海猫沢めろん×ドミニク・チェン対談(2)「読者を育てる『新しい深さ』のヒントは『けものフレンズ』!?」

2017/11/28

WRITERインタビュー・テキスト:Zing!編集部 ピーター/撮影:トライアウト 関水大樹

海猫沢めろん×ドミニク・チェン対談(2)「読者を育てる『新しい深さ』のヒントは『けものフレンズ』!?」

前回に引き続き、海猫沢めろんさん、ドミニク・チェンさんによる「文学とテクノロジー」をテーマにした対談をお送りします。前回、『攻殻機動隊』の話から、現在の文学の最前線は「小説家になろう」である、というお話につながりました。今回はそこからさらに広がり、「読者の自律性」や「読む人を増やすにはどうしたらいいか?」という課題が浮き彫りになっていきます。そのヒントは、東浩紀さんの言われる「新しい深さ」にあるかもしれない。今回も、読む人と書く人みんなに読んでほしい内容です!

●対談記事一覧
(1)「いま小説の世界で一番最先端なのは『小説家になろう』だ」(2)「読者を育てる『新しい深さ』のヒントは『けものフレンズ』!?」

(3)「読者が変われば、作者も変わる。そこに希望がある」(12/1公開予定)


こんなにも作家が多い時代ってないんじゃないか(めろん)

海猫沢めろん×ドミニク・チェン対談(2)「読者を育てる『新しい深さ』のヒントは『けものフレンズ』!?」-画像-01

ドミニク:今のお話はすごくディープだと思っています。大塚英志さん(※1)が『感情化する社会』って本を出されていたのを思い出しました。あの本がとても面白かったのは、描写なんかいらないという「ホリエモン(堀江貴文さん)的文学」の単純な批判じゃなくて、そもそも文学っていうのは形式があって、それをまず身体に染み込ませた上で、ある程度オートマチックに出てくるものだ、というところです。そのトレーニングを受けてない現代人からしてみると、昔の歌人って俳句が読めてすげぇなって思うんだけれども、実は昔の人には俳句AIみたいなものが体の中に染み込んでいるんじゃないかと。それこそ「チート」「異世界」「転生」みたいなものが。つまり、そういうタグって枕詞みたいなものじゃないですか。

※1 大塚英志(おおつか えいじ):漫画原作者、批評家、小説家、編集者。『多重人格探偵サイコ』などの原作、『物語消費論――「ビックリマン」の神話学』などの批評、『物語の体操』などの創作論、民俗学者・柳田国男の研究など活動は多岐にわたる。

めろん:そうですね。それって松岡さんが言われている守・破・離の話ですよね。僕の師匠に言われたことですごい印象に残っているのが、僕のめちゃくちゃなデザインに対して「君のことはすごいわかるよ。でも表現というのはまず型があるんだ。型を守らなきゃいけない。君は型破りなことがしたいんだろ? でも型破りなことっていうのは型がないと破れないんだよ。そうじゃないとカタナシになるんだよ」って言われて、おお、すごいなって(笑)。

ドミニク:でもそう考えると当然というか、腑に落ちますね。ピッチャーが常に変化球を投げてたら相手に癖を読まれて打たれまくっちゃうんだけど、基本形がすごくできている中でときどき変化球投げるからこそ変化球なんだって話とも通じるし。そういう意味で言うと「なろう」っていう基本形のある文化のなかで、もしかしたらめちゃくちゃ表現の敷居が今は下がってるとも考えられる。

めろん:それはそうなんですよね。僕も、こんなにも作家が多い時代ってないんじゃないかと思いますよ。

問題は、読者のほうがいない、ということなんです(めろん)

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ドミニク:ですよね。だから人によってはその状況を見て「インターネットっていうのはただ世界中でゴミを増やしただけだ」って言う人もいるんだけど僕は全然そう思ってなくて。なぜならそもそも大多数の人がアウトプットすらしてない、インターネット以前の状態とは比較もできないと思っていて。

