逮捕された人の食事は、法律で決められた弁当が支給されることになっているからです。この弁当は「官給の弁当」=「官弁(かんべん)」と呼ばれていますが、いま地方では、その業者の確保が難しくなっています。なぜなのか、その実態を取材しました。
(盛岡放送局記者 吉川裕基)
「官弁」の厳しい現実
警察署の留置場で支給される「官弁」とはどんなものなのか。まずはそれを知りたいと、私は官弁を作っている岩手県一関市の給食業者を訪ねました。
そこで驚いたのは、官弁には特有の決まりごとがいくつもあるということでした。
まず、魚の骨や串など自分を傷つける道具になるおそれのあるものは使えません。具材を分けるカップもアルミではなく、紙カップです。
栄養管理も厚生労働省のデータに基づき男女別に徹底されています。
また、アレルギーをはじめ、外国人に多い宗教上食べられないものを除くなど、個別にも対応しています。
しかも値段は、岩手県の場合、1食415円前後。
原材料費などが上がっても、この値段はなかなか変わらないといいます。
価格を変えにくい背景には、逮捕後、検察庁に身柄が送られるまでは警察の管轄、その後は、法務省の予算が充てられるなど、縦割りな仕組みも影響しているとみられています。
依頼は原則当日
さらに、警察署から業者への依頼も特殊です。急な逮捕や釈放もあるため原則当日になるのです。どれだけ作ればいいのか事前に見通しを立てることができません。
訪ねた給食業者では、急な逮捕に備えて土日祝日と担当の職員を割りふっているということでしたが、1か月間の夕食の配達がわずか4食だったときもあったといいます。
この給食業者の東海林絹子常務は「ほとんど採算がとれない仕事だが、地域に対して役に立つのであれば、私どもはきちんとそれを全うしたい」と話します。
地方ほど業者確保は困難
こうした業者に支えられ、岩手県内では年間延べ2万5000人ほど、1日約70人が留置場の中で、欠かさず食事をとっています。
警察署と契約しているのは、大手弁当チェーン店や仕出し店、ホテルなど、さまざまですが、店自体が少ない地方では業者を確保するのが難しいといいます。
岩手県内で留置場のある15の警察署のうち、9署では入札に手を上げる業者がなく、随意契約となっています。それだけ、利益を上げにくい仕事なのです。
岩手県警察本部で留置場の管理を担当する横山厚司警部は「いつ留置場に人が入るかわからないので官弁を用意していただくのは大変なご苦労をおかけしている。食事が食べられないということはあってはならないことなので、契約した業者にお願いして提供してもらっている」と話しています。
親が亡くなった時も
33年間、官弁を作り続けてきた小さな食堂があります。内越祥夫さん(71)と妻の真紀子さん(71)の店を取材すると、さらに苦労の現場が見えてきました。
2人が水沢警察署のはす向かいに食堂を出したのは34年前。
オープンからまもなく、当時の警察署長から依頼されたのがきっかけで、1日3食、毎日官弁を届けてきました。
静岡県に暮らしていた祥夫さんの親が亡くなったときにも、真紀子さんは葬式に参列せずに配達。祥夫さんが病気で入院したときにも、真紀子さんが1人で切り盛りしてきました。
そんな内越さんの自慢料理は、大きめの具材を煮込んだカレーライスです。
長く勾留されている人の「曜日感覚」につなげようと毎週日曜日に届けています。
顔の見えない人へ思いを込めて
内越さんは官弁を食べる人の顔を見たことはありませんが、心に刻まれた思い出もあるといいます。
30年ほど前に国道で事故を起こし逮捕された20代のトラック運転手の父親から手紙が届きました。
そこには、「大変お世話になりました」と書かれてありました。少しでも社会のためになっていることを感じることができたといいます。
内越さんはことし7月、長年にわたって警察活動に協力したとして水沢警察署から表彰されました。表彰されるのは、実は14回目です。
感謝状の贈呈式に出席した内越さんは「この仕事をしなくなると警察も大変になる。そう簡単にはやめられません」と意気込んでいました。
2人はそれぞれ心臓に持病があり、いつまで続けられるか不安を抱えながらも体力が続くかぎりは続けていきたいと考えています。
警察活動や地域社会に貢献したいという「使命感」が、官弁を支えているのです。
大丈夫なのか「官弁」
官弁をとりまく厳しい環境は、岩手県に限ったことではありません。
人件費や原材料費の高騰で、各地で飲食業や給食業の経営は厳しさを増しています。
また、警察庁によりますと、去年までの10年間に1年間に警察署などに留置される人の延べ数は全国で130万人減少。逮捕者が減ると、官弁を提供する業者にとってはより不安定な環境になるというジレンマもあります。
こうした中で、今後も官弁の供給を維持していけるのか。難しい課題だと思いました。
- 盛岡放送局記者
- 吉川 裕基