ビートたけし(C)窪田誠

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店員に横柄なバカ

 後輩をビール瓶で殴るというのは行き過ぎにしても、酒席では乱暴な態度を取る人は珍しくない。同席者に対してだけではなく、店員や店主への態度が横柄な人となると、どの組織にも一人はいるのではないだろうか。

 サービス業に対して偉そうに振舞う――こういう「バカ」について、ビートたけしは新著『バカ論』で手厳しく批判している(以下、引用は『バカ論』より)

「おいらには昔から癖のようなものがあって、それは、どんな店に飯を食いに行っても偉そうにできないこと。

 おいらが行くと、店の人もいろいろサービスしてくれて、『本日のおすすめです』とか言って、何たらかんたらのソテーなんて高級そうなやつを持ってきてくれる。それはありがたいし、たいていはうまいんだけど、中には『うん? ちょっと違うな』と思うこともある。だからといって、『こんなもの食えるか!』なんて態度は絶対に取らない。文句は一切言わない。

ビートたけし(C)窪田誠

 あれっと思っても、『ああ、おいしいね』ってそれだけ。ワインもバカ高いやつを出されて、『値段の割には大したことない』なんて思っても、それは腹にしまって、いつも黙って飲んでいる。

 つまり、客商売をやっているところに行って、ケチつけたりするのが大嫌いなの。それはメシ屋でもソープでもどこでも同じ。他人様が商売しているところに行って、『金払っているのはこっちだろ』なんて、偉そうに文句つけたりするのは最低だね。

迷惑なバカから笑えるバカ、愛すべきバカまで、バカを肴に芸論や人生論を語り尽くす。原点回帰の毒舌全開、ビートたけしの「バカ論」!

 ダメだったり、気に入らなければ、二度と行かなければいいだけのこと。

 芸能人だからって店で偉そうに振る舞っている奴がいるけど、やめてくれよと思う。そこで通ぶってどうするんだ。それに『芸能人は偉そうだ』なんて業界全体の評判が悪くなるようなことをわざわざする神経を疑う」

粋な客とは

 単に評判の問題ではなく、店での振る舞いそのものもまた、芸人としての修業につながる、ということをたけしは師匠である深見千三郎に教わったのだという。師匠の振る舞いがとても「粋」だった、とたけしは振り返っている。

 まず、金の払い方。昔気質の深見さんは、食事代とは別に板前に祝儀をあげることを常としていた。粋なのはその渡し方だ。

「食べて、偉そうに『ほら、とっとけ』なんて渡すのじゃなくて、店を出てから弟子のおいらに『渡してこい』とやる。

『店にいる間に渡したら、“ありがとうございます”なんて、俺に気を遣って挨拶に来るだろう、バカ野郎。だから店を出てから渡すんだ』と、そういうしきたりみたいなものにはきっちりしていたし、うるさかった」

店での振る舞いも修業のうち

 こういう教えもあって、たけしは飲食店では偉そうにできないのだろう。深見さんの凄いのは、これだけではない。すべての振る舞いや所作が芸人という商売に結び付いていく――「芸人根性」とでも言えるものを、たくさん教わったというのだ。

「浅草のどこかの座敷でスッポンを食った時のこと。師匠もおいらも結構酔っ払って、さあ帰ろうかという時、おいらが下足箱から師匠の靴を出したら、いきなり怒られた。

『バカ野郎! なんでお前はこの靴を出すんだよ』

 弟子が師匠の靴を出すのは当たり前なのに、なんで怒られたのか不思議に思っていると、『お前は普通に靴を出してどうするんだ。そうじゃなくて、あそこにあるピンクのハイヒールを持ってこい』なんて言う。『ピンクのハイヒールを履いて背ぃが高くなって俺が出て行ったら、みんな笑うだろう。だからお前はお笑いのセンスがないんだよ』」
 
 この言葉に、若き日のたけしは、「何考えてんだこの人は、そこまでして人を笑わせようとするのか」と驚いた。そこから得た教訓をこう語る。

「コメディアンというのは、会った瞬間に『この人は面白い』と雰囲気で思わせなきゃいけない。それはただ笑われるというのと違って、その人が持っている雰囲気が大事なんだ。それは普段から意識しておかなければ身につかない」

 こんな風に学んだ芸人としての姿勢は、70歳となった今でも体にしみついている、という。

デイリー新潮編集部