めろん:でもそこには問題が1つあって。確かにクリエイションが増えたのはそうなんです。問題は、読者のほうがいない、ということなんです。クリエイターのほうが多いんですよ。これをどうするかっていうのが問題で、どうしたら読者を増やせるかを考えています。例えば文学賞とか新人賞の下読みをしていて思うのが、「なぜこの人たちは本を読んでいないんだろう」ということ。たくさん応募があって、100とか200作品読めって言われたら普通読めないですよね。でも選ぶのはすごく楽なんです。なんでかっていうと、本を読んでなくて文章が壊れている人が圧倒的に多いんです。これは受賞できないことがすぐわかる。だから読者が育っていないっていう印象です。

ドミニク:なるほどね。「なろう」のクオリティは知らないんだけど、それはどうなんですか?

めろん:「なろう」はクオリティがピンキリですね。どの作品もある程度のテンプレがあるので読みやすい。ただ、重厚できっちりしたものよりも、下手でも簡潔なもののほうが読みやすいんです。なぜかというとこれは、文化人類学の、言葉の進化――伝言ゲームみたいなことなんですよ。長い言葉を何百人でずっとやるんです。で、最後にその言葉がどう変化してるかを調べる。結果がどうなってるかというと、たいてい間違った言葉になってるんですよ。全然違うんだけど、すごく短い言葉になってしまう。この短くなっているというのがポイントです。

ドミニク:ノイズが捨象されているってことですよね。

めろん:そうなんです。SN比(※2)の問題なんですよ。SN比が低くなっている。エッセンスみたいなものは残っているけど、短くなっている。そういう圧縮されたものになっているってことが重要で。「なろう」でも、やっぱりそうなっちゃうんですよ。下手なものでも、快楽みたいなものはあるんですよ。ただ伝達形式自体の長さや、美しさ、形式自体が壊れていくんです。内容のエッセンス自体はミーム(※3)みたいにずっと残っているから、ある程度文体がおかしくても、読める。タグのような型を使うことによって。情報をフィルタリングしてる感じはしますよね。

※2 SN比:Signal(信号)とNoise(ノイズ)の比率のこと。主に電子工学や通信理論で用いられる。SN比が高いと高音質・高品質とされることが多い。
※3 ミーム(meme):「文化的遺伝子」のこと。『利己的な遺伝子』の著者で生物学者のリチャード・ドーキンス氏が提唱したとされる。

「読者の自律性」がトレードオフになっている(ドミニク)

東浩紀さんは『ゲンロン0』において「観光客の哲学」を提唱しているが、この『ゲンロンβ18』でもドミニクさんの言う「深さ」について触れている。

ドミニク:だからTwitterなどはその伝言ゲームの役割を果たしていて、いかにバイラル(※4)するかみたいなところが、作品が最終的に読まれるかどうかを決定するわけですよね。最近、ゲンロンのメルマガの冒頭で東浩紀さんが「新しい深さを発明しなきゃいけない」っていうようなことを書かれていて、ほんとその通りだなと思って深く共感しました。ここでいう「深さ」っていうのはつまりハイコンテクストで、ノイズが多くて、大塚英志さんが指摘している「ホリエモン的文学観」の対極ですよね。それはまさに「出会った」とか「スカウターが爆発した」とか「憧れのヒロインと添い遂げられた」とかそういうポイント、マイルストーンだけでいいじゃん、という考え方として紹介されています。伝言ゲームが最適化されている社会だと、当然そういうところに流れていってしまうわけです。それは最終的には、身体が反射条件してしまうようなポルノ的な情報に行き着きますね。そこで、新しい深さを考える上でもう1つキーワードがあるとしたら、ウェルビーイングの文脈の中で考えている事にもつながるんですけれども、「読者の自律性」というものが考えられないかな、と。この自律性というのは、少ない文字情報量をもとに読者が脳内で自律的に意味や価値を生成するという意味で使ってますが、これのトレードオフ関係で考えることはできるんじゃないかと思ってます。

