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表現の自由と作品を批判する権利について
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投稿者:
二見千希
[2017年 11月 28日 12時 13分] ---- ----
一言
いかぽんさんの場合、ご自分の主張に都合がいいように、エッセイの内容を曲解している印象を受けます。
特にキノの旅だとか人様の作品を引っ張り出して自分の主張を権威付けするのは、いかがなものでしょう?
道義的にどうこうではなくて、よそから借りてきた都合のいい繋ぎを取り払った時に、そもそもご自身が導く言葉に信憑性がゼロだと思うのです。
申し訳ないのですが、読んでいて非常に雑というか、粗のある文章だと感じました。
自分の結論ありきで都合よく構築した論調というものが、傍目にどう映るのか。
一歩引いて考えてみた方がよいのではないでしょうか。
投稿者:
藍羽 あかり
[2017年 11月 28日 11時 08分] ---- ----
一言
『「批判をする権利」を認める場合、当然に「批判することを批判する権利」も認められなければなりません。』が正しいならば「批判することを批判することを批判する権利」も認められるべきでしょうね。以下エンドレスに続きます。
あなたは批判されることが嫌で「批判することを批判する権利」を欲しているようですが、そうすると余計に批判が増えるだけなので何も言わず黙っておく方が得策だと思いますよ。あなたは1人ですがあなたのアンチは複数人存在するのですから、批判合戦になってあなたが勝利する道理はありません。
「作品の批判をすることは好ましいことかどうか」については「批判されるのが嫌なら感想欄閉じろ」で終わりでしょう。読者が言いたいことを自由に言えるシステムなら批判が飛んで来るのは当然です。つまらない文章を読んで時間を無駄にした読者には作品や作者を批判する権利があります。
普通人は面白い小説を批判したりはしないので、批判される場合はそれだけ他人を不愉快にしたのですから批判されて当たり前ですよ。それが嫌なら小説をネット上で公開しない方がいいですね。ファンレター形式で批判を送ってくる執念深い批判者はほとんどいませんが、無料で手軽に批判を送れるなら誰だって批判文章を送るものです。
本題とは関係ないですが、キノの旅はライトノベルになり損ねた駄作だと思うのですが、いったいどんな層が読んでいるのでしょうかね?魅力的な主人公も可愛いヒロインも存在しない自称ライトノベルを気に入る人間が大勢いるのは謎ですね。
投稿者:
吉人
[2017年 11月 28日 09時 25分] ---- ----
一言
実は、日本は国際条約の中の人権に関する条約で1979年に表現の自由に関する締結しており、其の表現の自由の中には個人の表現の自由または、言論の自由が含まれており、其処ら辺は国内法の表現の自由とは別個に保証されて居ると言う話しも在る。
国内法だけ見て「表現の自由はぁ~!!」と断定するのはちょっと危ない。
国際的条約の視点も必要だと思うよ。
投稿者:
袋小路 めいろ
[2017年 11月 28日 06時 44分] ---- ----
一言
あのエッセイを、このエッセイの形では受け取りませんでした。
表現の自由とは、このエッセイの通りであり、これを理解している人の方が多いでしょう。
あのエッセイの形は、感想の質を向上させて、書き手にデータとして有益な文章体を提供しましょうって事だったのではないか、と思いましたが。
僕の読み方が浅いのかと、少し悩んでしまいました。
投稿者:
黒井 陽斗
[2017年 11月 28日 06時 31分] ---- ----
良い点
非常によく纏められたエッセイになったと感じますし素晴らしいと思います、私の意見を取り入れていただきありがとうございます、あと恥ずかしい誤字がったので書き直しました。
一言
ですが、敢えて意見を述べるのを許していただけるのでしたら、浅学な私の考えでは御作あくまで営利目的における考え方に終始しているように思えます。
私達がなろうにおいてよく使っている表現の自由という言葉の本当に使いたい部分って、実は言論の自由だと私は感じています。
これを紐解くと外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由、個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・放送・映画の(組織による)自由などを含むとなっているので、解釈だとどうしてもなろうでは出版物に目が行きがちです。
