こんにちは、画家のみやもです。
ぼくが「ラッパーを辞めて、画家になる」とブログにアップしたのは今年の10月4日のこと。絵自体は10月1日から本格的に描いていました。
っで、今まで「どうして画家になろうと思ったの?」と何度か質問されたことがあったんです。ぼくは「ラッパーを辞めたいことをどうしても切り出せずに現実逃避で絵を描いていて、そうしてる内にラップよりも絵の方がたくさん作品を生み出せることに気付いたから。」という風に答えていました。
絵を描き始めたのが現実逃避というのはまさにそうだし、作品をたくさん生み出せることも当たっているんですが、ぼくは一番大事なことを言えてなかったんですよね。
っというか、重い話になるので言いたくなかったというのが本当の所です。
ただ、画家として生きていくためには「どうして画家になろうと思ったか?」っというキッカケの話はすごく大事なことだし、ちゃんとブログで伝えたいと思っていました。
画家になってもう少しで2ヶ月だし、ありがたいごとに絵も買って頂ける経験をしたので今日はぼくが画家になろうと思った理由について書きたいと思います。
画家になるキッカケは同級生の自殺を知ったことだった
はじめに結論を書きますが、ぼくが画家になろうと思ったのは、服飾学校時代の同級生(男性)の自殺を知ったことがキッカケなんです。
ぼくは10月2日に昔からの友人たちとボーリングに行く約束をしていました。
そのメンバーにぼくの服飾学校時代の同級生(女性)も入っていたんです。
っで、渋谷区 笹塚にある笹塚ボウルというボーリング場で待ち合わせをしていたんですけど、その同級生が合流するやいなや開口一番に、「宮森さんにこれは話さないといけないと思って。。。実は〇〇くんが自殺しちゃったんですよ」っと話してくれたんですよね。
それを聞いたぼくは、もう衝撃というか何とも言葉にできない複雑な気持ちになりました。
自ら命を絶った同級生はMくんといって、服飾学校時代にぼくの席の真後ろだった人なんです。
彼はすごく優しい性格でクラスでも人気者でした。Mくんの家系はファッションに物凄く精通していて、彼自身も10代からヨウジヤマモト、Y-3をいつも全身にまとっているオシャレな人だったんです。
ぼくは彼の影響でヨウジヤマモトの代名詞である黒のワイドパンツを買ったこともあります。
とはいっても、ぼくは正直Mくんとそこまで仲が良かったわけではありません。
プライベートで一緒に時間を過ごしたのも1度だけだったと思います。
席が真後ろだったので、授業中よく話する機会はありました。
しかし、ぼくは大学を2年で中退してから学校に入ったので彼とは年齢も2つ違うし、ほどよい距離感で付き合っていたという感じです。
ただ、彼は本当に友達思いの情に厚い人だという印象を今でも強く憶えています。
身近な人が自殺したのが初めてだった
みなさんは身近な人が自殺した経験がありますか?
ぼくは幸運にも31歳になるまで自分が接したことがある人で、自ら命を絶った人が一人もいなかったんです。
ですから、こういったことがMくんが初めてで「身近だった人が命を絶ってしまうのってこんなに辛いことなのか。。。」と思い知らされたんです。
彼がもう地球上のどこにも存在しないことを考えてしまうと、本当に悲しくてやりきれない気持ちになりました。
Mくんが命を絶ってしまったことを知った日。
ずっと彼のことを考えていました。
どうして死んじゃったんだろう。Mくんはずっとどんな気持ちで生きていたんだろう。
そんな当の本人にしか絶対に分からないことに思考を巡らせていました。
Mくんのように死んではダメだ。と思って画家になろうと決めた
そんなことを考えてる内に思ったんです。
「今のぼく自身もヤバい精神状態じゃないか?」と。
ぼく自身もラッパーになると高らかに宣言しておきながら、ラッパーはやっぱり無理だっとなって、それをずっと誰にも打ち明けれずに現実逃避の日々を過ごし、毎日死にたくなってる状態だったんです。
「ぼくもこのまま黙ったままMくんのように死ぬのか?」
本当にMくんに失礼なのですが、あの時のぼくの頭はかなりヒートアップしていたので上記のようなことを考えてしまいました。
それでぼくの心の声が叫んだんです。
「Mくんのように死んではダメだ」
「死んだら全部終わりだ。」
「死んだら悲しむ人をたくさん産んでしまう。」
「現にオマエはMくんが死んだことを知って、こんなに悲しい気持ちになってるじゃないか。」
そんな自分の声を聞いて「それじゃラッパーじゃなくて、次はオマエ何するんだ?」っと思った時に出てきたのが現実逃避で描き続けてきた絵であり、「もうこうなったら画家になってみよう」っと決めたんです。
そして、Mくんの死を知った2日後の10月4日にラッパーを辞めて画家になります。っというブログを勇気を出してアップしました。
そして、それからぼくの画家人生がはじまり、今に至るわけです。
画家として生きていくためにアリのようなスピードでもいいので、一歩一歩進んでみようと思う。
ぼくが画家になろうと思った本当の理由は、このような感じです。
このことをいつ言おうかすごく悩んでいました。
「人の死を軽々しくネタにして」とか「お涙頂戴か」とか言われそうで。
そうなってしまうとMくんに対して物凄い失礼ですから。
それで絵もある程度の評価を頂けたし、画家としてちょっとだけは認識されるようになったので今日ブログに書いた次第です。
画家になって少し時間が経ってから「 画家はもう飽きられてるよ。次は何やるんだ?」というような発言を頻繁に見てきました。
そのことに関しては、他ならぬぼく自身も「もし、画家を辞めたらどうしよう」っと時々恐くなっています。
ですが、そんな時にいつも思うのが、「たとえアリのスピードでもいいから、一歩一歩作品を作っていって着実に進んでいけばいいんだ」ということ。
周りに惑わされずに、変に焦らずに行けば画家活動は続けられるとぼくは信じています。
そして、いつかぼくに画家になるきっかけを与えてくれたMくんに胸を張れるような立派な画家になって、彼に心から感謝できたらと思っています。
ただ、それとは全く別の感情として、Mくんには本当に死んでほしくなかった。ぼくにキッカケなんて与えてくれなくてよかったから生きていてほしかった。本音ではそう思っています。
このブログを読んでる方々で死にたくなってる人がもしいたら、ぼくもどうにか生きていくのでどうか、どうか死なないでください。
これからもぼくは生き抜いて、一歩一歩画家として活動していきますのでこんなぼくですが応援していただけたらとても嬉しいです。
それでは今日はこのへんで。
わっしょい!