めろん:そうですね。僕が言おうとしていたことも、つまり読者のデコード(※5)能力に依拠していて、圧縮されたものを解凍する能力によって、引き出せる情報が変わってしまう……ということなんです。今は解凍能力を持っている読者が減っている。高性能な解凍能力持ってる人はすごくちゃんと引き出せてるんだけど、「なろう」の小説なんかはものすごい圧縮率になり過ぎていて、ここから表層の部分しかとらないって人が増えちゃったら問題だなと思うんです。僕がかつてそういう読者だったのでよく分かるんですよ。オタク文化って、その裏にものすごくいろんな文脈とかあるわけですよ。「ガンダム」(「機動戦士ガンダム」)とかもそこが僕はダメで、だから「ガンダム」観てないんです。

ドミニク:へえ! そうなんですか。

めろん:僕の世代のオタクで「ガンダム」観てないって結構珍しいんだけど、なんかこの裏には中東の問題とか戦争の問題とか……大人が言っているようなややこしいことがありそうで、「これめんどくせえからいいや!」って。それよりも、美少女が出てきて「萌え」っとするだけでいいやって思っていたから、そればっかりを摂取し続けた結果、非常に低いデコード能力になってしまい、後々困ることになったんですけど(笑)。で、デコーダーをもう一回作り直したんです。

ドミニク:そのデコーダーはどうやって作り直したんですか。

めろん:それはやっぱり、例の師匠に作り直してもらったっていうっていう部分はありますよ(笑)。

※4 バイラル:ここでは「口コミ」のこと。
※5 デコード:おおざっぱに言うと、ファイル解凍ソフトにおける「解凍」のこと。

読む行為には、咀嚼して体の一部になっていく感覚が確実にある気がしている(ドミニク)

――ドミニクさんが言われている「読者の自律性」って『電脳のレギリオ』とか「DOTPLACE」で連載されていた「読むことは書くこと」(「読むことは書くこと Reading is Writing」)にも共通していることですよね。

ドミニク:そうですね。その表現における思考の自律性という僕の発想のきっかけが何かっていうと、ゲームなんですよね。僕は物心がついた子どもの頃、スクエニ(「スクウェア・エニックス」)作品で育ったみたいなところがあって。「ドラクエ」(「ドラゴンクエスト」)と「FINAL FANTASY」(※ドット絵を手がけられた渋谷員子さんの記事もせひ読んでください)ですよね。僕が4歳くらいのときに「ドラクエ」が出て、日本語のひらがな・カタカナは「ドラクエ」で覚えたんですよ。そしてティーンになってから、90年代後半に『ゲーム批評』(※6)って雑誌を読んで。

めろん:ああ、僕も読んでました。広告がなかったんですよね。めっちゃ好きだったなあ。

ドミニク:そうそう、いま思えばハードコアな雑誌でしたね。僕が読んだのはプレイステーションで「FFⅦ」が出た辺りなんですが、そこでスクウェア批判が書いてあって、「修学旅行ゲームだ」みたいな話があって。

