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金融危機
20年
今、語る 悔恨の念と教訓

1997年11月、日本経済を混乱に陥れた未曾有の金融危機から20年。今週は、経済史上に残る金融危機が何を教訓として残したのか、今、日本経済に危うさはないのか、5回シリーズで考えます。

当時、経済の根幹である金融システムは「山一証券」や「北海道拓殖銀行」の相次ぐ破綻で大きく揺らぎ、「次に危ない金融機関はどこだ?」「自分の預金は大丈夫なのか?」と、金融機関に対する疑心暗鬼が広がりました。

シリーズ2回目は、その時、証券業界で危機の伝播を食い止めようと奔走した証券大手幹部、そして、なぜ危機を食い止められなかったのか、悔恨の念とともに答えを探し続ける元日銀幹部の2人です。
(経済部記者 大江麻衣子 櫻井亮)

相次ぐ証券破綻 危機波及の恐怖

「大和証券グループ本社」の日比野隆司会長。1997年の金融危機の際はまだ40代で、経営の中枢を担う経営企画部門にいました。

当時、証券業界は、総会屋への利益供与事件という前代未聞の大スキャンダルが発覚し、4大証券の経営トップが相次いで辞任するなど、混乱を極めていました。

そのショックが冷めやらぬ中で、三洋証券、そして山一証券が相次いで破綻し、未曾有の危機に突入したのです。

(動画53秒)

「山一が自主廃業を発表したあと、会社に集まって週明けからの対応を協議しましたが、どの程度の影響が及ぶのか正直よくわかりませんでした。実際には、影響は想定以上で、特に株式市場では『次は大和が危ない』という話が出回り、株価は700円台から300円台まで急落しました。株式市場に潰されるのではないかと、かなりの恐怖でした。日本の金融機関に対する信用低下から、より高い金利でないとドルを調達できないジャパンプレミアムがまん延し、年末には資金繰りが危機的な状況となり、年を越せるかどうかという状態でしたーーー」

大手金融機関の“不倒神話”の崩壊。そして、信用不安に伴う資金繰り不安ーーー。危機の連鎖がもたらす市場の圧力に、得も言われぬ恐怖を覚えたと日比野さんは当時を振り返ります。

波及回避に「信頼の構築」

日比野さんは自室のキャビネットに1冊のファイルを大切に保管しています。
当時、自社への危機の伝播を食い止めるために、みずからがリーダーを務めた特命チームが練り上げた中期経営計画です。

「危機を乗り越えるため、会社は生まれ変わらなければならない。いわば『第2の創業』と位置づけてこの経営計画を作りました。最初のページにはこれまで会社になかった企業理念を明示し、そのいちばん上に掲げたのは信頼の構築という言葉です。今となっては至極当然のことですが、会社が生まれ変わるため、きちんと明示しておく必要があると考えたのです」

金融危機を経て刻み込まれた信頼の構築は、その後、日比野さんが経営トップとして組織をマネジメントしていくうえでの原点となりました。

風化させない

「横並びの利益競争」や「手数料重視」のビジネスモデルからの脱却。「透明性の高い組織づくり」と「コンプライアンスの徹底」ーーー。会社は経営計画を原点に改革を重ね、金融危機や金融自由化のもとでの、その後の厳しい競争の時代をくぐり抜けてきました。

平成23年から6年間社長を務めた日比野さん。今も社内会議や社員研修の場で「顧客の信頼あってこその企業だということを忘れてはならない」と繰り返し訴え続けています。

(動画36秒)

「あの危機を知る人は決して忘れることはないと思いますが、これから世代を超えて教訓を伝えていかなければいけません。顧客本位、社会からの信頼は企業存立の大前提で、それがなければ消え去るのみということを伝え続けなければいけないと考えています」

実情を次世代に

なぜ、金融危機を防げなかったのか。当時、政府・日銀で金融システムを守る立場にあった関係者の中には、今なお、答えを探し続けている人がいます。元日銀幹部の和田哲郎さんもそのひとりです。

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「当時は、大手の金融機関の破綻というかつての常識ではありえないことが起きたことに驚いた。そして、金融システムが揺らいだ時の恐ろしさを目の当たりにしたーーー」

そう話す和田さんは金融危機を検証し、その実情を次の世代に伝えようと関係者を訪ね歩き、本に書き残そうとしています。

打てる手はあったのか

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11月中旬、和田さんは金融危機発生の直前まで旧大蔵省で銀行局長を務めていた西村吉正さんのもとを訪ねました。

20年前の金融危機当時は、今のように経営が悪化した銀行に公的資金を投入して資本を増強し、破綻を食い止める制度はなく、金融システムの動揺を抑えるセーフティーネットが不十分だったと指摘されています。

より早い段階で公的資金を投入して危機の拡大を少しでも抑えることはできなかったのか。西村さんはバブル崩壊後の地価急落で金融機関の不良債権が想定を超えるスピードで膨らんだこと。そして、金融危機に先立って噴出した旧住専・住宅金融専門会社の処理で6800億円余りの公的資金の投入が厳しい世論の批判を招いたことで、銀行への公的資金の投入議論を進められなかったことなどを挙げました。

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「私が担当している頃から、大手の銀行に不良債権の問題があることはわかっていたが、経営破綻に至るまでになんとか自分たちで工夫できるだろうと見込んでいた。行政として、結果的に十分対応できていなかったーーー」

西村さんは和田さんに対し、監督当局の立場にいながら問題の全体像を把握しきれず、対応が後手に回り危機を食い止められなかったことへのじくじたる思いを語りました。

日本経済に危うさはないのか

金融危機の検証作業を通じ、和田さんが得た教訓があります。

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あれから20年。日本の金融機関は危機の元凶となった不良債権問題を克服し金融システムは安定を取り戻しました。また、経営が悪化した金融機関に公的資金を投入する制度など、危機を未然に防ぐためのセーフティーネットも整備されてきました。

その一方で、長期化する大規模な金融緩和で市場にマネーはあふれかえり、国の借金も1000兆円を超えてさらに膨らみ続けるなど、20年前にはない状況が確実に進行しています。

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「目の前にある経済指標を分析する時、その数字を当然のことと思わないで、謙虚な気持ちで向き合わなくてはいけない。どうしてこうなるのか、先行きはどうなるのか、常に自分に問い質して、予兆が感じられた時にはいち早く手を打つことが大事だ」

未曾有の金融危機から20年。今の日本経済に危うさはないのか。和田さんはみずからに問いかけるとともに、経済のかじ取りを担う政府・日銀の当事者に対し、危機の予兆を決して見過ごさず、いざという時は果断に対応してほしいと訴えます。

大江麻衣子
経済部記者
大江麻衣子
平成21年入局
水戸局、福岡局を経て経済部
現在、金融担当
櫻井亮
経済部記者
櫻井亮
平成24年入局
宇都宮局を経て経済部
現在、東証・証券業界担当

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