フリーターになって半年以上が過ぎた今、自分の生活を振り返ってみた。
以前の休日
会社員だったときは、月8~9日くらいの休みがあった。(サービス業なので、カレンダー通りの会社からするとちょっと少なめ。ちなみにGWや盆休みはない。年末年始はやや長期休みあり。)
当時の休みは、労働とは無関係の1日。
掃除をしたり買い物に行ったり旅行をしたりして、楽しかったけど明日また仕事か~と毎回思っていた。
今は1日休むとなると、分かりやすくその分の日当がなくなる上、更にお金を使うことになるので、1日バイトをしないでどこかに行ったりすることに、この日当を捨てる価値があるのだろうかということを、すごく考えるようになった。
そもそも休みとは
まあ、そんなふうに考えて「ここに行きたい」と思ってどこかに出かけたりするのだけれど、そして以前、会社から定められた休日があったときは、そういう行為を「遊び」と言っていたけれど、今は「遊び」っていうのはなんだかしっくりこないなあと思っている。
今バイト代が発生しない時間に、いろいろな所に出かけたりすることは、「労働」ではないけど「遊び」でもなくて、未来の自分をつくっていく時間だなあと思っている。(まあ、「遊び」という言い方でもいいんだけど。)
時給は発生しないけれど、未来の自分への投資という感じ。
今の生活になって
好きなことをしたいと思って会社を辞めた現在、でも結局バイトをしないと生活ができないので、未だバイトをしているけれど、社員としての精神的負担がなくなったので、その点に関してはとても快適になった。その分自分が考えたいことだけをひたすら考えていられる。すごく楽しい。(いまだ、将来に全く関係ない労働に時間をとられてはいるけれど。)
そして一つ気づいたことがある。
私はずーーーーーっと長いあいだ、食事をしながら口の中を噛んでしまうという癖があった。10日に1回くらい。噛んだところが腫れるので、更に同じ場所を噛んで、よく口の中が血だらけになっていた。
噛み合わせのせいだと思っていたのだけど、ネットで調べたら一番の理由は意外にもストレスだとあった。
同じところを続けて噛むとほんとうに泣きたくなっていた。たぶん泣いたことある。
あんなに悩んでいたのに、今それが全くなくなったのだ!!!
ああ、やっぱりあれはストレスだったんだなあと思った。。。
ストレスがなくなって
今、ストレスが減った分、労働時間は単純に増えている。(収入が減ったので。)でもフレキシブルに動くためにそうして、半年以上が過ぎだ。
自分がやりたいと思っていたイベントの回数を増やせなかったけれど、全部やってみていろいろ分かったし、これからの目標ができた。
来年はバイトを辞めて家業に本腰を入れて生活基盤をつくろうという結論に達した。
そしてイベントに投資してイベントもたくさんやって完全なるフリーランスになりたいと思う。
(ここらへんのことは、改めて別に書きたいと思う。)
ここまで昨日の夜書いて、続きは明日書こうと思って寝たんだけど、今日A1さんのこの記事を読んでちょっと考えた。
新たに私も記事を書きたくなった。けど、言いたいことが被る部分があるのでこの記事の続きき書こうと思う。
『働きたいのに働けない 若年無業のジレンマ』を観て
私はこの番組を見て、意外にゲストみんなが「働けない人」に対して寛容だなあと思った。蛭子能収さんみたいに「働かざる者食うべからず」という人がもう1人くらいいるかと思った。
現実に存在する会社の中で起こっている出来事は、未だ何十年も変わっていないところが多いかもしれないけれど、現代社会に生きる人の意識は少しずつ変わってきていると思う。
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友達のこと
私はフリーター期間も長く、いろんな仕事を転々としてきた。その中の一つの会社について書くと、当時ものすごいパワハラを受けていた。パワハラだけじゃなく、仕事内容の重責、サービス残業をしないと終わらない内容など、とにかく1から10までストレスだった。
でもそれを人に説明して共感してもらえる気も全然しなかったので(高確率で「どこも同じだよ」と言われると思って。)、家族以外にはあまりそういう話はしなかったと思う。家族がよく理解してくれたことが救いだったと思う。
その職場は当然人の入れ替わりが非常に激しかったし、心を病んだ人もいた。未だに病んでいる人もいる。
でも私はたぶん、なんだかんだでけっこうメンタルが強いほうだったんだと思う。
大勢の前で怒鳴られて叱責されても、(「いや、でも言ってることおかしくね?」)と思えたり、まあ言葉をそういうふうに使うことを私は暴力に等しいと思っているし、それなりのダメージはくらうんだけど、とりあえず寝ることで回復させてた。
直属の上司のことは心から呪っていたが、そんな奴のために負の気持ちを自分の中に持つことが損だと思ったので記憶からいちいち消去することにした。
