この記事を書くきっかけになったのはタイムシフト視聴したとあるニコ生で、ざっくりと内容を説明すると
「(誤解を招く言い方になると前置きした上で)アイマスは頭の悪い人に優しいゲームになった」というもの。ここだけ切り取るとホントに誤解を招きそうなので当人の名誉のためにどこの生放送だったのかは言わないでおく。
で、そのことについて数日間色々と考えて、ようやく考えがまとまったけどこれツイッターでつぶやくにはめっちゃ長文になりそうだなーということでここに書き残すことに。
最初の変身=シンデレラガールズの始まり
アーケードから始まったアイマスは、その後紆余曲折色々ありながらも全体的に見れば段々と成功・成長していき、アニメ「アイドルマスター」(ロボアニメじゃない方)ではそれまでアイマスに触れてこなかった人達も巻き込んでストーリーでの感動・ライブシーンでの興奮をもたらし大成功を収めたと言えた。
その勢いに乗って次に出すゲームというのはアイマスというコンテンツの今後を担うもので、それはそれは大事なもの。しかしアイマスはここで「アイドルマスター3」という正統なナンバリングタイトルを出さなかった。というか、出せなかった。
理由は色々あったと思うが、もし「アイドルマスター3」を出していたらどうなっていたか。自分の考えでは「アニメからアイマスに入った人間の多くは入り口でつまづき追い返されていただろう」という結論になった。
「アイドルマスター(無印)」や「アイドルマスター2」は、765プロのプロデューサーとなってアイドル達をトップアイドルにするために頑張るゲームだ。765プロのアイドルは個性豊かで一筋縄ではいかない者も多く、またライバルとなる他事務所のアイドルとも競い合わなければいけない。きっとそれは「アイドルマスター3」でも変わらない部分だっただろう。
しかしそれでは問題があった。「変わらない部分がある」ということは、それを経験している人にはアドバンテージになる。「無印」や「2」をやってきた人達はアイマスがどういうゲームかを、「3」をやる前から知っている。他のゲームに例えるならば、波動拳や昇竜拳の出し方を知っている。自機狙い弾はほんの少し動けば避けられることを知っている。ショットガンは近距離で強くスナイパーライフルは接近戦に向かないことを知っている。
ゲームが発売した時点で「経験者」と「初心者」の格差が生まれてしまうのだ。もし「アイドルマスター3」が発売されていたら、数日もしないうちに歴戦のP達がゲームを攻略し、ニコニコにはあらゆる楽曲のMVが動画として上げられていただろう。
もちろん他人なんて気にせず、自分のペースでゆっくりゲームをすれば初心者だって「アイドルマスター3」を楽しむことはできる。しかしそれができる人は100人中100人ではない。正確な数値は測りようがないが、きっと多くはない。何せ最初から負けているのだ。ゲームを攻略するスピードも、アイマスに関する知識も、アイドルと培ってきた思い出も、最初から負けている。勝てないゲームなんて、つまらないと思う人が大半だ。(今回の話における「勝ち」とはゲーム上での勝敗も含めるが、「優越感に浸ることができる」といったニュアンスが強い)
つまり、アニメから入った新規層を楽しませるには「今まで勝ったことが無い奴が急に勝てるようになるゲーム」が必要だった。そこで目を付けられたのが、「ソーシャルゲーム」という新たな土壌だった。「新しいアイマス」を作るのにこれほど適した土地があったのはアイマスにとって幸運だった。
当時ソシャゲは社会現象と言えるほど大流行していたが、ニコニコでアニメを見てるような「俺ら」のような人種には「単純・単調でつまらないゲーム」の代名詞だった。しかしそれが良かった。単純ということは誰でもできるということだし、ソシャゲに精通した「ソシャゲ強者」は「俺ら」の中には多くなかった。全員を同じスタートラインに立たせられるのだ。
「アイドルマスターシンデレラガールズ」には765プロのアイドルも登場するが、VoDaViという既存のステータスは無くなり、同じことをすればどのアイドルも同じ数値だけ親愛度が上がるシステムになった。今までのノウハウが通用しない、「にわかでも勝てるアイドルマスター」が始まった。灰被りがお姫様になれるように、普通の女の子がアイドルになれるように、知識も経験も無い「俺ら」でも「プロデューサー」になれる。そんなゲームにアイマスは生まれ変わったのだ。
お金×時間=強さ の功罪
かくして、格ゲーやFPSなどが抱える「経験者最初から強すぎ大問題」を回避し、時の運(iPhoneを筆頭にスマホの普及が進み、「俺ら」がケータイで遊べるゲームを求めていた。後にスマホゲーの覇権を取るパズドラより先にゲームを始めることができた。など)も味方してグングンと急成長していくモバマスだったが、その先には早くも袋小路が見え始めていた。
「お金と時間さえあれば誰でも簡単に勝てる」ということは、「どちらかが欠けていれば永久に勝てない」ということである。特にお金の方が深刻だった。当時はお金が無ければガチャもろくに回せず上位もまず取れない。アイドルの新しいカードも入手できず思い出を残すことも叶わない。このままではお金の無い人達は勝てないゲームに愛想を尽かし去ってしまう。そうしてゲームをする人口が減れば勝てる人達にも影響が出る。100万人の中で2,000位になれたら998,000人に勝ったことになるが、1万人に減ってしまったら8,000人にしか勝てないのだ。
ここでモバマスは「第2の変身」を迫られるが、このゲームはまだ始まって間もない。今ゲームシステムをひっくり返して「無課金が勝てるゲーム」にしてしまったら、今まで勝っていた人達が怒り出すのは火を見るより明らかだ。だから「第2の変身」に明確なターニングポイントは存在しない。シンデレラガールズは少しずつ変わり続けていった。それこそ「イリュージョニスタ!」の歌詞が示すように。
アイドルに勝たせる時代へ
