになります。マクロプルーデンス政策の目的は、金融システムの強靭性を強め、システミックリスクを抑制することにあります。

マクロプルーデンス政策を実施していくうえでは、まず、システミックリスクの評価が出発点となります。具体的には、主に2つの点について評価します。第一に、金融循環の評価です。現状、循環の上昇局面にあるのか下降局面にあるのか判断するとともに、先行きの見通しを考えます。第二に、システミックリスクの発生源、すなわち潜在的な金融脆弱性を特定し、金融システムのストレス耐性を診断します。例えば、ストレス発生の影響に対して金融機関の自己資本や流動性が十分あるかどうかについて、ストレステストを行います。

金融循環の評価とストレステストの結果

日本銀行は、システミックリスクの評価内容について、金融システムレポート(FSR)を通して定期的に――半年ごとに――公表しています。まず、第一の評価項目である金融循環の局面については、現状、企業や家計の資金調達環境はきわめて緩和した状態にありますが、全体として金融経済活動において行き過ぎた動きはみられません。銀行の貸出スタンスが非常に積極的な状況のもと、不動産市場においては一部に過熱感がみられていますが、主要な金融活動指標の動きから推計した金融循環をみると、足もとにおいて大きな不均衡は確認されません(図表2)2

次に、第二の評価項目である金融システムのストレス耐性については、リーマンショックのようなテールイベントが発生しても、金融機関は規制水準を上回る自己資本を全体として維持できることをストレステストによって確認しています。近年、地域金融機関は不動産向け投融資を増やすなどリスクテイクを進めてきましたが、現在の不動産関連市況が2006~07年にかけての不動産ブーム期ほどには上昇していないこともあって、不動産市場に負のショックが発生しても、マクロプルーデンスの観点からは、金融システムに与える影響は限定的であると考えています3

つまり、金融循環の山が高くないため、仮に反転下降しても、谷は深くはならないことが予想され、また、仮にリーマンショック時のように谷が深くなったとしても、金融機関はそのストレスに堪え得るだけの資本を確保しています。したがって、現状において、大規模なシステミックリスクに発展するような懸念はなく、日本の金融システムは安定性を維持していると判断しています。

  1. 2図表2を詳しくみると、1980年代後半のバブル期には、金融面での拡張が景気の拡大につながり、1990年代前半のバブル崩壊期では、金融面での収縮が景気の悪化をもたらしています。その後は、企業や金融機関のバランスシート調整が続く中――すなわち、金融循環において停滞局面が続くもとで――、景気は一時的に回復しても短命に終わるというパターンが続きました。2000年代に入り、企業の過剰債務の調整と銀行の不良債権処理が一段落し、金融循環が回復局面に入ると、景気の回復期間も長く続きました。その後、リーマンショックの発生により、景気は大きく悪化しましたが、金融面で大きな不均衡を溜め込んでいなかったこともあり、景気は比較的早く立ち直りました。
  2. 3 詳しくは、FSR(2017年4月号第V章)を参照。

株式市場からの警鐘

しかし、将来にわたって金融システムの安定性を維持し続けることができるかどうかということになると、その保証はありません。この点に関して、株式市場は重要なシグナルを私たちに送っているようにみえます。株価変動をもとに推計された金融機関の予想デフォルト確率をみると4、地域銀行を中心に近年上昇しています(図表3)。短期の予想デフォルト確率は、2016年初の日本銀行のマイナス金利導入時に上昇するなどの振れを伴いつつ、概ね同じような水準で推移していますが、中長期の予想デフォルト確率は、マイナス金利の導入や2013年の量的・質的金融緩和の導入以前からじりじりと上昇しています。

では、地域金融機関は、金融システムの安定性を脅かすほどのシステミックリスクを引き起こし得る存在なのでしょうか。わが国では、G-SIB(Global Systemically Important Banks)あるいはD-SIB(Domestic Systemically Important Banks)のいずれにも、地域金融機関は指定されていません。しかしながら、地域金融機関が個々のベースにおいてシステム上大きな存在(individually systemic institutions)ではないとしても、多くが共通のリスク・エクスポージャーを抱え同じ行動パターンをとる場合には、地域金融機関全体でみると一つの巨大銀行と同じようにシステム上重要な存在(systemic as a herd)となり得ます。マクロプルーデンスの視点からは、地域金融機関を全体として捉え、各金融機関の行動パターンの類似性がシステミックリスクにつながることがないか注意していくことが重要です。

かつて1990年代の日本の金融危機では、信用金庫や信用組合を含め180先近い中小金融機関が破綻しました。そうした先は個々にはシステム上大きな存在ではありませんでしたが、不動産関連向け融資を通じた共通のリスク・エクスポージャーを抱えていたため、一つの先が破綻した場合に他の先にも破綻リスクがあるとの連想から預金取付けが連鎖するシステミックリスクがあると認識されていました。こうしたリスクの顕現化を防ぐ観点から、政府は預金を含む「全債務保護」の方針を明確にし、日本銀行もこれを前提に破綻に瀕した個別金融機関に対し信用秩序を維持するための貸し出し(いわゆる特融)を実行しました5

