MUSIC TALK

デビューから10年。新作は、今が詰まった“箱庭” コトリンゴ(後編)

  • 2017年11月28日

撮影/山田秀隆

 昨年公開された映画「この世界の片隅に」は、戦時中を生きる普通の人々の暮らし、心の機微を描き出し、多くの感動を呼んだ。そしてその世界観を、繊細で優しく、ときに切なく、音楽で表現したコトリンゴさん。劇伴の仕事の難しさ、それを経て生み出したニューアルバムにかけた思いとは。(文・中津海麻子)

    ◇

(前編から続く)

本当に坂本龍一さん……?

――坂本龍一さんに見いだされたことが大きな転機になりました。そこからデビューまでの道のりは?

 坂本さんのラジオのオーディションコーナーで曲を取り上げていただき、ディレクターさんからは「教授がとても興味を持っていますよ」と言ってもらいました。でも、坂本さんご本人とはお会いしてなくて、母に話すと「あなた絶対だまされてるわよ!」(笑)。そんなとき、mixiで「この曲いいですね」とメッセージが来て。文章の最後に”坂本”と署名がありました。なぜか私は高校時代の坂本先生からだと思い、なんで? ラジオ聴いたの? 怖い怖い!って。すごく厳しい先生だったので慌ててしまい……。でも冷静に考えたらそんなわけない。そうか坂本龍一さんか! とようやく気づきました。

 その後、「事務所に遊びに来ませんか?」と誘っていただき、それでもまだ半信半疑で指定された場所に赴きました。そこでようやくご本人にお会いして、「よかった、だまされてなかった」とひと安心(笑)。私の曲については、「のびのびしていていいですね」と言っていただきました。そして、坂本さんがプロデュースする「ロハス・クラシックコンサート」というステージに誘っていただき、2006年、東京で開催されたそのステージに出演しました。

シンガー・ソングライターか、ピアノの先生か

――シンガー・ソングライターとしてやっていく、という決心はできていたのでしょうか?

 実は迷っていました。バークリー音楽大学を卒業後、子どもにピアノを教えるアルバイトをしていたのですが、当時の上司が移住することになり「教室を継がないか」と打診されていて。ピアノの先生になるかシンガー・ソングライターに挑戦してみるか……。そんなことを考えながらレッスンをしていると、たまにぼんやりしちゃうことがあった。こんな生半可な気持ちでは子どもたちにも失礼だし、本当にやりたいことがあるなら思い切ってそちらに進もう――。歌はちゃんとやったことがないので不安はありましたが、自分の音楽をやっていく道を選びました。

 そして、06年11月にシングル「こんにちは またあした」でデビュー。レコード会社から帰国してほしいと言われたので、しばらくは行ったり来たりしながら、07年4月に帰国し、拠点を日本に移しました。

――「こんにちは またあした」は「月桂冠・つき」のCM曲に起用され話題に。シンガー・ソングライターとして歩みはじめ、いかがでしたか?

 もう大変でした。人前で歌ったことがなかったので不安だし、打ち込みで作り上げた世界観をライブでどう再現すればいいのかがわからなくて。自分一人でステージに立つ自信がまるでなく、「一人はヤダ、バンドでやりたい!」と駄々をこねて。マネジャーさんに「だってコトリンゴは一人でしょ!」ってよく言われていました(笑)。

 実際、ライブではうまく表現できず、何度も突き落とされました。だから、ライブはずっと苦手だった。でも、3枚目のアルバム「trick & tweet」を出したとき、レコード発売ライブをドラム、ベース、ギター、チェロの方々とunitというライブハウスでやったのです。自分の部屋で打ち込みで作った“小さな世界”を、こんなふうに演奏してくれる人がいて、そして何よりたくさんの人が見にきてくれて、なんて幸せなんだろう……と。うれしい気持ちや感謝の思いでいっぱいになり、そこからライブがすごく楽しくなりました。

  

映画「この世界の片隅に」の劇伴を担当して

――シンガー・ソングライターとしてだけでなく、ほかのアーティストへの楽曲提供、アレンジ、アニメやCM、映画の劇伴など、活動の幅がどんどん広がっていきました。特に、昨年公開され異例のロングヒットとなった「この世界の片隅に」の音楽は、映画が話題になったこともあり大きな注目を集めました。

 私が音楽を担当することになった時点で、色がついた動画はまだ予告編に使われていた箇所ともう少しぐらいで、あとは鉛筆の下絵をつないで映像にしたものや絵コンテという状況で。それを見ながら曲を作っていくというのは初めての体験でした。

 もう一つ初めてだったのが、監督と直接お話ができたこと。通常は音響監督を通じて監督とやり取りすることが多いのですが、片渕須直監督は自身が音響も担当されていたんです。監督はアニメの制作が大変でなかなか音楽にまで手が回らなかったし、間に入って話をかみ砕いてくれる人がいなかったから、大変なことはたくさんありました。でも監督の思い、考えをじかに聞けたのはすごくよかったなぁ、って。

 とにかく、片渕監督のものづくりに対する情熱と執念に圧倒されてしまって。アニメはどんどん書き足していけるので、映画が公開されたあともDVDが出る直前まで作業していらして、そういう姿勢はすごく見習いたいと思いました。坂本(龍一)さんもそうですが、細部にまでとことんこだわっている。私はついつい周りの雰囲気や締め切りなどに流されてしまいがちなんですが、作品のことを一番に考えて、最後までこだわる情熱や執念は持つべきなんだな、と。今回の劇伴の仕事を通じ、そういう人になりたいと強く思いました。

ニューアルバム「雨の箱庭」をリリース

――そうした経験を経て、11月にはニューアルバム「雨の箱庭」をリリースしました。どんな思いを込めましたか?