めろん:基本は「おつかい」をこなす一本道ですよね。

ドミニク:そうですね。一本線の話で、ボス倒すとムービーが流れて……みたいなそういう話だったんだけど。それと関連して、より本質的には、情報量がきめ細かくなったと同時にそこに感情移入できる隙とか余白みたいなものがどんどん減っていったよねっていう話があったんですよね。たしかに「FF」は僕は初代からリアルタイムでプレーしてるんですが、シリーズのなかでは「FFⅡ」が一番好きなんです。ゲームをはじめるといきなり圧倒的な強さの敵に全滅させられたり、最初の城から南に向かうとゲーム終盤の雑魚キャラに全滅させられるし、登場キャラはどんどん死んでいくし、子供心に世界の厳しさを教えてくれましたね(笑)。ファミコンという限られたグラフィックや音の表現能力で描かれた世界は、プレーしてるあいだに脳内でイメージを補完する余白にあふれていたと思うんです。
ゲームの世界では「ローレゾ(※7)」を巡る議論が波のように周期的にときどき起こるんですよね。今もゲームのトレンドを横目でウォッチしてるんですけど、すごくハイレゾな方向の進化と、すごく極端にローレゾのグラフィックで新しいことを表現しようとするみたいなものがせめぎ合っているように見えますね。それ自体はとても面白い状況なんですが、例えば小説を読むことと小説の映画版を観ることって、そもそもメディアの体験として異質なので単純な比較はできないと思うんだけど、読者の自律性の発露みたいなところをもって評価する軸ってあり得るんじゃないかなとずっと思ってるんですね。

めろん:読者をもとに評価する、と。

ドミニク:はい、読者がいかに物語世界の生成に能動的になっているかということです。たとえば映画だと想像しやすいと思うんですけど、いわゆるハリウッド映画と、ヌーヴェル・ヴァーグのゴダール(※8)みたいなタイプの映画みたいなものと2つあったときに、後者は観ていて眠くなるわけですよね(笑)。何が起こってるか何も説明がない、まったくわからん……ぐぅ……みたいなね。でも1回そこでハマると観る人が、映画を観ると同時にアクティブに脳内で生成する情報量がめちゃくちゃ多くなって、それって自分の意識と向こう側からやってくる表象が結合できるみたいな、その隙みたいなものがちゃんとあるなって思うんです。片や、例えばピクサーのすごくよくできた映画とかを観ると、僕も「これ面白いな」って身体が反応するけど、自分が関与した度合いがすごく少ないので、すっと入ってすっと出ていくみたいな、「読んだ感がない」って感じですかね。『電脳のレリギオ』でも書いたことですが、読む行為には、咀嚼して体の一部になっていく摩擦感覚が確実にあって、読みながら脳内で書きだすというプロセスが走ってる。そのプロセスを定量的に扱ったり可視化したり術っていうのはまだないのですが、そこをテクノロジーを使いながら捉えたい。

※6 『ゲーム批評』:その名の通り、ゲーム批評誌。マイクロマガジン社がかつて発行していた。
※7 ローレゾ:「ローレゾリューション(Low Resolution)」=「低解像度」のこと。高解像度=「ハイレゾ」と比較して使われる。
※8 ゴダール:フランスの映画監督、ジャン・リュック・ゴダール。「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」「中国女」などで世界的に有名。

自分の経験や日常と、哲学者が言ってることをつなげると理解しやすい(めろん)

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めろん:昔ある時期にインタラクティブって言葉がすごく流行ったときがありましたよね。そのときにみんなが映画に求めてたのってそういうことだと思っていて、みんなが同じものを観ているのにそれぞれ情報が違うとか、あるいは自分の操作によって選択肢が選べるとか、そういうインタラクティブムービー。でも結局流行らなくて。

ドミニク:それは全然インタラクティブではない気がしますね。選択肢を選ぶって物語の構造自体を変えちゃうことですからね。最近、能の地謡(※9)を安田登さん(※10)に稽古してもらっていて、こないだも広尾のお寺でバックコーラスのようなことをやったんです。実は江戸時代以前の能ってスピードがめちゃくちゃ早かったらしくて、今の2、3倍のスピードで謡ってたらしいんですね。それで普通に謡うバージョンの後に、そのスピードを再現しようってことで、いとうせいこうさんが3倍速くらいの、もはやラップになった謡(うたい)のバックコーラスに僕も参加して。それをやっていてすごく面白いなって思ったのが、まさに能はゴダールの映画的で、何言ってるか分からないし暗いし動きが少ないんだけれど、いったん脳がカチッとロックインすると時間の流れを忘れてそこにずっと意識を投影し続けてるようになるんですよ。いま自分が観ている舞台の動きに感化されて何か個人的なことを思い出していて、それをずっと自分の脳から舞台に向けて投影してそのフィードバックをずっと楽しむみたいな。