こうした経験がプルーデンス政策について問いかけている重要な点は、将来何等かのストレスが加わった時に、ある特定の金融機関における経営の不安定化に止まるのか、それとも、共通のエクスポージャーを抱えた多くの金融機関の経営が同時に(あるいは連鎖的に)不安定化するのかということです。前者であれば、経営が不安定化した金融機関を金融システムから切り離すことで対応できますが、後者の場合には、金融システム全体に影響が及び、システミックリスクに発展する懸念があります。この点に関しても、株式市場は重要なシグナルを発しています。地域銀行の株式時価総額の変動をもとに、代表的なシステミックリスク指標(CoVaR)を計測すると6、銀行間のストレスの連動性の高まりを背景に、近年上昇傾向にあることが確認できます(図表4)。つまり、株式市場から抽出される指標は、共通のエクスポージャーを抱えた多くの地域金融機関の経営が同時に不安定化する可能性があることを示唆しているのです。

もちろん、予想デフォルト確率やシステミックリスク指標が上昇しているといっても、地域金融機関は、現時点において資本も流動性も十分に有しているため、金融システムの安定性が直ちに損なわれるような状況にはありません。このことは、先ほど説明したように、私どものストレステストからも裏付けられます。では、ストレステストの結果と市場のシグナルの違いをどう理解すればよいでしょうか。ストレステストの結果は、わが国の金融システムがリーマンショックのような「急性ストレス」に対して耐性を備えていることを示しています。しかし、多くの金融機関の収益に対して「慢性ストレス」が共通にかかり続ける場合には、現時点における自己資本が十分であっても、将来における金融システムの安定性を必ずしも保証しません。共通の慢性ストレスによって、資本コストに見合うリターンを確保できない状況が長く続けば、共通のエクスポージャーを抱えた金融機関の多くが、同時に(連鎖的に)自己資本を棄損していく可能性も排除できません。PBRが1倍を割り込んでいることも含め(図表3)7、株式市場はそうした「慢性的な共通ストレス」の影響に警鐘を鳴らしているものと考えられます。

  1. 4Moody's の予想デフォルト確率は、企業の株価情報をもとに、一定期間中に資産の市場価値が支払債務を下回る確率を算出したものです。
  2. 5具体的には、日本銀行は問題金融機関の預金払い戻しに充当するための資金を特融で供給し、破綻後に(1996年に改正された預金保険法に基づき)預金保険機構から当該金融機関に対して行われる資金援助により特融を全額回収しました。特融は通常無担保でしたが、このような仕組みのもとで、日本銀行は預金取扱い金融機関に対する特融において信用リスクを負うことはありませんでした(一方、証券会社に対する特融や資本性資金の供与においては信用コストが発生しました)。
  3. 6CoVaRとは、個別金融機関が直面するストレスの大きさと、それらのストレスの連動性という2つの要素によって、金融システムが直面するリスクの大きさを株式市場のデータを用いて計測したものです。
  4. 7株式益回りモデルを前提にすると、ある単純化のもとで、「PBR=ROE÷COE(資本コスト)」という関係が導かれます。PBRの1倍割れは、「銀行が資本コストを上回るだけのリターンを先行きにおいて生み出すことができない」と株式市場の参加者が予想していることを示しています。

3.地域金融機関の低収益性の背景

地域金融機関の収益を下押しする「慢性的な共通ストレス」の正体を明らかにする前に、まず金融機関の収益構造の特徴について整理しておきます。

金融機関の収益力の国際比較

近年における金融機関の収益低下は、日本だけではなく、低金利環境が続く先進国において概ね共通にみられる現象です。しかし、そうした中でも本邦金融機関の収益は国際的にみて低さが目立ちます(図表5)。特に地域金融機関においては、米欧の同規模の金融機関に比べ、従業員一人当たりの業務粗利益も低くなっています。こうした収益性の低さには、金利動向に左右される資金利益だけではなく、それに左右されにくい非資金利益が少ないことも大きく関係しています8

2000年代以降、本邦金融機関は収益源の多様化を企図して手数料ビジネスの拡充に取り組んできましたが、それでもなお、非資金利益が業務粗利益に占める割合(非資金利益比率)は国際的にみて総じて低い状況にあります(図表6)。規模別にみると、大手金融グループは米国大手並みの水準を確保していますが、地域金融機関の非資金利益比率は10%前後の水準にあり、同規模の米欧金融機関に比べてかなり低くなっています。

米欧金融機関においては、サービス内容を顧客の属性や嗜好に応じてきめ細かく設定し、様々な手数料を得る機会を増やしており、非金利収入が重要な収益源となっています。例えば、欧州では、デビットカードやクレジットカードの発行・利用料、富裕層向けのソリューション・サービスの手数料を収益源として確保しているほか、インターネットバンキングの普及につれて、書面による残高報告などのサービスを順次有料化しています。また、米国では、企業のアウトソース・ニーズとマッチした企業向けの資金管理サービスが有料サービスとして確立しています。一方、わが国では、口座維持にかかるサービスなど、銀行にとって相応にコストのかかる金融サービスを無料で提供している例がみられます。

こうした内外における金融関連サービスの手数料設定スタンスの違いは、家計消費支出の構成比にも明確に表れています。各国の消費者物価指数(CPI)の構成比をみると、日本の金融サービスのウエイトは、米欧に比べて著しく低くなっています(図表7)。さらに、米欧諸国の金融サービス価格が年率約2%のペースで上昇しているのとは対照的に、日本の金融サービス価格は、長期にわたって横ばい圏内で推移しています。このことは、家計からの手数料収入が、米欧の金融機関にとって安定的な収益源になっているのに対し、本邦金融機関ではそうした収益源を欠くことを意味しています。

