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桑田自身未だに、「巨人だったらプロ、それ以外だったら早稲田に進学しようと思っていた」と当時のことを語っているが、これは違うと思う。 ドラフト三日前、マスコミを避けてPL病院の院長室に飯田修早大監督、中村順司PL監督、関西在住の早大OB、それに桑田のお母さんが集まって最後の早稲田進学意思確認が行われ、「早稲田の入学金は母親の実家が出す」「授業料、寮費などの生活費は関西在住のOBが面倒見る。その代わり卒業後プロに入った時には契約金から返す」という結論に達した。 既に桑田自身も受験票を提出しており、誰もが早稲田進学を信じていた。 ところがドラフト会議で巨人が清原でなく桑田を1位指名。 すったもんだの挙げ句、桑田本人が飛行機で上京(この時羽田に迎えに行ったのが加藤正樹)、飯田監督、長船連盟事務局長に入試辞退を伝えた。 PL中村順司監督は指導者としての責任を感じて辞意を表明。(後に慰留される) 入試当日清宮克幸の斜め後ろに空席があった。桑田の席だった。 ここからは私の推測だが、当時巨人軍の関西駐在スカウト部長の子息がPL野球部員で父母会では父親と月に一度顔を合わせていた・・・。 父親とは某氏の紹介で挨拶を交わしたことがあるが、「息子をヨロシクお願いします」とペコペコ頭を下げられたことを覚えている。 当時桑田家の家庭内ではまともな会話もなかったのかもしれない。(後に両親は離婚) 巨人軍関西駐在スカウト部長とは懇意にしており、先日久しぶりに自宅に連絡したところ、奥さんが出られて「大変申し訳ありませんが、主人は三年前に脳梗塞を患い電話に出ることが出来ません」ということだった。 父親も亡くなった現在、真相は藪の中となってしまったが、PL病院での結論は当然母親から桑田本人にも伝えられたはずである。 幼い頃祖母(母方)の「都の西北」が子守唄(祖父はWASEDA卒)だった桑田だから、自身プロ引退後も早稲田への想い捨てがたく「院」に入学したのだと思う。 今日のようにプロ志望届の制度があったら桑田真澄は間違いなく早稲田に進学していただろう。 時代背景も見捨ててはならない。 *5月8日に本人から直接聞きました。 大変な背景があったのです。 |
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