めろん:すごい! でも高度だなあ! そもそもそれは自分のデータベースを投影しているわけじゃないですか。そのデータベース自体がない人が多いんじゃないかと思うんです。そうすると教養の問題になってくる。投影するものが何もない人だっているかもしれない。でも、何かきっかけを作ればつながっていくというのも真実だと思うんですよね。教養っていうと系統だててインストールされるっていうイメージだけど、そういう意味で言えばぼくはアカデミックな教養がまったくないんですよ。だけど、あるときに「こういう風に自分の経験や日常と、哲学者が言ってることをつなげると理解しやすいんだ」ってことが分かったんです。それこそ師匠から学んだことかもしれない。それもやっぱりコツですよね。

ドミニク:それこそがさっきから話している、読む人を増やすことのヒントになるだろうし、たぶん大学とか教育がやるべきことの本質がそこにつき詰められる気もするんですよね。

※9 地謡(じうたい):能の「地の文」にあたる部分や、それを謡う人たちのこと。
※10 安田登(やすだ のぼる):能楽師。テクノロジー、ゲームなどにも造詣が深い。安田さんの著書『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」』は、めろんさんのコラム「ひらめけ!視点塾」第5回で取り上げた。http://eonet.jp/zing/articles/_4101224.html

読者を育てるにはどうしたらいいんだろうって考えちゃいましたね(めろん)

海猫沢めろんさんの「電遊奇譚」へのツイート

めろんさんがRTした、藤田祥平さんのIGN JAPANでの連載『電遊奇譚:其十三』。2017年11月8日時点で12,335RTされ、18,218の「いいね」がついている。
https://twitter.com/uminekozawa/status/842054629747699712

めろん:その話で言うと、最近、ライターの藤田祥平さんという方の文章を読んでいたんですが、この人がすごいんですよ。IGN JAPANっていうゲームサイトで「電遊奇譚」っていうゲームエッセイをずっと連載されているんですけど、僕がそれをRTしたツイート(※2017年3月15日のツイート)がすごくバズって10,000RTくらいされたんですよね。翻訳文体なんですよ。異常に文章がうまくて。彼は自分の体験、人生のことを語っているんだけど、その端々にすべてゲームがあるっていうのが「電遊奇譚」なんです。語られているのは日本のサブカルチャーのことなのに、まるで海外文学を読んでいるようで、すごく不思議な気分になりました。それでふと思い出したんですが、この前に僕がインタビューを受けた時に、「小説の『言語』について」みたいなことを聞かれたんですよ。そこで、僕は「小説を言葉だと思っていない」ということに気付いたんですよ。

ドミニク:ほう! それはどういうことですか。

めろん:そのまんまの意味なんです。小説を言葉だと思ってなくて。特に僕は書くときに映像であったりプロットであったり、かたちであったり、感覚であったりっていうものでしかなくて、言葉がずっと後にあるんですよ。

ドミニク:言葉からスタートしていないってことなんですね。

めろん:そうなんです。たぶん作品の作り方ごとによってこれは変わるんですけど。で、その藤田祥平さんの原稿を読ませてもらったんですが、言語が空間化されているんです。ほとんどが独白なんです。その独白が海外文学っぽい語りで、地の文みたいでもあるし、すごく回りくどいし……ワンフレーズがすごく長いんです。
でも読み始めると止まらないんです。そこには映像とかではなくて、言葉の運動の快楽があるんです。言語空間だけの快楽っていうのがあって、その気持ちよさを久しぶりに味わって、小説っていうものが本当に面白いって思える作品でしたね。ヌーヴォー・ロマン(※12)とはまたちょっと違うけど、本読みが読むものというか、文章を読んでるだけで面白い。もちろんストーリーも素晴らしいんですが、文章が脳にすごく残る。