「無課金でも楽しめるゲームを」と口にするのは簡単だが、大前提としてお金を出してくれる人間が居なければ商売は成り立たない。多くのソシャゲ運営の頭を悩ませる問題だが、モバマスには最初からお手本というべきアイドルグループが存在した。
それをやることを最初から想定していたのかは分からないが、今までのアイマスの価値観を変える大イベントが始まった。「シンデレラガール選抜総選挙」だ。
100人以上のアイドルの中から、たった一人の「勝者」を決める。今まで765プロでは頑なにやろうとしなかった「順位付け」を、モバマスではやることになった。
「アイドルマスター2で○○をトップアイドルにする」と「モバマスで○○をシンデレラガールにする」では言葉は似ていても意味がまるで違う。ゲームの中の話ではなくなったし、プレイヤー個人の話でもなくなったのだ。
担当アイドルをトップアイドルへと育てるのがアイマスの本旨であり、それを可能にする凄腕のプロデューサーに与えられる称号が「アイドルマスター」…だったが、シンデレラガールが決まった時、そのアイドルを担当するプロデューサーに「アイドルマスター」の称号は与えられなかった。十時愛梨をシンデレラガールにしたのは「十時軍」という、実態の掴めない謎の集団だった。
投票券はお金で買えたが、いくら自分が投票した数が多くても真の勝者は上位に名を連ねることができたアイドルだけであり、そのアイドルを応援していたプロデューサーだけが勝利の喜びを分かち合えた。
ここで大事なのは、例え勝てなかったとしてもまだ希望が残るという点だ。戦うのはアイドル。アイドルは「俺ら」と違ってとても頑張り屋だし、無限の可能性を秘めている。自分ではなくアイドルになら、次は勝てると信じてみたくなる。
第2回の総選挙では上位5人によるCD発売が約束され、「勝ち筋」が増えた。アナスタシアが「上位に入れば声が付く」という新しい「勝ち」の形を提示した。
そうして総選挙をやっていくうちに、「勝ち」に直結する課金要素は残しつつもプロデューサー同士で争う要素は少しずつマイルドになっていき、「担当をシンデレラガールにすること」「担当の魅力を世に広めること」を主目的にするプロデューサーが増えていった。担当を勝たせるためなら、ゲームをすばやく攻略し資産を賢く貯める方法を赤の他人に喜んで教える人も増えていった。
ここまでシンデレラガールズの歴史を振り返ってみて思うのは、おそらくモバマス・デレステという媒体では「第2の変身」が100%完遂されることは無いのではないか、ということだ。どちらのゲームも主な収入源はガチャ(ガシャ)だからだ。お金があれば誰でも勝者になれる、単純かつあまりに強いこのシステムが商売の根幹を成している以上、「金持ってる奴が勝つ」という側面は消えようが無いんじゃないかと思う。それは別に悪いことだと思わないし、色んな勝ち方があった方が多くの人が楽しめるんじゃないだろうか。
765プロは変わったか
最初、この記事のタイトルは「アイマスはシンデレラガールズによって2回変身した説」だった。でも考えてみると、変わったのってシンデレラガールズだけで765プロはそんなに変わってないんじゃないだろうか。
もちろん、765プロが何も変わらなかったわけじゃない。時代の変化、というかシンデレラガールズの存在によって765プロも変わっていった。…半分くらいは。
ミリオンライブ シアターデイズ、通称ミリシタが始まってしばらく経って思うのは、「このゲーム初心者に優しくないな」ということだ。
チュートリアルが不親切なわけではない。難易度も幅広く設定があり悪くない。ただ最初の方で問題として挙げた部分がある。「変わらない部分がある」のだ。
登場するアイドル52人中13人はずっと前からいるアイドルであり、設定上もゲーム開始より前からアイドル活動をしている先輩アイドルだ。ゲームで遊べる楽曲はごく一部を除いて以前からある曲であり、しかも知らない人間からすると完全新曲と見分けが付かない。例えばデレステのイベントで既存曲をやる場合、コミュで必ず「以前歌った曲」であることが言及されるのに、ミリシタのコミュではどの曲も出来立ての新曲のように扱われる。
他にも公式ツイッターでは「次に実装される曲予想クイズ」をやったり「プロデューサーとして頑張ったエピソード」を募集したりと、とにかく初心者…これからミリオンのことを知っていこうとしているご新規さん達に優しくないと感じてしまう。
裏を返せば、これらは「ミリシタは765プロを知っている人達に優しいゲームだ」ということになる。ミリシタが提供しようとしているのは「実家のような安心感」なのではないだろうか。
アイドルの数が増えようが、TheaterがBrand Newされようが、劇場が宇宙に行ってグリマスが終わろうが、765プロは変わらずそこにある。時代の流れに合わせて形を変えつつも、いつだってミリオンライブには765プロの「未来」があるのだ。
うーん、そう考えると将来に不安があるのはミリオンよりもシンデレラの方なのではないか。変わらないことに価値を見いだせるミリオンと違って、変わり続けることが求められるシンデレラは常に暗中模索、一寸先は闇。ミリオンには765プロという帰るべき家があるけれど、346プロをそういう風に考える人ってあんまりいないよね。これからシンデレラガールズというゲームがどう変わっていくのか、考えても答えは出ないからとりあえず今は智絵里を勝たせるためにモバマスを続けよう…。結論こんなのでいいのか?
SideMの話とか、PS4のアイマスの話とか、詳しくない部分は端折っちゃったので詳しい人の話も読みたいなと思いつつ、でもこの記事に「あなたはこんなこと言ってるけど私はそうは思わないです」とかコメントされても「そう……」としか返せないので先に謝っておきます。ごめんなさい。
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