私の好きな妖怪に「がんばり入道」というのがいます。
子供の頃に読んだ妖怪の本に、
「便所の裏の窓から、夜のあいだ、いつまでもがんばって、のぞいている妖怪。きたなくしている子どものおしりをペロペロと舌でなめる。」(佐藤有文『お化けの図鑑』)
と書いてあって、「いつまでもがんばって、のぞいている」というのが、なんかけなげでおもしろかったからです。
が、大人になってこれの元になった鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』を読んでみたら、
「いつまでもがんばって、のぞいている」なんて一言も書いていないというね(笑)
佐藤有文氏の創作の可能性が高いというね(笑)
一応、読んでおきますか?
ここに貼れる画像がなかったので、リンク先で当該箇所はご覧くださいませ。
【翻刻】
加牟波理入道(かんばりにうどう)
大晦日の夜厠(かはや)にゆきてがんばり入道郭公(ほとゝきす)と唱(とな)ふれば妖怪(ようくはひ)を見ざるよし
世俗(せぞく)のしる所也もろこしにては厠神(かはやのかみ)の名を郭登(くはくとう)といへりこれ遊天(ゆうてん)
飛騎大殺(ひきたいさつ)将軍とて人に禍福(くはふく)をあたふと云郭登(くはくとう)郭公(くはくこう)
同日(どうじつ)の談(だん)なるべし
【現代語表記】
加牟波理入道(がんばりにゅうどう)
大晦日の夜、厠(かわや)に行きて「がんばり入道、郭公(ほととぎす)」と唱(とな)うれば、妖怪(ようかい)を見ざる由、世俗(せぞく)の知る所なり。
唐土[もろこし]にては厠神(かわやのかみ)の名を郭登(かくとう)といえり。これ、遊天飛騎大殺(ゆうてんひきたいさつ)将軍とて、人に禍福(かふく)を与うと言う。
郭登(かくとう)・郭公(かくこう)、同日(どうじつ)の談(だん)なるべし。
【ざっくり現代語訳】
がんばり入道
大晦日の夜、トイレに行って、「がんばり入道、郭公(ほととぎす)」と唱えると、妖怪を見なくてすむことは、みんな知っていますね。
中国ではトイレの神様の名を郭登(かくとう)と言い、遊天飛騎大殺(ゆうてんひきたいさつ)将軍とも言い、人々に禍[わざわい]や幸福をもたらすそうです。
「郭登(かくとう)」イコール「郭公(かくこう)」ということでしょう。
表題のところ濁点がなく、「かんばり」と仮名が振ってありますが、本文や目次でも「がんばり」とあるので、読みは「がんばりにゅうどう」でいいと思います。
これまでの私のブログの翻刻とか見ていただければわかると思いますが、この頃の濁点の表記って、つけたりつけなかったりして、かなりいい加減なんですよね。「かんばり」も「がんばり」も「かんはり」も「がんはり」も表記的にはごっちゃなんですよ(笑)
で、ふと思ったのですが、「がんばり入道」ってどういう意味なんでしょうね???
「加牟波理入道」は単なる当て字なので、漢字を当てるとしたら、「頑張り入道」「眼張り入道」「我ん張り入道」になるのですが、それだと、「がんばり入道、ホトトギス」の呪文の意味もさっぱりわかりませんよね。
そこで、そう、この頃の濁点はいい加減だったということを踏まえて、「かんばり」で考えてみると、「甲張り入道」という字を当てることが出来ます。
「甲張り入道」だと「声が甲高い[かんだかい]入道」という意味になります。
つまり、呪文も「声が甲高い入道は、ホトトギスみたいだ!」と意味が通じるようになります。
実際、ホトトギスは「テッペンカケタカ」と甲高い声で鳴きますし。
というわけで、私のイラストでも載せて、今日の箸休め記事を締めくくりますです。