ドミニク:純文学がまさにそうですよね。

めろん:ああ、純文学ってこういうことなんだなって思いました。単純な映画とかをずっと観せたら「わーすげー脳内麻薬が出てるーすごいー」ってなって、自分を投影する必要なんてなくなる。やっぱり「なろう」の小説っていうのも、文字をなぞっていると気持ちいいことが起こるんです。でも藤田さんとかの作品を読んでて起こっていることはそういうのじゃないんです。ただ字の連なりが気持ちいいんです。ただ、なんで僕がそう感じているのかがわからないなっていうのも同時に思うんです。僕には今すごく気持ちいいけど、これは相性でしかなくて、これを気持ち悪いと思う人はやっぱり無理だろうし、まわりくどいよって思う人もいる。ぼくは、ボストン・テランの『神は銃弾』という作品が好きなんですが、文章があまりに尖りすぎてて敬遠されちゃう作品なんですよ。これは本当に難しい問題だなあ、と。読者を育てるにはどうしたらいいんだろうって考えちゃいましたね。偶然の出会いに頼るのでは追いつかないでしょうし。だってインターネットってそういうシステムだったはずじゃないですか。偶然性をもっと増やすはずだったのに、でもそうなってなくて、やっぱり人は面倒くささを捨てていく。便利、かつ面倒くさいみたいなことを設計しないと難しいんではないかなと。

※11 ヌーヴォー・ロマン:直訳すると「新しい小説」のフランス語。第二次大戦後にフランスで生まれた小説群の特徴を指す。クロード・シモン、アラン・ロブ=グイエなどが代表的な作家。物語によらず意識の流れの記述に集中するなど、実験的な作風が多い。

文学や小説の面白さはメタゲームであるってことです(めろん)

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ドミニク:だからその中間を担う読者がいないと、そういう「便利かつ面倒くさい」も育たないということですよね。僕もこの4月に文系の学部で教えるようになって、学生たちと文学談義とかしているんです。

めろん:どうですか。どんな本を読んでるんですか、今の学生は。

ドミニク:amuのイベントでやった、「未ブリオバトル」っていうのを学生たちにやらせていて、どういう本を読もうとしているのかという話をしてたりすると、ファンタジーから純文学、ミステリーからラノベまで、いろんな形式を読んでいてすごく面白いですね。あとは伊藤計劃を高校時代に全部読みましたみたいな学生がいて……。

めろん:全部って3冊か4冊だろ、みたいな(笑)。

ドミニク:まあ、そうなんですけど(笑)。でも結構なSF読みもいるんですよ。今はまたSF好きが多くなってきているのかもしれないですね。

めろん: SFは今、本当に面白いものをかく人が出てきていますよ。やっぱり今の時代性に合っているんだと思います。現実が追いついたんでしょうね。SFの感覚に。

ドミニク:とはいえ、同時にめろんさんの小説でもテーマになってるかと思うんですけど、なかなかSF作家が現実のAIの開発速度に追いつかないみたいなところが言われたりしてるのを聞くと、本当か?とか思います。そこらへんってどう思いますか?

めろん:若手の作家、何人か知り合いがいるけれども、AIの問題っていうのはそんなに脅威ではないのかなあと思います。小説にとっては。いちばんコミットしている人で言うと、長谷敏司さん(※12)。長谷さんは人工知能学会の倫理委員会にも入られていますね。松尾豊さん(※13)がやっているような。いまのSF作家の人たちはAIについてすごく勉強されています。僕も松尾さんにインタビューしにいったりしたんですけど、「AIに小説を書かせるのが一番難しい」って話が常に出てくるんです。それはそうだろうなと。

ドミニク:それはどういうことからそう思われるんですか?