  1. 8資金利益とは、貸付利息や有価証券利息など資金運用で得た収益から預金利息など資金調達に要した費用を差し引いたものです。一方、非資金利益とは、為替業務や預金貸出業務、証券業務など銀行が提供するサービスの対価として受け取った手数料等の収益から、他の銀行に支払った手数料等の費用を差し引いたもの(役務取引等利益)などからなります。

銀行間競争の激化

本邦金融機関の従業員一人当たりの業務粗利益が米欧に比べ低く、かつ、その内訳において、資金利益だけではなく、金利環境に左右されにくい非資金利益も低いことを指摘しました(図表5)。この事実は、本邦金融機関の低収益性には、低金利継続の影響だけではなく、他の何らかの構造要因が影響している可能性を示唆しています。具体的には、金融機関間の競争が長きにわたって厳しい状況が続いていることが、その一因と考えられます。金融サービスの提供窓口となる金融機関の店舗数について国際比較を行うと(図表8)、日本は人口当たりの店舗数が比較的少ないですが、銀行代理業を営む郵便局数まで含めると、オーバーバンキングの事例国としてしばしば指摘される欧州の一部の国々とほぼ同水準となります9。また、可住地面積当たりの金融機関店舗数をみると、日本は突出して多くなっています。もちろん、これには日本の人口密度の高さも影響していますが、狭い国土に銀行店舗が密集すれば、家計や企業にとって店舗の選択肢が増えるため、それだけ店舗間の競争も激しくなりやすいと考えられます10

特に、預金吸収の面では、日本の金融機関は、戦前から近年に至るまで、郵便貯金も含めて互いに激しい競争を繰り広げてきました。金利が規制されていた頃は十分な預貸スプレッドが確保されていたことから、民間金融機関にとっては、店舗を増やし預金をできるだけ多く集めることが、利益拡大に直結する合理的な行動でした。このため、郵便貯金との競合という環境もあって、民間金融機関が預金関連手数料を徴求するという戦略はとり難かったと考えられます。また、金利自由化や低金利環境を背景に預貸スプレッドが縮小した後も、金融機関間の厳しい競争環境が続き、自行のみが手数料をとれば預金が他行や郵便局に流出する可能性が強く意識され続けたことから、預金関連手数料を課さないことを前提としたビジネスモデルが金融機関の間で維持されてきたと考えられます。このように、非金利収入が少なく金融機関の収益が資金利益に大きく依存する状況において、人口減少や企業数の減少が金融機関の貸出競争に拍車をかける要因として作用し、これが資金利益を下押しする構造を産み出してきたと考えられます。

要するに、地域金融機関の収益を下押しする「慢性的な共通ストレス」の正体とは、金融機関間の競争が非常に厳しいもとで発生した、全国ほぼ全てのエリアでの人口や企業数の継続的な減少です(図表1)。私どもの推計によれば、地域金融機関の過去10年間の預貸利鞘の低下には、金融緩和による市場金利の低下に加え、人口減少などの構造要因が相応に影響しています(図表9)11。先行き10年間の予測については、市場金利のパス次第で利鞘の水準は変わりますが、人口減少などの慢性ストレスは利鞘を下押しし続けることが見込まれます。すなわち、市場金利が上昇しそれに伴って調達コストが上昇した場合でも、慢性ストレスによる競争激化から貸出金利の引き上げが十分進まず、預貸利鞘がさほど改善しないという状況が起こり得るということです。

  1. 9欧州のオーバーバンキングについては、次の資料を参照。European Systemic Risk Board, "Is Europe Overbanked?" June 2014.
  2. 10詳しくは、FSR(2017年10月号第VI章)を参照。
  3. 11市場金利の低下には、金融緩和の影響だけではなく、人口動態の変化に伴う自然利子率の低下も寄与しています。この点も含めて考えると、金融機関の預貸利鞘の長期的な低下傾向には、人口減少などの慢性ストレスがより大きく影響している可能性があります。

4.銀行間競争とマクロプルーデンス

このように地域の人口・営業基盤の縮小など構造的に経営環境が変化する中で、金融機関の低収益性の問題はより厳しいものになることが見込まれます。これが金融システムにどのような影響を及ぼし得るのかを改めて整理したいと思います。

金融システムの安定性に与える影響

金融機関間の競争激化の構造的要因である人口や企業数の減少は、一部のエリアで発生した個別ショック(idiosyncratic shock)ではなく、全国共通にみられるショック(common shock)です(図表1)。また、この共通ショックは、短期的な性質のものではなく、将来にわたって継続することが見込まれています。そうした慢性ストレスが地域金融機関の収益を下押しし続ければ、金融機関が過度なリスクテイクに走る可能性が次第に高まっていきます。例えば、十分なリスク管理を行わないまま、有価証券投資などで市場リスクをとったり、あるいは貸出において過度に信用リスクをとる――すなわち、信用コストを十分にカバーできない金利で信用供与を行う――ことなどが考えられます。

現状において、地域金融機関は自己資本対比でみて過度な市場リスクや信用リスクをとっているわけではありません12。しかし、慢性ストレスが将来どのような影響を及ぼすかが問題であり、株式市場の警鐘もそこにあると考えられます。特に、地域金融機関は、大手行や米欧の金融機関に比べ貸出取引に付随する非金利サービスの提供が限定的であるため(図表6)、貸出取引の差別化の度合いが低く、金利面での競争に走りがちと考えられます。実際、金融機関の貸出スタンスをみると、バブル期以来の積極性を示す一方、貸出利鞘は、銀行間競争が激化するもとで計画対比下振れする傾向が続いています(図表10)。つまり、人口や企業数の減少という慢性ストレスにより借入需要が伸び悩むなか、金融機関は貸出競争による資金利益の減少という共通エクスポージャー(common exposure)を抱え込むようになっています。