ですが普段私達が望んでいるのは、もっとミクロな部分である「表現の自由は人の精神作用の表現の自由である、表現の自由の保障は口頭や印刷物によるものだけでなく、およそあらゆる方法・手段による精神作用に及ぶと解されている」ではないかと感じているんです。
上記のあらゆる手段方法の部分が、昨今のなろうの問題の骨子ではないかと私は愚考しています、この場合大きく考えられるのが『自己実現の価値と自己統治の価値』の尊重です。
これを侵害しちゃいけないよと私は言っているんですがなかなか伝わらない、この点において己が下手だと自覚して少し悲しくなっていますが、これも自己実現の価値であると感じています。
個人間になると自己現実において最終的に行き着く先が人権です、これは相互にぶつかり合うから調整が必要であり、ここには公共の福祉というものが有ります。
これは人権相互における矛盾や衝突を調整するのに認められる実質的公平の原理で、非常に大きな権利である人権同士の矛盾を調整するものですから、人権に内在する制約であると理解されます。
簡単に申し上げると皆平等だよと言ってるのですね、これを認めるのが人権を語る上で私の申し上げた義務に当たると考えて下さい、公共の福祉を守らない人を公共の福祉は認めず権利を認めないのです。
よく公益目的でマナーなどいう言葉を掲げる方が居ますが、国家などが「公益目的」を理由をつけて、人権を無関係に制約を行うことは認められません。
上記の「など」には個人にも係りますので、片方が相手の自己実現を強硬にやめろと言ったり、相手の自己実現に公益目的でマナーを強要する行為は、結果として公共の福祉に反し、創作活動における人権侵害が成り立つ、そう私は解釈をしています。
なので自己実現に邪魔だと感じるのであれば、こうしてくれと相手に意見を述べてお願いするのはいいと思いますし、ある程度の苦言までは自己の判断でやっても良いけど相手の自己実現も尊重しましょう、相手に自身の自己実現に強硬に押し付けたり、強制的にやめろと否定するのは人権侵害であると思います。
こういった観点が皆さんがなろうの活動の中で苦慮された部分で自己実現が否定されたり、思うようにいかず悩んだ事ではないか?と感じるから、あのような論調になるのです。
私の解釈がもし間違っていると思うのでしたらきちんとした解釈を書いていただければ良いと感じますし、そういう事かと感じていただけると私は嬉しく感じます。
投稿者:
黒井 陽斗
[2017年 11月 28日 02時 48分] ---- ----
一言
だとすれば、せめてきちんと貴方の論が私は気に入らないから反論を名指しで書きますねと言うのが正しいかと、その前提もできていないのに攻撃してないは流石に少し苦しいかなと思います。
私はキノの旅に興味が無いのでを見たことはないですが、貴方の行動のせいで相手の権利を考えない事を推奨する人が見る恐ろしいアニメである印象を受けましたし、そう言った悪影響を他の方に与えると感じます。
いかぽんさんを好意的に解釈すると、私が憲法にうたわれている自由や権利について個人間での考えを論議しているのに、法的な表現の自由のみに固執すれば貴方の結論に至るでしょう、その上で私がお返しを書いてこれでおしまい。
それが貴方の主張する個人における表現の自由です、ですが貴方がやってるのはおしまいをせず、更に関係ないところで人の作品を勝手に使い持論を述べています。
この現状はご自身が言っている事とやっている事が違いませんかと私は述べているのです、ですが私のスタンスは言いたければ言えばいい、そういうスタンスですから、そのような表現も許容します。
ツイッターでも愚痴って結構ですし、ここで怒っても構いません。
ですがせめて作品名を伏せるなり、私に使っていいかと問うなりすれば、ご自身がここで仰った持論の正当性もそれなりに担保されるのでしょうが、主張とやっている事がバラバラなのが表現の自由だというのであれば、私は間違っているとここで苦言を呈します。
いみじくもプロと申されるのでしたら、誰かの作品名とその內容を使って作品を書くのならせめて相手の作品への権利を尊重し利用しますと、一言述べても良いのではと思います。
私のような末端に頭を下げるのが苦しいのでしたら、なろうを見て思った程度に抑えてお書きになる方が正当性が担保されます。
私の言った苦言が、貴方の今後の作品にてお役に立つ事を願っています。