めろん:若林恵さんとドミニクさんの対談の中で、『遠読』(『遠読――<世界文学システム>への挑戦』)の話が出たじゃないですか。あれ僕も読んだんですけど、「めっちゃ意味ないことしてるんじゃないかな感」がハンパない本なんですよね。すごくいろんなデジタルテクノロジーを使って本を解析するっていう。今、AIに小説を書かせるアプローチってわりとあるんですけど、ビックデータの時代になって定量分析とかをやり始める人がいますよね。あれでいうと、昔読んだ面白い論文をいまだに覚えていて、夏目漱石の『こころ』と『恋空』を定量分析して、語彙がどっちが多いかを調べる研究をしている人がいたんです。結果『恋空』のほうが語彙が多いんですよ。でも、それって面白さとは関係がないよな、と。面白さって幸せとかと同じで、人間の脳内麻薬を出す部分だから、そこは難しいですよ。だからポルノが一番やりやすくて、七度文庫(※15)とか、昔からあるランダムジェネレーターのほうがよっぽどうまくできているんですよ。よく僕が言うのは、文学や小説の面白さはメタゲームであるってことです。今までこういうのがあった、じゃあ今度は逆にいこう、その次は逆にこう……みたいな。その基盤になる主流みたいなものをみんなが認識したなと思ったそのキャズム(※16)も超えるか超えないかみたいなところでそのメタを出さないと、意味がなくて。その前に出しちゃうと見向きもされない。ある程度の量がたまってからここであふれるくらいのところでいかないと。そのタイミングが重要。こうしたルールベースじゃない人間だけの感覚というのはAIにはたぶん理解できない。というか、そもそもプログラミングする方法がない。
※12 長谷敏司(はせ さとし):小説家。『円環少女』『BEATLESS』などのSF作品が多い。短編集『My Humanity』は秀逸。
※13 松尾豊(まつお ゆたか):『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』の著者で、東京大学大学院で人工知能の研究を行う。人工知能学会委員長。
※14 七度文庫(ななたびぶんこ):官能小説自動生成ソフト。
※15 キャズム:マーケティングなどで用いられる、もとは「溝」「隔たり」を意味する言葉。新しい商品のシェアを市場で伸ばしていくときに超えがたい溝のこと。

新しい「深さ」を考える、そのヒントは「けもフレ」?

めろんさんの『ワールズエンド×ブックエンド』はアンソロジー『本をめぐる物語 小説よ、永遠に』に所収。

――めろんさんはAIがどんどん小説を書いていく作品、『ワールズエンド×ブックエンド』なども書かれてますよね。あれって最終的にはどんどんAIが現実の文書も書き換えたりしていくお話ですよね。

めろん:はい。結局、コンピューターがこの世界をシミュレートできるなら、AIが小説を書くことも可能だと思っているんですよ。先が読めるから。バーチャル空間におけるコンピューターが小説を書くのだったらあり得るのかもしれないけど、それはバーチャル空間による貨幣高権をコンピューターが勝手にいじっているようなもんで、ある意味反則ですよね。

ドミニク:いくらポルノ化が進むとはいえ、全てがそうなるとも思えないんですよね。その意味で、さっき言った東さんの「新しい深さ」って設題はこのタイミングで、僕のハートを直撃しています(笑)。たぶん、今までの浅い/深いっていう対比で言ったら、純文学的なものは深い、「なろう」系は浅い、みたいな話になっちゃうんだと思うんですけどね。その内実っていうのはハイコンテクスト性というか、一つ根っこの芽がここに出ていて、さらにその根っこから違うところにつながって呼び込める……っていう深度のことを「深い」って呼んでるんだと思うんですけど。

めろん:じゃあその新しい深さっていうのは、系統樹的なものの対比じゃなくて、マインドマップみたいなことなんですかね? バラバラにつながるっていう。

ドミニク:そうですね。そっちのほうがWeb的なわけですよね。だからその前バージョンの「深い」っていうものにもう1つ形容詞を付けるとしたら、たぶん「重い」っていうことかもと思ったんですね。つまり知識量として重さを得ないと、深いところに行けないっていう。だけど、そうじゃない新しい深さの形容詞から考えてみると、じゃあ「軽い」深さってなんだろう。

めろん:軽い……軽い「浅さ」、軽い「深さ」?

