Twitterでのやりとりを見ているとユーザサイドと栗田取締役との間でものすごい温度差があり、栗田取締役はなぜこんなことになったのかを理解できていない返答を繰り返しているので思うところをまとめておきます。
まず、ユーザサイドが感じているストレスはたくさんあります。
動画の画質がフルHDになっていない、再エンコードされた音質が悪い、ニコ生ですぐに追い出される、ニコ生見ているとよく止まる、などなど。
確かにこれらは解決しなければならない問題ですし、それは運営サイドも認識されているであろうことはよくわかります。
しかし、今回の問題はそれらの問題のさらに前提にあたる問題をみんなが感じ取ったために発生しているのです。それが
そもそも運営さん、ニコ動やニコ生、ニコニコ静画を一人のユーザとして楽しんでいますか?
ということです。大会議ツアーやボカロ長時間ニコ生などをやっていた頃、いろいろと批判や問題点はあれど、運営は同じニコ厨であり、仲間でした。だから痛烈な批判をすることはあっても仲間としてどこか許している部分があり、それが最終的に超会議の第一回につながっています。しかし、2010年後半くらいからそういう空気がすごく出てきたのですが、いまの運営はビジネスとして単にサービス提供しているだけの存在であり、同じニコ厨ではないとみんな薄々感じていました。
それが如実に表れ、みんなが「こいつらは単なるサービス提供者か」と感じてしまったのが2017年11月28日のniconico(く)発表会だったのです。それくらいあの発表会は悪手だらけで、しかもいまも栗田取締役は「両方必要なんです」と繰り返すにとどまっています。
YouTubeに遠く差を付けられ、Abemaがあっという間に抜き去ったniconicoに対して、みんなが文句を言いながらまだ愛着を持っているのはなぜか。単なる動画サービス提供者ならみんなほかに行けばいいし、現にそうしている人もかなり増えています。でもそうじゃないからみんな文句を言いながらもとどまっていたのです。
じゃあ、今回の発表会、何をすべきだったのか。もちろん新機能も大事だし、それを体験してもらうことも重要。
でも本当にすべきだったのは新機能の発表ではなく、ユーザとして使っていれば当たり前に感じているであろう事柄について、一つずつ謝罪を混ぜながら現状と今後の見通しについて淡々と語ることだったはずです。
「仕事」としてではなく、本当の意味でniconicoを使っているのであれば、運営サイドからいま一番欲しい説明が何か、私がこんな記事を書かなくても容易に理解できたはずです。
niconicoのユーザが求める「顔が見える運営」というのは、説明会に顔出しで出てこいとか、Twitterで全レスしろ、とかではなくて、ユーザと一緒にniconicoを楽しんでいる運営なのです。Twitterでシャープ公式アカウントさんのファンが多いのも目線がユーザサイドと同じで、一緒にTwitterを楽しんでいる感が出ているからです。
あの説明会からはいまの運営がniconicoを楽しんで同じ目線でやっているようには全く感じられず、サービス提供者側からの目線で情報を提供しているにとどまっており、そして今なおTwitterでは栗田取締役がそれを続けています。でもそうじゃない。そういうことじゃないんです。
運営サイド、特に2009年のニコ動の空気をユーザサイドとして知らないであろう役員の皆様方、まずは、仕事から離れて、ニコ動・ニコ生を楽しんでみて下さい。アニメでもいいですし、してみた系でもいいです。なんでもいいからまずは一人のユーザとして、使い倒して下さい。そしてそのうえで実際に一介のユーザとして動画を投稿したり、ニコ生をやってみたりして下さい。そうすれば、自然となぜこんなことになったのかが判ると思います。
niconicoの優れた点はコメント機能ではありません。運営とユーザの距離が近いのが、YouTubeやAbema、ツイキャスなどにはできないniconicoの長所で最大の特色だったんです。その長所があるからコメント機能もまた生きてくる面があったんです。もはやインフラになったいまだからこそその辺もう一度思い出す時期に来ているんじゃないかと思います。それが思い出せないようであれば、残念ですが、niconicoはmixiと同じ惨状を迎えるしかないと思います。