2017-11-30

猫のような男の話

ここ1ヶ月ほど、猫のような男を飼っている。

二つ歳下の、職場部署の違う後輩。

最初は、会えば少し話をするだけのただの先輩後輩関係だったはずだった。同じ出先の仕事を任されたことがきっかけで、ふたりで数回ご飯を食べた。そのまま酔った勢い我が家にあげたのが、思い返せば「先輩と後輩」の道から逸れ始めた原因だったのだろう。あの選択肢が間違いだった。

少しずつじわじわと既成事実を積み上げて、敢えて表現するとしたら「都合のいい男」と「都合のいい女」の関係になった。余計な言葉は何もなくて、彼は私が呼べばうちに来たし、呼ばなくても来た。彼の住む古びた木造アパートは今時期凍えるほど寒くて、「ここの部屋は人がいるし鉄筋コンクリートだし暖かい」などとのたまいながら、私のアパートの部屋で私のジャージを着込んで、私の買ってきた缶ビールを片手に私の用意した夕飯を食べ、気が向いたら時々私を抱き、そして我が家で寝て我が家から職場へ向かった。

私は私で頼られたり拠り所にされたり尽くしたりすることはやぶさかではなかったし、私自身しばらく男女の関係というものがご無沙汰だったこともあり、名前がついていなかったとしても、この関係性は嫌いではなかった。時にはでろでろに甘やかしてくれたし、時には頼りになって、案外この関係を楽しんでいる自分がいた。それは分かっていた。

私にはタイムリミットがあった。

この年末で今の職場ーーー彼と同じ職場からの異動が決まっていた。それは彼が我が家に居着き始めたころとほぼ同時に確定していた話で、もちろん彼もそれを(社内公示よりもずっと先に)知っていたし、異動と同時に私がこのアパートを引き払って、遠くへ引っ越すことも把握していた。

まり、この関係はあと1ヶ月もしないうちに決着をつけなければいけないという、暗黙の終着点が設置されている上でのスタートだった。もちろんお互いそれを理解した上でこの関係性を良しとしていたし、正直に告白すると、私はそのことを出来るだけ考えないようにしていた。それを口に出してしまうと、猫のような彼はきっと我が家に出入りしなくなると思っていたからだ。

彼は、首輪のついた猫だった。

あくまでも、その首輪は私のものではない。

彼はどこまでも自分時間リズムで生きていたし、私よりもずっと「自分」を持っている人間だった。自分に自信がなく、周りに流されて他人の目を気にして生きていた私は、彼の生き方や考え方そのもの目から鱗だったし、自分真逆人生を歩んでいるような彼は、泥のように見窄らしく「自分」のない私には、あまりにも眩しかった。

でも「自分」がありすぎる彼に付き合うのは私にとって時々大変だったし、そこそこ気も使いつつ、柄にもなく彼に合わせるために多少の背伸びもした。

でもそれすら楽しいと思っていた。浮かれていたのだろう、たぶん。でも長く付き合ったらお互い疲弊するのだろうな、とは薄々感じてはいたが、見て見ぬ振りをした。

昨晩、またも酔った勢いで、つるっと口を滑らせた。

きっかけは些細なすれ違いだった。何かをしたとかしないとか、そんな程度のことだったと思う。

それでも私は口にしてしまったのだ。

私は君の何なの、と。

その瞬間、彼の時が止まったし、それを見た私も口にしたことをひどく後悔した。

それはこの1ヶ月避け続けていた言葉だった。名前のない関係名前をつけろと言ってしまったのだから

彼は言葉を選びつつ静かに言った。

「いつかはそう言われる日が来ると思っていた」

そこから先の空気は最悪だった。深夜1時。翌日彼は仕事で、お互い静かに背を向けて、お互い静かに寝た。昼間ははしゃぎながら遠出をして、おいしいご飯を食べていたのに、数時間後はお通夜だった。

今朝、彼は休みで早くから起きなかった私の耳元で、「ごめん」と謝罪言葉を小さく口にして家を出て行った。荷物をまとめて出ていくかと思ったら、なぜかすべて置いて行った。

昨晩の結論は、まだ出ていない。

先程、彼からの連絡が来ていた。

きっと今晩も彼は我が家の門を叩くし、私は冷えたビールと夕ご飯を用意して彼のことを出迎えるのだろう。それでもパンドラの箱に手をかけてしまたことは間違いない。昨晩のことは常に心に引っかかっていていたとしても、それでも必死に見て見ぬ振りをして、お互いこの中途半端関係に甘えて束の間の夢を見るのだ。

私が異動してこのアパートを去るまで、あと1ヶ月弱。

あの猫の首輪は、きっと私のものにはならない。

 
 
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