ドミニク:深いんだけど、軽快みたいな。

めろん:新しい、「軽い深さ」って「けものフレンズ(※16)……みたいなことかな……。

ドミニク:ははは(笑)。あれはどう、軽く「深い」んですか。

めろん:みんな最初は、しょうもない萌えアニメだと思ってたんですよ。低予算感のある3DCGアニメだったし。しかも合間合間に本物の動物園の飼育員が出てきて「サーバルはこういう生き物です」みたいな解説をする。「なんだこの番組」って思ってたら、実は背景にSF設定があったんです、ちゃんと。実は人類が滅んでて、みたいな。

――「かばんちゃん」っていう主人公は、動物の見た目が残る他のフレンズとは違っていて、滅びた人類の人毛らしきものから再生された、一人だけいる人間らしき存在で、後半どんどん設定が明らかになってくるっていう。

放映前の期待をいい意味で裏切ってくれた、2017年のヒットアニメ『けものフレンズ』。

ドミニク:それは深いですね(笑)。

めろん:いやでもそれでいいのか(笑)。うん、でもそういうことに近いのかもしれない。東さんがやってた萌えについての考察や、セカイ系や美少女ゲームとかの話もやっぱりそうじゃないですか。見た目は美少女ゲームの萌えなんだけど、いやいやそれがもっとヤバいものがあるんだよ、と。表面的な軽さみたいなもので入る人もいるし、一方で入らない人もいる。
※17 けものフレンズ:吉崎観音がキャラクターデザインの、もとはスマホアプリが、たつき監督によってアニメ化された作品。ソフトでかわいらしい、ゆるい世界観かと思いきやハードなSF設定が話題を呼んだ。


次回、海猫沢めろん×ドミニク・チェン対談(3)「読者が変われば、作者も変わる。そこに希望がある」に続きます。公開をお楽しみに!

  • ドミニク・チェンさん
  • PROFILE

    ドミニク・チェン

    1981年生まれ。フランス国籍。博士(学際情報学)、2017年4月より早稲田大学文学学術院・准教授。NPOコモンスフィア(クリエイティブ・コモンズ・ジャパン)理事/株式会社ディヴィデュアル共同創業者。2008年IPA未踏IT人材育成プログラム・スーパークリエイター認定。2016年、2017年度グッドデザイン賞・審査員「技術と情報」「社会基盤の進化」フォーカスイシューディレクター。
    主な著書に、『謎床:思考が発酵する編集術』(晶文社、松岡正剛との共著)、『電脳のレリギオ』(NTT出版)、『インターネットを生命化する プロクロニズムの思想と実践』(青土社)、『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』(フィルムアート社)等。訳書に『ウェルビーイングの設計論:人がよりよく生きるための情報技術』(BNN新社、渡邊淳司との共同監修)、『シンギュラリティ:人工知能から超知能まで』(NTT出版)。

  • 海猫沢めろんさん
  • PROFILE

    海猫沢めろん

    高校卒業後、紆余曲折を経て上京。文筆業に。『左巻キ式ラストリゾート』でデビュー。『愛についての感じ』で第33回野間文芸新人賞候補。他に『零式』、『全滅脳フューチャー!!!』、『ニコニコ時給800円』 、『夏の方舟』などがある。小説以外でも、エッセイ『頑張って生きるのが嫌な人のための本~ゆるく自由に生きるレッスン』、ルポ『明日、機械がヒトになる ルポ最新科学』など多数。 ボードゲーム、カードゲームなどのアナログゲームを製作するユニット「RAMCLEAR」代表。

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