「三姉妹船長」で親しまれ昨年11月に営業を終了した兵庫県香美町の遊覧船かすみ丸の事務所に、毎日のように高校生らが集まっている。暗がりで段差に腰掛け、スマートフォン(スマホ)を操る姿は、都会のコンビニ前でたむろする若者のようだが、実は、地方の若者にとって切実な通信事情が背景にあった。(黒川裕生)
今月下旬の午後7時ごろ、人通りのない漁港の一角に数人の若者が座り込んでいた。恐る恐る声を掛けると、「こんばんは」と意外と礼儀正しい。何をしているのか尋ねると「スマホにここのWi-Fi(ワイファイ)を使わせてもらってるんですよ」という。地元の香住高校の寮生たちで、寮にワイファイがないのだそう。
通常の通信だとデータを使いすぎてしまうため、無料で使えるワイファイはスマホ利用者には必須の設備。都市部には飲食店やコンビニなどあちこちに設けられているが、地方では利用場所を確保するのはなかなか難しい。
かすみ丸の事務所では数年前、乗船客向けに無料ワイファイを整備。事務所内に入らなくても建物の近くに行けば使えることから、同校の寮生たちが利用するようになった。それを知った初代「三姉妹」の長女で、かすみ丸社長の山口都子さん(67)が、営業終了後もワイファイを残したのだ。「お金はかかるけど、よその土地に来てやりたいこともできないなんてかわいそうだから」と山口さん。
学校帰りや夕食後に訪れ、動画などを楽しむ。多い時は10人ほどが集まり、休日には朝から訪れる寮生もいる。「ここがないと生きていかれへん。本当に助かってます」と同校3年の栗林佑宇さん(18)。
近くの公共施設には無料ワイファイが使える場所があり、当初は利用を試みたが、周囲の厳しい視線を受けて“退散”。そんな中、快く受け入れてくれたかすみ丸の事務所は、寮生らにとって唯一の希望だ。
山口さんは今も換気などで事務所に通う。「冬の寒い日に、ガタガタ震えながらスマホをいじっているのが気の毒で」と暖房をつけて中に入れたことも。「ごみも散らかさんし、なんちゃ問題ない。事務所がある限りはワイファイも続ける。どんどん使ったらいい」
【遊覧船かすみ丸】1949年、山口武雄さん(故人)が創業。その後、山口さんの娘3人が跡を継ぎ「三姉妹船長」として全国的に有名になった。近年は孫娘も船長となって営業を続けたが、昨年11月30日、67年の歴史に幕を閉じた。