さきほど、地域銀行のシステミックリスク指標(CoVaR)がストレス連動性の高まりから近年上昇していることを指摘しましたが(図表4)、その背景にあるのが、こうした競争激化による共通エクスポージャーの拡大の影響だと考えられます13。個々の地域金融機関は、その多くがシステム上大きな存在(individually systemic institutions)では必ずしもありませんが、地域銀行と信用金庫、信用組合は合計で500先以上あり、それらが企業数や人口の減少という慢性的な共通ショックに直面し、競争激化による資金利益の減少という共通エクスポージャーを抱えています。つまり、地域金融機関は全体でみるとシステム上重要な存在(systemic as a herd)であり、地域金融機関が共通して直面する慢性ストレスは、競争激化を通して、金融システムの安定性に大きな影響を与え得るのです。

  1. 12詳しくは、FSR(2017年10月号第IV章)を参照。
  2. 13先月公表した金融システムレポートでは、地域金融機関間の競争激化がシステミックリスクを高める要因になっていることを実証的に示しています。詳しくは、FSR(2017年10月号BOX3)を参照。

金融システムの効率性に与える影響

慢性的な共通ストレスは、金融システムの安定性だけではなく効率性にも影響を与える可能性があります。企業数が減少する中での金融機関間の競争激化は、金融機関と企業の取引関係に影響を及ぼし始めています。各金融機関の顧客企業に関して、自行を含め何先の金融機関と取引を行っているかその平均値をみると、増加傾向にあることがわかります(図表11)。営業エリア内の企業数が減少する中で、金融機関が新たな取引機会を求めて法人営業を強化してきた結果、各企業の取引金融機関数が増えたとみられます。

企業は取引金融機関数が増えることによって、より有利な貸出条件を引き出すことができるようになったと考えられます。しかし、企業が銀行借入を行う際に、これまでの取引履歴や企業支援力にかかわらず複数の取引金融機関の中から貸出金利の一番低い銀行を選択することが常態化すれば、企業とメインバンクの間の取引関係が弱まり、金融仲介の効率性が低下する可能性があります。

リレーションシップ・バンキングのもとでは、金融機関は、長期的な取引関係を通して顧客企業をモニタリングすることにより、経営者の資質や事業の将来性といった定量化しにくい「ソフト情報」を蓄積し、この情報に基づいて貸出をはじめとする金融サービスを提供することができます。こうしたリレーションシップ・バンキングには、次の2つのメリットがあると指摘されています。一つ目は、金融機関が企業の将来価値を正確に認識することで、優れた投資プロジェクトの実行を後押しする一方、非効率な投資プロジェクトを抑制する効果があることです。二つ目は、企業が何らかの外的ショックにより資金繰り難に陥った場合、その企業の将来性をよく知る金融機関は流動性支援を行うことが出来る――企業からみれば、相応の借入金利を支払うことによって流動性の「保険」を購入する――という効果があることです。これらは、いずれも経済全体でみた資金の効率的な配分に寄与します。しかし、金融機関間の競争激化により貸出スプレッドが過度に縮小していくと、金融機関は次第に経営者の資質や事業の将来性の見極めといったコストのかかる情報生産活動を行うインセンティブを失っていくと考えられます。金融機関が取引企業に関する情報を十分に持たない場合、貸出資金が非効率な投資活動に使われてしまうかもしれません。また、金融機関は、ストレスに直面した企業に対して自らのリスクで融資を行うことに慎重になるでしょう。このように金融機関の情報生産力の弱体化が進むと、金融機関は中小企業向け融資にはできるだけ信用保証協会の保証を付すようになり、信用リスクを公的部門に転嫁するインセンティブを高めることになるかもしれません14

一方、企業においても、平時には安い貸出金利を提供する金融機関との取引を選好し、ストレス時には政府による緊急対策や公的金融への依存度を高めるという形でモラルハザードの問題が発生することになります。結局、手厚い公的金融が存在する場合、銀行間の過度な貸出競争は企業の生産性向上意欲を妨げ、経済全体でみた効率的な資源配分を損なう――経済の新陳代謝を鈍らせる――可能性があります。

現時点において、企業と銀行のリレーションシップがそこまで希薄な状況に陥っているとはみていませんが、この先も慢性ストレスによって銀行間の競争激化が続けば、こうした金融システムの効率性に与える影響にも注意していく必要があります。

  1. 14この問題は「市場の失敗」として整理できます。借り手である企業と貸し手である銀行との間には「情報の非対称性」があり、この問題を解決するのが長期リレーションシップと銀行の情報生産機能です。しかし、銀行が情報生産コストを賄えないほど貸出金利が低下してくれば、銀行と企業のリレーションシップは弱まっていきます。つまり、貸出市場の機能低下により、「情報の非対称性」という「市場の失敗」が解消されないことになります。一方、銀行が企業の信用リスクを最終的に公的部門に転嫁できれば、貸出は継続するかもしれませんが、この場合、国民が最終的に税金という形で企業の信用コストを負担することになります。つまり、情報生産を行わなくなった銀行の貸出には「負の外部性」があり、この点でも市場の失敗が発生することになります。