友達は今でもそこで働いていて、ずっと辞めたいけれど、辞めることも大変だから辞められないと言っている。
これは、すごく、わかる。
できること、できないこと
「仕事なんて世の中にたくさんあるんだからさっさと辞めよう!」と言うのは簡単である。
でも実際行動に移せない人の理由は主に2つあると思う。(ニートの人も被るところはあると思う。)
・めんどう(職場に辞めると言う、就職先を探す、履歴書を書く、受ける、落ちた場合、再び探すという流れが大変)
・どこに行っても同じことを思うかもしれない(今以上の職場は見つからないかもしれない) (←ちなみに誰かに相談したら言われる言葉第一位だと思う。)
私も、やりたいことが無くて、でも今の仕事が嫌だなあと思っていた時は、上記ふたつのことをぐるぐる考えていた。
でもやりたいことができて、それからも時間はかかったけど、行動に移そうと思ったらもう上記のことで悩むことはなかった。
(ちなみに、3年くらい前から「もう人生で履歴書は書かないぞ」ということだけは思っていた。)
でもだから、私の生き方サイコー!!!っていうんでもない。(私にとって最高だと思っているけれど。)
自分が歩いてきた道
私が好きなことをして生きていきたいと思うのは、自分が普通の企業では働けないと思ったからだ。
(まあ、何らかの事情で再び普通の会社で働くしかないとなったら、再びたくさん失敗をしながら、再びそうとうなストレスを抱えると思うが、死んでもできないというほどではない。けどそんな時間が勿体無いからやりたくない。)
こう思えるようになったのにはものすごく時間がかかった。
こどもの頃から、10代20代になっても抱いていた気持ち
「なんでみんなができることが私にはできないんだろう」を
「私はできなくて当然だ!人よりいろんな面で劣っているのだ!でも、なるべく生きやすくなるためにちょっと克服しよう。そして違うところを伸ばしていこう」
と思えるようになった瞬間に全部考え方が変わったし、最終的に「好きなことをして生きていこう」につながっていった。
ただ、こう思えるまで自分と向き合ってきたことは、とても時間がかかる上に、ほんとうに辛いことでもあった。
いちばん、自分で自分がおかしいと思っていた感覚は、人との距離感だ。
私には多くの人は成長過程で自然に身につけていくであろう部分が大きく欠落していたと思う。
それを克服したくて人からの指摘をきちんと受け止めて自分を振り返ることはすごく辛かった。
悩みの種類は違うかもしれないけれど、働きたいのに働けないという人にも、辞めたいけど辞められないという人にも、向き合ったほうがいいのであろう自分はあるとおもう。たぶん。。。
でもそこに向き合わないのが甘い!ダメだ!みたいには、私は言えないなあと思う。
私がとても辛かったから。
自分にできること
以前、こんな私が傲慢にも、誰かを救いたいと思っていた。自分がたくさんの人に救われてきたから、自分にもできることがないかと思っていた。
でも今は、そんなおこがましいことをこんな自分がよく思っていたなあ・・・と思う。
でも、自分は音楽を通して出会った人、今やネットを通じて出会った人に影響を受けて自分の考え方がどんどん変わっていったし、成長したし救われたと思っていて、もしかして誰かが同じように思える小さなきっかけを作れたりする“かも”しれない・・・という気持ちで活動をしていきたいと思っている。
結局どうしたらいいのか
私は私の方法で自分の悩みを解決したけれど、この方法論が一番とも思えない。(しつこいけど、辛かったから。)
でも、やっぱりいろんな人に会ってよかったなあと思っている。番組の中でphaさんや古市さんも、周りに同じ意見の人しかいないとそれが全てに思えてしまうけれど、外に目を向ければ全然違う考え方や生き方の人がいる・・・という趣旨のことを言っていたけれど、ほんとうにそうだと思う。
自分が幸いだったのは、ミュージシャンやフリーランスの音響の人と過ごす時間が多かったことだと思う。そういう人たちに、自分のダメな部分をかなり指摘してもらった。(たぶん普通の会社にいたら言ってもらえなかったと思う。)
また、リアルで会えなくても、いろいろな人の本はかなり読んだし、こうやってブログを書くことで、今までの人生で会わなかったけどすごく共感できる人にも会えたし、更にリアルでも会えるようになった!
まあ、気長にやっていくしかないんじゃないかなあと思うのです。自分を、自分の現状を変えていくっていうことはやっぱり難しい。
でも悩んだことは、全部今の自分に生きているなあと思う。
あとは国がいろいろ変わってほしいと思う。それもすぐには無理なので、こっちも気長に準備をしていくしかないかなあと思う。
今でも毎日新しい出会いがあると思っているし、これからも自分は日々変わっていくんだろうなあと思う。