 今までいろんなことをやらせてもらってきて、葛藤もありました。ピアニストとしてもっともっとやるべきことがあるのに、作曲やアレンジの仕事に入ってしまうとピアノの練習ができなくなり、ライブからも遠ざかり、その狭間でどうしてよいのかわからなくなることがあった。どれか一つにしぼったほうがいいのかな、と思ったことも。でも、今はそれぞれのことをそれぞれのスピードで育てていければいいと思えるようになりました。その「少しずつの成長」が、遠目から見たら一つの世界になっていたらいいな、って。それが「箱庭」のイメージと重なりました。

 今回は、比較的自由に作ってよかったのですが、それでも聴いている人から離れるようなものは作りたくなくて。パッと聴いて親しみの持てるものではありたいけれど、深く聴いても楽しめる、ずっと大切にしてもらえるように丁寧に作りたかった。そして、今までやってきたことを全部生かせたらいいな、と。欲張りなんですが(笑)。「この世界の片隅に」から聴いてくださった方にも、これまでも好きで聴いてくださった方にも気に入ってもらえたらいいなと思っています。

11月8日にリリースしたニューアルバム「雨の箱庭」

時が経つにつれ、しっくりこなくなったもの

――リリースに際し、「デビューしてから好んで使っていた音色や音楽が、時が経つにつれて何となくしっくりこない感じがしてきたことも大きくて」と語っています。具体的にはどういうことだったのでしょうか?

 ファーストアルバムと比べると歌い方も全然違う。声も、これでも少し低くなりました(笑)。使う言葉や世界観も、以前はホワホワしていてちょっと夢見がちだったんですが、お洋服と一緒で「これはもう着られないかも」という感覚がすごくあって。打ち込みメインで作った曲がなんとなくしっくりこなくて全部生楽器に変えたいと思ったり、英語の歌詞をつけていた曲を日本語にしてみたり。今回のアルバムも、「今の私は何を歌いたいだろう?」と考えたときに、背伸びも飾りもしないリアルな感じにしたいなぁ、って。

――思い描いたような詞が書けた?

 結構悩みましたが、表現できたと思います。たとえば「to do」という曲。大人っぽい雰囲気で、音数が少なめのかっこいいサウンドになっているのですが、じゃあこれになんの言葉を乗せよう、と。そのときの私は、やらなければいけないことがたくさんあって、一つひとつこなしながら毎日を慌ただしく過ごしていました。それをそのままリアルに描いてみたんです。おもしろいバランスの曲になったな、と。自分ではそれがすごくうれしくて。

――今年はデビュー10周年イヤーを迎えました。シンガー・ソングライターとして、そして一人の女性として、思い描くこれからのコトリンゴさんとは?

 そうですね……。母親を見ていて思うんですが、女の人っていいな、って。みんな様々な事情や状況を抱えながらも、楽しんでいて。そのときどきの年齢や人生にしっくりくる形で、私自身キャッキャと楽しんで(笑)、そして音楽を届け、同じ女性の方にも(もちろん男性にも)共感していただけたらうれしい。「あんなおばあちゃんになりたい」と思ってもらえるような世界を紡いでいけたら、と思います。

 ただ、名前どうしましょうかね? 踏ん張りどきの40代、50代、コトリンゴのままでいいのかな? 70歳や80歳になったら、逆にしっくりくる気もするんですが(笑)。

    ◇

コトリンゴ
 1978年、大阪生まれ。神戸・甲陽音楽学院を卒業後、ボストン・バークリー音楽大学に留学し、ジャズ作曲科、パフォーマンス科を専攻。学位を取得後、ニューヨークを拠点に演奏活動を開始。2006年、坂本龍一に見いだされ、日本デビューを飾る。2017年11月8日、ニューアルバム『雨の箱庭』をリリース。現在までに、カバーを含む10枚のソロアルバムをリリースした。

 ロングヒットとなったアニメーション映画「この世界の片隅に」(2016年)の音楽を担当。第40回日本アカデミー賞優秀音楽賞、第71回毎日映画コンクール音楽賞、おおさかシネマフェスティバル2017音楽賞を受賞した。映画、アニメのサウンドトラックや多数のCM音楽を手がけるなど、クリエーターからの支持も高い。卓越したピアノ演奏と柔らかな歌声で、浮遊感に満ちたポップ・ワールドを描くアーティストとして活躍中。

コトリンゴ オフィシャルサイト:http://kotringo.net/ktrng/index.html

【ライブ情報】
《コトリンゴ 10周年記念にまだまにあいますか?&アルバム発売記念ツアー》
2017年
11月25日(土)高知・蛸蔵
11月26日(日)愛媛・松山モノリス
12月3日(日)名古屋聖マルコ教会
12月23日(土・祝)東京・恵比寿The Garden Hall
*special band ver.コトリンゴ(vo & pf)/ 鈴木カオル(drums)/ 須藤ヒサシ(bass)/ 副田整歩(sax)/ 川上鉄平(tp)

2018年
2月16日(金)兵庫・兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール
*special band ver.コトリンゴ(vo & pf)/ 鈴木カオル(drums)/ 須藤ヒサシ(bass)/ 副田整歩(sax)/ 田中充(tp)

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