5.慢性ストレスに対するマクロプルーデンス上の対応

人口や企業数の減少という慢性的な共通ストレスは、金融機関の収益を下押しし、厳しい競争環境を産み出すことによって、金融システムの安定性と効率性の双方に悪影響を及ぼし得ることを説明しました。これは、マクロプルーデンス政策において重要な問題です。では、この問題にどう対処すればよいのでしょうか。

残念ながら、伝統的なマクロプルーデンス手段でこの問題を解決することは困難です。企業や家計の期待が強気化する中で、銀行のリスクテイクと相乗的な作用が生まれ、金融循環が過熱方向に大きく進んでいる状況であれば、カウンターシクリカル資本バッファー(CCyB)などの資本規制やLTV(Loan-To-Value)などの貸出規制は有効でしょう15。しかし、現在はそうした状況にないことは既に指摘した通りです(図表2)。また、金融機関の低収益性が慢性的な共通ストレスに起因している場合、自己資本の上積みを求める資本規制はそもそも処方箋として適切ではありません。資本の積み増しによって収益率(ROE)がさらに低下することが予想されるので、収益力の低い金融機関が市場で増資を行うことは難しいと考えられます16

  1. 15CCyBとは、バーゼルIIIの自己資本比率規制の可変的上乗せ部分です。上乗せ部分の保有義務は、過剰な与信の拡大等が金融システム全体のリスクの積み上がりにつながっていると判断される局面において、銀行部門が将来の潜在的な損失に備えるための資本的余裕を持つことを確保する目的で発動されます。一方、LTV規制とは、金融機関が不動産を担保に貸出を行う際の掛け目(担保評価額に対する貸出額の比率)を規制するものです。不動産部門のリスクが高まっていると判断される場合には、LTVを低めるよう規制を行うことによって、与信量の増大に歯止めをかけようとするものです。
  2. 16自己資本比率規制を厳しくした場合、銀行は増資を行うか(分子面での対応)、リスクアセットを削減するか(分母面での対応)、2つの選択肢があります。増資が困難な場合、金融機関は貸出を抑制するようになるため、過度な競争が和らぐ可能性は確かにあります。しかし、この措置は、自己資本比率の上積み幅の設定次第で、資本基盤の相対的に弱い金融機関を強制的に退出させる「劇薬」にもなり得るため、現実的な選択肢ではない――少なくとも、first line of defenseとしては向いていない――ように思います。

マクロプルーデンスの視点を取り入れたミクロプルーデンス上の対応

地域金融機関のシステミックリスクを抑制していくうえで、私は考査・モニタリングの強化がまずは重要なステップだと考えています。考査やモニタリングは一義的にはミクロプルーデンス政策手段と位置付けられますが、マクロプルーデンス上の課題認識を踏まえて横断的かつ集合的に運用することによって、マクロプルーデンス政策手段として効果を発揮することが可能です17

例えば、金融機関収益の中長期シミュレーションは、金融機関との対話のツールとして重要です。ラインシート調査などを基に地域経済の実情や金融機関行動の変化を具体的に把握したうえで18、先々の人口や企業数の減少からどの程度の慢性ストレスが営業エリアで発生するかを織り込みながら、将来収益の見通しを試算していきます。ストレステストももちろん重要ですが、現状、自己資本が十分な地域金融機関が多いため、急性ストレスに直面しても規制水準を上回る先が大勢です。慢性ストレスに伴うシステミックリスクを回避するうえで重要なのは、地域金融機関の現在の支払い能力(solvency)ではなく、将来の支払い能力です。このため、現行のビジネスモデルを前提とした収益の中長期予測の結果、持続性の高い利益を確保していくことが困難であり、将来の支払い能力や損失吸収力にマイナスの影響を及ぼすと見込まれる場合には、たとえ現在の資本水準が十分だとしても、金融機関に対して収益性向上に向けた経営改善を求めていくことが適当と考えます。

厳しい競争環境のもとで持続的に利益を確保していくには、金融機関は金融仲介サービスの差別化を図るなど、それぞれ自らの強みを活かした取り組みを進めていく必要があります。経営方針を策定するうえでは、(1)営業エリア内の顧客の金融サービスに対するニーズを的確に分析・把握する、(2)顧客のニーズにきめ細かく応じたサービスを開発・提供する、(3)そうしたサービスを提供していくために最適な店舗配置と人材配置を進め、適正な価格設定を含む採算管理を徹底していく、ことなどが重要です。

  1. 17この点に関しては、FRBも同様な問題意識をもっているように思います。地区連銀総裁会議・金融安定分科会は、マクロプルーデンス政策に関する机上訓練を行っています(2015年6月実施)。それによりますと、資本規制(レバレッジ比率、CCyB)や流動性規制(LCR、NSFR)、貸出関連規制(LTV規制)よりも、監督指導(supervisory note、ストレステスト等)の方が有効性が高いと指摘されています。詳しくは、次の資料を参照。Adrian, et al., "Macroprudential Policy: Case Study from a Tabletop Exercise," FRBNY, Staff Reports No.742, 2015.
  2. 18具体的には、抽出された個別の債務者について、財務状況の推移、借入・返済状況の推移、これらの将来見通し、金融機関の自己査定結果や融資方針等の情報が記載された書面(ラインシート)を基に支店長等と面談を行い、地域経済や業界の動向といった経営環境、与信管理状況等を把握・確認します。