いかぽん
[2017年 11月 28日 04時 26分]
さらにマイナーチェンジしました。
おまけで付け加えた最後の三行の印象が強すぎて多くの方に本筋部分が伝わらないないようになっているようなので、最後の三行を削除しました。
いかぽん
[2017年 11月 28日 03時 51分]
>誰かの作品名とその內容を使って作品を書くのならせめて相手の作品への権利を尊重し利用しますと、一言述べても良いのではと思います。
このあたりはおっしゃる通りで、私の行動に問題があったと感じました。
申し訳ありませんでした。
黒井さんに不快な思いをさせてしまったこと、お詫びいたします。
ひとまず内容から、エッセイのタイトルとURLを削除し、内容をマイナーチェンジしました。
投稿者:
ecoなecho
[2017年 11月 28日 02時 26分] ---- ----
一言
追記
件のエッセイ、およびこのエッセイ、感想を見て全体的に感じたことを書きましたが、不適切だと思われる場合は削除していただいて結構です。
いかぽん
[2017年 11月 28日 03時 55分]
そうですね……。
「論」ではなく「人」に対する非難になってしまっていると感じたので、削除させていただきました。
投稿者:
相出憩
[2017年 11月 28日 01時 07分] ---- ----
良い点
文章を読む時、
「自分の何処にその文章を引き寄せて読むか」によって、
その文章の内容がまったく反対の意味に捉えられる可能性がある、ということ、
細部は異なっても、「基本同じ主張」であるのに、違う事を主張しているかのような錯覚をもたらしてしまう危険性、
などを考えさせてくれる点。
一言
ええっと、
>「剣鋭介に批評の権利があれば、ぼく(作者)にだって
>おこる権利がある!!
>あいつはけなした! ぼくはおこった!
>それでこの一件はおしまい!!」
これは、そのまま、原本エッセイの作者様が各種エッセイや作品の感想欄において、毎回きちんとした感想ご返信なさる際に、荒し目的と見紛うような過度な言葉を使った過激な批判があればなさっておられることです。
(勿論「おこった!」と言ってもあくまでも理性的であろうと心がけておられ、抑えた表現ですが)
作者も読者も、このなろう利用者としての【権利と義務は表裏一体】。
あきらかな暴言には怒りが、マナーを守った冷静な批判には冷静な応答が返ってくることに、なんら不思議はない、ですよね。
その点に関して、おふたりともに十分に熟知しておられる、「なろう」界における信頼出来る紳士がたなのに、それでもこういったすれ違いの錯誤が生まれてしまうところに、文章表現の限界を感じるというか、十人十色の個別の読解フィルターの差はいかんともしがたいのか、という哀しみを感じると言いますか……
またその個別フィルターあればこそ、この「なろう」がひとつとして同じ花の無い百花繚乱、いや万花繚乱の花園になり、誰もが自分好みの花を見出せる場ともなるわけですが……
些細な見方の違いから分岐してかけ離れた到達点に至ってしまっても、白薔薇も紅薔薇も同じ薔薇、その棘は身を守るためにあるけれど、進んで傷つけあうためにあるものではないのでは、と言いたくなりました。
辛口読者な蜂も蜜に酔い痴れる愛読者蝶も、薔薇が薔薇であるだけで、そこに花が在る喜びを味あわせていただいています。
お話の発端となった、
「花を見ずに、目についた枝を折るのを楽しむような庭荒し」
「花の蕾に病虫害が無いか心を配り水遣りをするのを見て花盗人かと騒ぐ慮外者」
がいても、
お二人はそうした心無い輩とは違うのですから、それぞれの見事な花枝を、このところ「なろう」に吹きすさぶ北風に煽られるまま打ち付けて、その花を傷つけあうようなことはなさいませんように……
いかぽん
[2017年 11月 28日 04時 06分]
まあこのエッセイの本筋は、上の八割なんですけどね。
最後の三行はおまけの私見でして、本筋としては、私人間のやり取りに「表現の自由」は関係してこないよということと、そこから転じて、批判の是非という話をする際に「権利」や「義務」といった表現を用いるのは不適切だよということです。
投稿者:
黒井 陽斗
[2017年 11月 27日 23時 29分] ---- ----
良い点
お互い権利があるそれを尊重するのが良い世界ですね。
気になる点
あいのり商法なのかもしれませんが、本筋理解できずにはちょっと……。
一言
私のエッセイって、仰るエスパー魔美的内容ですよ?
