特に米国は、多民族の国です。人種も違う。宗教も習慣も、思考回路も違う人が職場に集まれば、最初に待っているのは混乱です。しかし、だからこそ仲間に関心を持ち相互理解を深め、「他利」を「私利」に優先させなければ仕事にはならないのです。
斉藤ウィリアム浩幸
対照的に日本人は互いの常識を「暗黙の了解」で共有できる極めて同質性の高い社会で生きてきた結果、コミュニケーション・コストを軽視してきた経緯があります。誤った解釈で輸入してしまった「個人主義」という言葉は隣の席で困っている同僚を助けることができないほどに個人を組織の中から孤立させてしまったのではないでしょうか。
一子相伝の技術を「目で盗み」、一人前になるまでに10~20年かかるのが当たり前だった時代は過ぎ去っています。グローバル社会を生き残るには「暗黙の了解」ではうかがい知れない様々の常識に耳を傾け、自らを改め続けなければなりません。日本式の個人主義はそんなとき、いかにも足かせになる概念です。
さて、世間は新年度。チームに異なる常識を持つ新人が参加してくる季節です。新しい仲間が何か相談してきたらどうしますか。「自分でやってみろ」と突き放したり、「俺はもっと大変だったぞ」と苦労自慢したりするだけの応対は、仲間のためになるのでしょうか。チームのためになるのでしょうか。私には、後進を育てる手間を嫌う、あるいは自らの職域を奪われることを避けるための利己的な応対に感じられてなりません。
(インテカー社長 斉藤ウィリアム浩幸〈ツイッターアカウント @whsaito〉)
[日経産業新聞2015年4月3日付]