適正な競争環境に向けて

多くの地域金融機関はこうした経営改善の重要性を既に認識されていると思いますが、厳しい競争環境のもとでは経営改善にじっくり取り組むことが難しいと指摘する声も聞かれます。金融機関間の競争が互いの収益を低下させている場合、「囚人のジレンマ」に陥っている可能性があります。互いに過度な金利競争を回避すれば収益を維持できる一方、自行だけが競争から離脱すれば、他行に顧客がシフトし一人負けする可能性があることを、多くの金融機関が指摘しています。そうした状況では、互いに金利競争から抜け出しにくくなってしまいます。銀行間競争と銀行経営の安定性の関係に関しては、適度な競争は銀行経営の安定化につながりますが、ある閾値を超えて競争が激化すると銀行経営がかえって不安定化すると考えられます(図表12)19。わが国では、多くの地域金融機関がそうした「囚人のジレンマ」の状況に既に陥っているとみられます。

では、銀行間の過度な競争がもたらす囚人のジレンマの状況に対して、どう対応すればよいでしょうか。金融機関の統合再編は有効な選択肢の一つです。企業数や人口が減少し続けるもとでは、金融機関数のみならず、店舗数、従業員数といった供給キャパシティーに変化がない限り、競争環境が改善することはありません。マクロプルーデンスの観点からみると、わが国は人口や企業数で規定される金融需要に対して、金融機関の供給能力が過剰な状態にあり、そうした状況の改善につながる統合再編は、金融システム全体の安定性や効率性を高めるうえで有効であると考えられます20

ただし、私が最も重要だと考えるのは、「各金融機関が利益最大化を図るための時間的視野をより長期に据える」ことです21。金融機関が互いに近視眼的な利益追求を目指すと、過度な金利競争につながり、結果として、個々の金融機関の収益を下押しするだけでなく、金融システムの安定性と効率性を低下させ、ひいては地域経済や日本経済にも悪影響を及ぼします。統合再編は将来収益を改善するための一つの選択肢ですが、それが全てではありません。各金融機関が統合再編の選択肢を選ばない場合でも、今期の利益だけではなく、将来も見据えた中長期的な収益の確保により重きを置くようになれば、互いに過度な金利競争を継続するよりも、取引先企業に関する情報生産機能を高め、金融仲介サービスの差別化を進めていくビジネスモデルの方が望ましいということになるでしょう。そうした金融機関の行動は長い目で見て、金融システムの安定性と効率性の双方の改善に寄与し、経済にも好影響を与えることになります22

毎年の会計年度の収益確保も重要ですが、慢性ストレスへの対応として求められているものは、金融サービスの差別化など将来収益の改善につながる粘り強い取り組みです。各金融機関は利益最大化の時間的視野をより長期に据えてビジネスモデルの転換を図っていくことが重要です。日本銀行が考査などにおいて収益の中長期予測を重視するのは、競争環境と金融機関の利益最大化の時間的視野が密接に関連しているからです。考査やモニタリングを横断的かつ集合的に運用することで、金融機関に競争環境の適切な認識を促し、その上で利益最大化の時間的視野をより長期に据えた経営判断、ビジネスモデルの構築を促していきたいと考えています。これもマクロプルーデンス政策の新しい形態の一つであると考えています。

  1. 19金融機関の直面する競争環境と金融機関の経営の安定性の関係については、(1)競争が進むほど経営が安定するという "competition-stability view" 、(2)競争が進むほど経営が不安定化するという "competition-fragility view" の2つの見方があります。前者は、銀行間競争により貸出金利が低下すると、借入企業の破綻リスクが低下し、銀行経営の安定性が増すというメカニズムを重視したものです。一方、後者は、競争激化により銀行の利鞘が縮小した状態が続くと、信用コストの増加など外的ショックに対する損失吸収力が低下するほか、銀行がリスクテイク姿勢を強めることで銀行経営が不安定化するメカニズムを重視したものです。この点に関しては、FSR(2017年4月号BOX6)を参照。
  2. 20一般に、民間非金融部門における競争政策では効率性(競争的価格)の視点が重視されますが、銀行部門における競争政策では効率性だけではなく、安定性(システミックリスクの抑制)も重要な視点となります。この点に関しては次の資料を参照。IMF, "Key Aspects of Macroprudential Policy - Background Paper," June 10, 2013.
  3. 21ゲーム理論において、各プレイヤーの割引因子が大きい場合――つまり、今期の収益だけではなく、将来収益も重視する場合――、繰り返しゲームでは囚人のジレンマの問題は解消されます。
  4. 22図表9の長期予測は、過去のデータに基づいた推計パラメータが先行きも不変であることを前提にしていますが、金融機関が提供する金融サービスの差別化の進展や金融機関の統合再編などにより競争環境が変化すれば、パラメータは変化すると考えられます。この場合、説明変数が同じ見通しのままであっても、人口減少などの慢性ストレスが預貸利鞘に及ぼす影響は低下すると考えられます。

国民のサービスに対するノルムにどう向き合うか

銀行の低収益性に伴うシステミックリスクを回避するうえでは、適正な競争環境の整備のほかに、もう一つクリアしなければならない課題があります。それは、金融仲介サービスの適正対価に関して顧客の理解を得ることです。おそらく、国民の多くには、日本の金融機関が適正な対価をとることなく決済サービスを提供し続けていることが知られていないと思います。

銀行は預金者に対して、決済サービスという金融仲介サービスを提供しますが、その対価として、預金スプレッド(市場金利-預金金利)という形で料金を徴求しています。家計や企業は、国債などの市場運用を行わずに、金利のより低い預金を保有することで、預金スプレッドという機会費用を銀行に支払い、決済サービスを銀行から購入するというのが、オーソドックスな経済学的解釈です。この預金スプレッドと口座維持管理や振込などの手数料を組み合わせて、決済サービスの適正対価を設定するのが、銀行の標準的なビジネスモデルです。