要するに作品書いた感想欄で言った、返信したこれで終わりがエスパー魔美なんですよ、なのに私を名指しする作品書いたらエスパー魔美じゃなくなっちゃいますよ?
皆が権利権利って言ってるけど私は言いたいのは権利とは等しくあるんだよ、自由の裏側は相手の自由だよと言ってるだけなんですね、他の人が自身の権利を主張ばかりするから考えてねといったんですね。
なろう作者の表現の自由を語った事に限定して指した事に、憲法解釈まで持ってくるのは小枝切るのに大鉈もってくる様なちぐはぐを支度なのでやんわりと、お返ししたつもりでしたがご理解いただけなかったのが残念です。
どっちにも権利があるんだからね、でも大本は自分が作品を出したから起こったこと、だから軽い気持ちでネットに出したリしないでね、色んな人がいるからね、言われてもまずは自責を考えようね、そこから対応を考えようってお話で、作者に黙れとは一言も言ってないんだよなぁって気分になりました。
プロ作家さんが個人にあらぬレッテルを貼り相手を悪にしようとするためのエッセイを書く、なかなかなろう的で素敵な個人攻撃です、とうとう私もここまで来たかと喜びに打ち震えております。
私的には感想欄でやれよと思いますが、それもいかぽんさんの自由ですから私は尊重いたしますよ、がんばってくださいね。
いかぽん
[2017年 11月 28日 01時 40分]
感想欄に書かずにエッセイに書いた理由としては、まずあのエッセイが「表現の自由」という言葉を不適切に使っており、感想返信を見てそれを是正する意志もなさそうだと感じたので、あの「表現の自由」の使い方は根本的に間違っていますよというのをより広く発信すべきと思ったのがあります。
それ以上は説明しても生産性がある気がしないので避けますが、一応、個人攻撃をしたつもりはないことは付け加えておきます。
議論で「人」を攻撃することほどくだらんことはないです。
「真っ当な議論」で衝突しうるのは、人と人ではなく、論と論、意見と意見です。
投稿者:
夢野ベル子
[2017年 11月 27日 19時 55分] ---- ----
良い点
幼女作家「だーかーらー。ちがうだろーっ! このむぐぐぐぐぐぐ(途中でお兄ちゃんに口をふさがれました)」
一言
両者の論を読むとどっちも正しいこと言ってるんだよなと思います。
というか、黒井 陽斗 様の言うところの『表現の自由』って、表現の自由を間違って使ってるからやめようぜってことが言いたいことであって、じゃあ、そこでいうところの表現の自由は憲法21条の表現の自由じゃない可能性があるわけで、たぶん、そういうことなんだと思う。
それをわざわざ憲法上の権利として正しい使い方じゃないというのは、まあそのとおりではあるんだけど、言いたいことを善意解釈してあげてって思う。
もっと余裕を持って読んであげて。
なんかもやもやするだろうけど。
ちなみに、表現の自由が憲法上の表現の自由であるとして、批判することが表現の自由に抵触するという解釈は一応は成り立つかもしれません。
例えば、ある作品で『ゲイは存在する価値ないです』と書いたとする。そのとき、その作者は表現の自由があるからそういう表現はOKと考えていたとする。そのとき、そういうことを書くな、なぜなら『差別的表現は、憲法上保護されないのであって、あなたの言説は表現の自由に値しない』というような言説もありうるから。
抵触という意味を憲法上の権利の接触表現だとすれば、そこを絶対抵触しないよとしたのは不満っぽい。
幼女先輩もそう思うでしょ。
幼女作家「まあ、この国の一番偉い人って芦部先生すら知らないんでしょ。どうでもいいんじゃない」
幼女先輩はちょっと清酒をたしなんでおられるようです。
いかぽん
[2017年 11月 28日 01時 54分]
善意解釈をするにせよ、あの話に関して「権利」や「義務」っていう言葉を使ってしまうと、ものすごくおかしな話になってしまうのですよ。
権利でも義務でもないのですよ。
人と人との付き合い方の話のはずなんです。
でも表現の自由だとか権利だとか義務だとかいう言葉を使って何となくそれっぽい議論らしきものをしていたら、その本質部分が見えなくなる。
だからこの話、一度そのステージから下ろして、正しいステージに持ってこなきゃいけない話だと僕は思うのです。
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