ところが、日本では、バブル崩壊後の市場金利の低下と預金金利の自由化の影響から、預金スプレッドは1990年代半ばには、ほぼゼロとなりました(図表13)。これは、日本銀行が量的・質的金融緩和やマイナス金利政策を導入する、約20年も前のことです。つまり、預金口座手数料を徴求しない日本の金融機関は、この20年間、決済サービスをほぼ無償に近い形で提供してきたわけです。

金融機関には、預金スプレッドがゼロになった段階で、預金口座関連手数料を徴求するという選択肢もありましたが、現実にはそれは取り得ませんでした。理由は2つあります。一つは、先ほど指摘した通り、郵便貯金も含めた金融機関同士の競争です。そして、もう一つは、国民のサービスに対するノルム(社会通念)です23

日本国民のサービスに対するノルムは、海外ではみられない独自の進化をとげてきたと思います。例えば、国語辞典でサービスの意味を調べると、「奉仕」や「値引き」、「おまけ」といった説明がでてきます。私たち日本人にとっては、「家族サービス」や「サービス残業」、「お客さん、サービスしますよ!」といった言葉はお馴染みのものです。これらの例から明らかなように、日本のサービスには「無償」という概念が暗黙に込められているように思います。一方、英語辞典でサービスの意味を調べても、そうした概念はみられません。

「おもてなし」の言葉にあらわれるように、日本には「金銭の見返りを求めることなくサービスを提供すること」を美徳とする空気があります。金融業をはじめ日本のサービス産業の生産性が国際的に低いのも、こうした日本独特のサービスに対する国民のノルムと無関係ではないように思います。家計消費支出に占める金融サービスのウエイトが日本は国際的にみて極端に低いこと(図表7)、そして、 その裏腹の関係として本邦金融機関の非資金利益比率が低いのは(図表6)、金融機関間の競争だけで説明できるものではないと思います。

現在、全国の金融機関の個人預金口座数は合計で約11億あります。国民一人あたりに換算して10口座もあるというのは、国際的にみてかなり多いと思います(図表14)。口座数がこれだけ多い理由には、日本では口座維持手数料が無料であることが大きく影響していると思います。銀行はこうした膨大な口座数を維持するために多大なコストを負担しています。取引の無い口座であっても、銀行は最終取引から10年間は口座を管理しなければなりません。そのためのシステム負担は固定費として発生するため、装置産業化した銀行は規模の経済性を求めて競争が激化するという悪循環に陥ります。

経済取引に貢献しない銀行口座をコストをかけて維持するのは、社会的にみて非効率ですし、このまま適正な対価を求めることなく銀行が預金口座を維持し、決済サービスを提供し続けることは一段と困難になってきていると考えられます24。おそらく、国民の一般的な感覚は、「大事なお金を銀行に預けているのに、手数料をとるなんて、おかしい!」というものかと思いますが、私は、金融仲介サービスに関する適正な対価について、国民的な議論が必要な段階に来ていると思います。

サービスの適正対価に対する評価分析がなぜマクロプルーデンス政策なのかと思われるかもしれません。しかし、(1)銀行の低収益性と過度な銀行間競争が相乗的に作用し、金融システムを不安定化させるリスクがあること、(2)銀行の低収益性には非金利収入の少なさが影響していること、(3)そして、これには国民のサービスに対するノルムも関係していることを踏まえると、金融システムの安定性を将来にわたって確保していくには、金融仲介サービスの適正対価に対する国民の理解が不可欠であると思います。こうした問題提起はマクロプルーデンス政策として非伝統的なことではあっても、避けては通れないものと考えています。

ただし、金融仲介サービスの適正対価に関して国民的な議論を進めていくには、様々な取り組みが必要です。第一に、日本銀行を含め、金融界全体として、決済サービスの提供にかかるコストと収益が見合っていない状況を十分に説明し、国民の理解を得ていかねばなりません。第二に、当然のことですが、個々の金融機関が収益力の改善に向けた改革をしっかり行うことが必要です。コスト削減や収益改善の余地を残したままでは、適正対価に関する国民の理解は十分得られません。この点に関し、地域金融機関のオーバーキャパシティの状況は、業務改革(Business Process Reengineering)などを通じた経営資源の適正投入によって、改善していく必要があります。また、顧客ニーズに必ずしもマッチしない過剰なサービスを提供するためにコストをかけているなら、サービス内容を見直していくことも必要でしょう25。そして、第三に、金融機関は、フィンテックなど新たな技術環境も踏まえ、金融仲介サービスに新たな付加価値を提供していくことで、国民の納得性を高めていく必要があります。金融サービスの利便性や安全性を一段と向上させ、顧客の満足度に見合った対価を徴収できれば、生産性が上昇するとともに、収益力の強化にもつながります。金融機関がこのような取り組みを行わないまま、対価を求めようとすれば、フィンテック企業が台頭しているなかでは、銀行離れ(disintermediation)を引き起こす可能性があることに留意する必要があります。

  1. 23さらにもう一つ理由をあげるならば、バブル崩壊後の不良債権処理により過少資本に陥った金融機関が公的資本を受け入れておきながら、国民からさらに手数料をとるということは社会的に許容されるものではなかったことです。
  2. 24仮に国民一人当たりの口座数が適正であったとしても、決済サービスの提供にはコストがかかります。要求払い預金を通した決済には、安定性と効率性に優れたシステムを開発・維持するコストがかかるほか、店舗の窓口では、本人確認や現金授受などに絡み間接費用が発生します。さらに、預金通帳の発行もコストを高める要因となります。
  3. 25このほか、同種の金融サービスにおいて、供給チャネルによって収益性が異なるなら、顧客の取引形態を非効率なチャネルから効率的なチャネルへ誘導する――例えば、通帳や書面取引からインターネット・バンキングへのシフトを促す――ような手数料体系の構築も必要でしょう。

6.おわりに

以上、慢性ストレスに起因した金融脆弱性へのプルーデンス政策の対応について説明しました。人口や企業数の継続的な減少という慢性ストレスに対して先進国はこれまで直面したことがないだけに、これをどう克服していくかは大きな課題です。しかし、私は、これまでも多くの困難を乗り越えてきた金融機関経営者の方々の英知と先見性により必ず途は拓けていくと確信しています。同時に、金融システムの安定という責任を担う私たちもプルーデンス政策の新たなフロンティアを自ら切り拓いていかねばなりません。

ただし、どんなにフロンティアを切り拓いていっても、プルーデンス政策だけで金融安定を達成しようとするのには限界があります。金融システムにおける慢性ストレスとは、わが国の潜在成長率の低下、つまり、自然利子率の低下と言い換えることが可能です26。預金スプレッドの低下から、銀行が決済サービスの提供において適正な対価をとることができなくなったのも、根本的には、名目金利の大幅な低下を引き起こした自然利子率の低下が影響していると考えられます(図表13)。決済サービスと貸出サービスという2つの本業のうち、銀行は後者でしか稼ぐことができなくなり、貸出金利の面で競争を強めてきたわけです。市場金利が1990年代半ば以降低位で推移し続けるもとで、貸出スプレッドが趨勢的に低下してきたのは、こうした競争激化の背後にある自然利子率の低下が大きく影響しています。

このように考えると、金融安定を維持していくには、慢性ストレスを小さくすることも重要であるといえます。慢性ストレスが金融システムに与える影響をプルーデンス政策によって和らげることはもちろん重要ですが、慢性ストレスがいつまでも大きいままでは、プルーデンス政策の効果はなかなか表れません。慢性ストレスのサイズを小さくする政策、すなわち、潜在成長率や自然利子率を引き上げるための政府による成長戦略も金融安定にとって重要です。

最後に、金融政策が金融システムの安定性に及ぼす影響について簡単に言及しておきます。金融緩和の継続は、人口や企業数の減少という慢性ストレスと相まって金融機関間の競争を強め、金融機関の収益を下押ししてきた側面があります。一方で、金融緩和は、これまで銀行貸出の積極化を後押しして、企業の業況改善に寄与してきました27。これが経済情勢の改善となって表れ、それに伴う信用コストの低下や有価証券の投資収益の増加という形で金融機関の収益にも寄与しています。金融システムは金融政策の効果波及経路を構成しており、その安定は経済の持続的成長の基盤です。金融政策については、今後とも、経済・物価・金融情勢を踏まえ、適切に運営していく必要があると考えています28

振り返ると、金融政策もプルーデンス政策も過去20年間に大きな進化を遂げてきました29。1990年代の金融危機対応では、明日はどうなってしまうのか、という絶望的な気持ちになることもありましたが、「日本発の金融恐慌は起こさない」という合言葉のもと自らを奮い立たせてきました。マクロプルーデンスという言葉さえまだ存在せず、危機対応の経験も手段も未熟だった当時から長い試練の時代を経て日本のセーフティネットは格段に整備されました。そして、今日お話ししたようにマクロプルーデンス政策についての知見も蓄積され、今後の課題も見えてきました。ここまで本当に長い道のりでしたが、困難な時代に「金融システムの安定」という目的のために共に人知を尽くした全ての同僚と関係者の方々に対し、いささか遅きに失しておりますが、ここに深く感謝申し上げる次第です。「魔の11月」からちょうど20年目に当たる本日この機会に、中央銀行として、わが国の金融システム安定を護っていく揺るぎない決意を改めて表明することで私の話を締め括らせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

  1. 26貯蓄と投資を均衡させる自然利子率とは、経済が潜在成長率の速度で成長していく際に実現される実質金利を指します。貯蓄投資バランスについて振り返ると、家計部門の貯蓄超過幅が高齢化の影響から縮小する一方、企業部門は1990年代末頃から投資超過主体から貯蓄超過主体へと変化しました。企業数の継続的な減少が企業部門全体の投資縮小につながり、また、人口減少が経済の期待成長率の低下を経由して、企業部門の投資抑制につながってきたと考えられます。自然利子率が1990年代半ばにかけて低下し、その後も回復することなく低水準で推移しているのは、こうした貯蓄投資バランスの変化が影響しており、これが慢性ストレスとなって金融システムに影響を及ぼしています。
  2. 27この点に関しては、FSR(2017年4月号BOX2)を参照。
  3. 28金融政策運営において、マクロプルーデンスの視点をどう取り入れていくべきかについては、次の講演を参照。中曽宏、「金融安定に向けた新たな課題と政策フロンティア」、IVA-JSPSセミナーにおける講演、2016年3月。
  4. 29わが国の金融政策の進化については、次の講演を参照。中曽宏、「進化する金融政策:日本銀行の経験」、米国ニューヨーク連邦準備銀行主催セントラルバンキングセミナーにおける講演、2017年10月。